王様の耳はロバの耳 2000.2
〜鬼は〜そと〜!福は〜うち〜!〜
2000年2月29日
『自転車発見!?』
自転車をなくしてから、不便な生活を送っていた。盗難届けをだそうと交番に行きお巡りさんに話しかけた。「防犯登録してたんですけど番号の控えもどこかにやってしまって…」というと、「買ったお店で登録番号をきいてごらん」と言われた。「でももしかしたら撤去されたかも…」というと、撤去予定表をみながら何時(いつ)なくなったの?と聞いてきた。私もちらりとその表をみると烏山の撤去日にあっていることが判明した。この土曜日に自転車を取りに行くと、なぜか係りの人にご苦労様といわれ、なぜ?!と考えたが、なんだか腑に落ちない自転車発見騒動だっなあ。だっていつもは自転車置き場に置いていて、たまたま時間がなくて置いたその日に撤去なんてトホホだよ。ちなみに普段は自宅と会社にしか置いてません。(長時間はね)(やぎ)

『ゴミの「富士山」が出来る前に…』

「やっと!」と言うべきなのだろうか、3/28より世田谷区でも資源の回収をするようになった。少し前からごく限られた場所で回収をしていたらしいが、区役所で地図をもらわなければ、どこで回収しているのか分からない状態だった。そもそも“燃えるゴミ”と“燃えないゴミ”という安易な振り分け方には以前から疑問を持っていた。特に最近では袋の材質が多様すぎてどれが燃える(…というかとけて有害なガスを発生する)のか分からない。
ゴミの処理に関しては各自治体によって違っている。ちなみに私の田舎(長野)では生ゴミまでしっかり分けて出し、それは堆肥として生まれ変わるという画期的なゴミ処理法を10年以上前から行っている。
しかし農業が少ない都会ではあまり現実的ではなさそうだけど…?結局の所、大量生産・大量消費の時代はとっくに終わっていて、購入する前に(本当に必要な物なのか?)と考え、捨てる前に(本当に捨てるべき物なのか?)考えるべきなのだ。
「不景気で消費者の購買意欲が落ちている」と言われているが、消費者の方がもっとゴミに関して現実の問題として捉えているだけなのではないだろうか?(そのうち日本はゴミに囲まれて生活するようになるかもしれない…)
(リュウ)


『ソフトクリーム』

新宿駅のホームにむかう階段の途中で、めずらしいおじさん二人連れとすれちがった。ごく普通の、どこにでもいそうなおじさんなのだが、2人とも、手にソフトクリームを持っている。しかも、とても美味しそうに食べている。
「マカロニ」というイタリア映画で、ジャック・レモンとマルチェロ・マストロヤンニが、「ババ」というクリームのお菓子を食べながら、ローマの石畳(たぶん)を歩いている場面があった。しかもご丁寧に、マストロヤンニの髭は、クリームで白くなっていた! 映画の内容は忘れてしまったが、クリームをぱくぱく食べながら歩いているおじさん2人の姿が妙にかわいいかったので鮮明に覚えている。
新宿のおじさん2人に、この場面が重なって、私はこの日一日楽しい気分で過ごした。いまも、嬉しそうに、楽しそうに、クリームを食べているおじさん4人が、頭のなかで踊っている。
(京)


『髪』
「髪を切りたい」とこの時期必ず思う。その1番の理由は静電気だ。私はかなり大量の静電気を自家発電しているらしく、さわるもの、当たるもの、ふれるもの、全てに「ばちっっ」と放電する。特に髪の毛は静電気が起きやすい。現在、私は髪が長く、どのくらい長いかというと、腰に届くぐらいだ。会社ではジャマになるので「おだんご」にしているが、出掛けるときは、その自慢(じゃないけど)のロングヘアをなびかせて外出する。そして、15分もすれば静電気は起こる。まるで蛇女の髪のように、一本一本があっちにこっちに広がって、すれ違う人の体にくっつき、着ているコートを脱ごうもんなら、静電気はさらにパワーアップをして、まるで杉の木のように広がる。あ〜もうっ!うっとおしい。早く切りたいのだが、地毛でウィッグを作ろうかなと思っているのでもう少しだけ我慢して伸ばす予定だ。
もともと私は髪の毛に執着のない人で、別に長く伸ばした髪の毛をばっさり切ったりするのがもったいないと言うこともないし、基本的には短い方がすきだ。シャンプー代だって安いしね。みんながそんなに注目したり、笑いものにしたりしないのなら、モヒカンだってOKだ!!
(みなりん)

