「この本おもしろかったよ!」
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 イルカの歌

イルカの歌

カレン・ヘス/著 金原瑞人/訳
白水社
昔っぽい感じの装幀、どこかで見たような装幀だなと思いながらこの本を手にとった。しかし今年の秋それも10月に出たばかりではないか!
このお話はイルカに育てられた女の子のお話だ。昔からオオカミに育てられた子どもの話や、「フィオナの海」のように弟があざらしに育てられている話などいろいろ野生の動物に育てられる話はある。
イルカに関して言えばほ乳類という点で人間と共通している。人間にも友好的な感じだ。そのイルカに育てられることというのは実にありそうな話である。しかし海の生き物と陸の生き物がはたして生活を共にすることができるのだろうか。じつはこの本はいくつかの雑誌で取り上げられるのを見てしまったのでミーハーぽくっていやだなあと思っていたのだが、なんだか読み終わったあと不思議な読後感が残ったのでここで紹介してみようと思う。

「イルカの歌」では十数年前におきた飛行機事故で行方不明になった女の子(ミラ)がイルカに育てられていて、ある日発見されるところから始まる、女の子自身が覚えた文字と言葉で書いた日記形式になっている。はじめはすごく言葉が少ないし感情だって少ない「うれしい」だったり「さみしい」だったり「すき」だったりするのだ。女の子は人間に見つけられそして教育されてゆく。誉められるのはうれしいことだが彼女のそれはまるで小さい子どもが母親に嫌われたくないとおもっていい子にしているようにもうつって時々痛々しく感じる。日記には人を悪く書くことは一度もなかった。イルカの仲間といるときそういう感情は、もったことがなかったのだろう。いかにも野生な感情のようだ。

イルカの家族は心を汲む、なにも言わなくても誰になにが必要だかわかっているとミラは言う。だけど人はミラを閉じこめて自由を奪っている。それは、政府がだけでなく、ミラを家族だと言ってくれる先生たちでさえ。本当はミラという少女はミラであって誰の所有物でもないのに政府は勘違いしている。そして政府の人に怒られるのがコワイといって先生達もそうする。かわいそうだと思いながらも実はミラの成長に海のことに興味がつきないのだ。
みんなは知りたいのだイルカの生態を、それからイルカに育てられた女の子の成長を。イルカの生態を知るにはイルカに聞くのが一番だろう。だからこそミラの存在は貴重になってくる。誰も苦しませる権利なんかないのに、珍しいものはみんなに見られ管理され自由にはなれなくなってしまうのだ。この話は作り話だけれども本当にこういうことはあるんだろうなと思った。珍しい病気、珍しい特技、だれも知らないようなことを知っている人はその個性によりみんなに珍しがられ、実験をされ、そして自由を奪われ所有されてしまうのだ。

人間の世界にやってきたミラにとって、人間の世界は驚くこと吸収することの連続だった。しかしイルカとして生きてきた彼女にとって人間の世界でいきることが必ずしも幸せではないのだ。病気のときや夜寝るときの外の寒さや、魚を捕れないときのひもじさなどは実は不幸のうちに入っていないことが多いのだ。仲間が死んでしまうこともあるが、きちんと死を受け止めるし、悲しみを断ち切ったとき海の底に死体を沈めることもするのだ。だけど基本的にはシンプルに生きている。お腹がいっぱいならそばを泳ぐ魚を食べたりせず生き物たちと仲良くくらしている。私達はなんと無駄なものをいっぱいもっているのだろうか。ものがほしいから、土地がほしから、損する、得するなど云々。ミラは次第にご飯もたべなくなる、死んだ魚しかでない食卓。イルカの家族にあいたい。自由になりたい。野生の動物が本来求めている場所では無い場所で生きていくとき、便利だけど動物園にきて広いサバンナを思い出すのと一緒だろうか。そこにはそこならではの良さがある。それは便利だけでは片づけられないものなのだろう。

やがてミラは海へと戻って行く。私はイルカの音楽を聴いてみたいと思った。戸籍や国境のない海のいきものたちの海の中で。なにもかもに恵まれている国にいながら今私はどこか自分の居場所がここでないのを感じる。居心地が悪い。私もいつか野生に帰る日がくるのだろうか考えてしまった。(文:やぎ)