『一足はやく桜便り』

週末、文京区白山にある小石川植物園を訪れた。今年の冬は暖かく、巷でも梅が早くから咲き始め、春の訪れを強く感じるこの頃。植物園でも梅や椿、そして桜までもが満開だった。まだ咲くはずのない桜が咲いているのかと地球温暖化もここまで来たことよ・・と一瞬嘆いたが、近づいて見ると寒桜だった。たいていの桜は春先に咲くが、なかには晩秋から正月とか、年明けすぐに咲き始めるものもあるらしい。そういった桜を寒桜、あるいは四季桜と呼ぶ。春が待ち遠しい身にとっては、思いがけないところで出会った早咲きの桜に心温まった。また初めて間近で見る寒桜は、吉野桜に比べ色鮮やかで花も大きい。たわわに花をつけたのびやかな枝で、見る者を優しく包むその姿にしばし魅せられた。
桜の花に魅せられたのは、2度目である。去年の春、岐阜・京都を訪れた際に眺めた山間に咲き並ぶ山桜と祇園の街を彩る夜桜。旅先で見た桜は格別だった。特に京都に滞在した最後の晩のこと。春休みのさなか、しかも休日とあって人でごった返す四条河原・祇園一帯を買い物がてら散策し、やがて八坂神社に辿り着いた。境内を経由して、隣接の円山公園に入って出くわしたのが、永遠に続くかと思われるほどの桜並木。後で知ったことだが円山公園は桜の名所として有名なところだった。満開の桜の下、人人人で埋め尽くされ、園内は騒然とした空気に包まれていた。人混みを早く抜けたかったが、ふと気がつくと、妖艶な雰囲気漂わせる夜桜に惹かれ、ふらふらと練り歩いていた。まさに「桜の森の満開の下」といった状況。桜に魅せられ、そこに集う魑魅魍魎の気分。劇的なまでの春の宵はこれで終わらず、圧巻だったのが園内中央の枝垂れ桜だった。他の桜の比ではないくらい高く大きな枝垂れ桜は、見るものを惹きつけ、そしてすっぽり包んでしまいそうな雄大さがあった。ライトアップの効果はあったものの、その姿は見事だった。その昔、この桜を見て、与謝野晶子が歌を詠んだという。桜の美しさを感じ入る人の心が昔も今も変わらないのか、それは美しいと思わせんと咲く桜の意識によるものなのか。
思いがけないところで出会い、ふと心惹きつけられた円山公園の枝垂れ桜と植物園の寒桜。これから春を迎えるにあたって、次はどんな桜と出会えるのか楽しみである。
(かわら)

2000年2月22日
『ほんとにあたたかいの?』
この季節よく見かける不思議なものに、防寒着を着た犬がある。彼らの毛深さは何のためだ。自分で好んで着ているわけではないだろうが、着心地悪くするどころか、表情に「暖かいからいいの」という安堵感を漂よわせているのは理解しがたい。こんなに過保護にされている彼らも中国の山村や食糧難の土地に行けば、立派な食料だ。時代と場所を違えて生まれてきていたら君たちもこうなっていたかもよと緊張感を強いたくなる。
でも、食べるのも可愛がるのも人間の都合。彼らはそれに振り回されているのにすぎない。むしろ人間のほうに、時代や環境を違えていたら食べていたかも知れないという緊張感を強いらなくてはならない。豊かさの象徴とも言えるペットを、多くの人が飼える社会環境をありがたく感じなくてならない。と、思うのだが、暖かそうな毛糸にくるまれ、のほほんとした表情でしっぽをふりふり歩く犬を見かけると、どうしても身ぐるみはいで、雪原にほうり投げたくなる。実際犬も寒いのかも知れない。でも、やはり犬は犬らしく寒さの中でも元気に駆け回るぐらいであってほしい。飼い主も視点をペットに置いて、彼らの本能を麻痺させない飼い方をしてほしい。
(かわら)

『ライブ大好き!』

このコーナーで何度か書いたが、私はライブは大好きだ。時間とお金が許す限り、ライブに行きたいと思う。もう、そんなに若くもないので、「キャーキャー」言うことはないが、それなりに楽しんでいる。そんな私にちょっと若い頃だったら幸運なチケットが舞い込んだ。
先日、若者に人気のあるバンドの武道館ライブに一人で行った。友達がいないわけじゃないけれど(言い訳するあたり、友達がいないと言っているようなもんだが)、私は一人でライブに行くのが嫌いじゃないし、気にもならない。自分の好きなようにボーっと見れるし、ステージに集中できるし、悪いことばかりじゃないのだ。できれば2階の一番隅っこで自分の世界に入ってライブを見たい派の私に届いたチケットはアリーナ席だった。「アリーナ(武道館のアリーナとはいわゆる1階席)か…」と思ったけれど、アルファベット(A〜Nくらいあって、各1〜150くらい席がある)も最後の方だったし、まあ後ろの方だろうと会場に入って席を探し当てて驚いた。 恐ろしいことにアリーナの一番前の席なのだ!!今まで何十回…とにかくかなりの数ライブには行っているが、1番前になったのは初めてだ。もっと若いとき、そう、高校生くらいの時にこの幸運を与えてくれればよかったのに〜。いまさら「○○く〜ん」とか言ってる場合でもなく、目の前でギターをかき鳴らしているめちゃくちゃロックな彼に「カ、カ、カッコイイィ〜」と心の中で叫び、彼がこっちを見て微笑めば「キャー、あたしのこと好きなんじゃないの?」と高校生も真っ青な勘違いフル回転で心の中ではしゃぎ、ライブが終わる頃には、周りが怪しむほどにやけた顔になっていたはずだ。
もうこれで、ライブ席運は使い果たしてしまったとは思うけれど、もう一度くらいああいう状況でライブを見てもいいかなと思う。そん時は周りもメンバーも驚くくらい「キャー、キャー」騒いでみようかな。
(みなりん)


『出版業界』

書店や取次の倒産がニュースになるなど、出版業界の不況はいよいよ深刻になっている。この業界で仕事をしている我々もそうしたニュースに無関心ではいられない。文字通り「わがこと」である。これまでの流通システムがいよいよ末期症状を呈していることは多くの人が認めるところだろう。新しい道を切り開こうとする動きも多く見られるようになった。その多くはインターネットにからんだもので、その方向に打開の道がありそうなことは皆感じているに違いない。
しかし、この方向で、本気で動こうとすると、障害になるのは、データの作成である。いろいろな形でインターネットに、出版関係のデータが流されているが、それらと比較して、特色あるデータを作ることはかなりの労力を要する仕事である。図書データ作成を業務として、長年やってきた我々には、それがよくわかり、このことが多分大きな問題になるのではないかと思う。
(宮)


『週末のかなしみ』

週末ちかくになると、休日なにしようかなあ、という考えで頭がいっぱいになる。
9時には起きて部屋をかたづけ、昼前には図書館にいて、ランチは地下の喫茶店で食べよう。近所の公園を散歩して買い物して帰れば、夕方。すこし手のこんだものを作って、とっておきのワインでもあけようかなあ。
ところが、現実は、太陽が西にぐっと傾いた時刻に、のそのそと布団からはいだし、たまった洗濯物をじゅんぐりに洗濯機に放り込み、とえあえず足の踏み場をつくった部屋の中で、パンをかじり、コーヒーをすすり、テレビを観ながら意味なく笑い、「あ、もうこんな時間か」といまさらのように驚き、「ま、いいか」となげやりになり、ふたたび布団にもぐり込む。
この間、数時間。着替え、歯磨き、洗顔なし。下手すると、沈む夕日を昇る朝日とかんちがいし、「お、今日は早起きじゃん」と、ふたたび布団にもぐり、つぎ目覚めたときは、月曜の朝、ということもある。
毎週こんなことをくり返し、むなしい週明けをむかえ、それでも、週末ちかくになると、ふたたび妄想にふける。私が結婚できる日は、水平線のかなたよりも遠くにある。
(京)


『ロッタちゃんはかわいかったけど、バムセはもっとかわいかった』
友人に誘われて、恵比寿の映画館に『ロッタちゃんのひっこし』を観に行った。3連休初日だったが、なんの根拠もないのにのんびり構え、夕方の5時近い回のものを観に行くことにした。正確にいうと4時55分からの回だったので余裕をもって映画館の前に4時に待ち合わせをすることに。が、しかし甘かったのだ。友人と落ちあい、受付で映画の券を購入しようと、受付の姉さんに話しかける。4時の回も7時の回もいっぱいだという。定員入替制だったのだ。にしても…最終回しか空いていないなんて…。
ひたすらウィンドショッピングとお茶と夕ご飯まで食べ、9時の回までの時間を潰す。私は子どものころに『ロッタちゃんのひっこし』を読んだことがあったのだが、実はその内容について表紙以外、何一つ覚えていない。映画はどんな話か知っていないほうがおもしろい。実際、映画はとてもおもしろかった。セーターがちくちくするから着たくないのにママは着なさいなんていっていじわるいうから…っていうとってもささいな(ロッタちゃんにとっては大きな出来事)ことで家を出て、一人で暮らすことを決意。といってもお隣の物置の2階なんだけどね。とにかく、なんでも自分で出来る(自分ではそう思っている)ロッタちゃんの自立と人に対する愛情いっぱいの作品で私はおおいに満足したのであった。
そしてなによりもロッタちゃんが肌身離さずもっているブタのぬいぐるみのバムセへの愛着あふれる汚さとちょうどよい大きさ柔らかさ、しっぽの感じがすごく私のつぼにはまり、わたしもバムセがほしくなった。だってかわいいんだもの。映画館にはちゃんと客の心をつかむべく、バムセのぬいぐるみが売られていた。大きいのが4000円で小さいのが2500円だ。しかし手頃な値段の方は既に売り切れ。大きいのはロッタちゃんのと同じサイズなんだろうが、ちょっと4000円は高いなあと、その場を去った。さらばバムセ、いつかまた会おうね。大人になっても人形好きの私である。
(やぎ)

『男のロマン』

先週末、プロレス好きの夫に連れられて、両国へ生まれて初めてのプロレス観戦に行った。(ちなみに新日本プロレス)
私の中では「プロレス好き」=「おばあちゃん」と言うイメージがあった。私が小さい頃、よくおばあちゃんがテレビでプロレスを見ていたからかもしれない。その頃の記憶では「反則技で血みどろ」という恐ろしいイメージしかないので少し憂鬱だった。
会場には体格のいい人達ばかり?…かと思いきや意外に女性や家族連れも多く、以前のプロレスのイメージは崩れた。途中途中に見せ場やマイク・パフォーマンスなどもあり、気付かぬうちに周りの人と一緒にかけ声をかけていた。その中でもすごいと思う点は、必ず次へつなげるための「ドラマ」が成り立っているところだ。因縁の対決などで次回は「誰と誰がやる」というように予告編みたいなものがあって観客を飽きさせないように工夫している。次回も「また来たい」という観客の心理を上手に引き出しているのだろう。
観戦後、大声で叫んだおかげで私の声がすっかりかすれ声になってしまった。今週ずっとこの声と付き合わなければならなくなったが、また機会があればプロレス観戦したい。(もしかしてプロレス・ファンになりつつある私?……)
(リュウ)

2000年2月15日
『節分のルール』
大人になってから節分の日という行事をここ何年か忘れていたが、コドモが保育園で豆(大豆の炒ったもの)をもらってきて「あぁ。そういえば節分だったんだ。」と思いだした。
私が小さい頃は節分でまく「豆」というのはなぜか「殻付きの落花生」だった。大豆を炒るのが面倒だったのかどうかは分からないが、夕方になると仕事を終えて帰ってきた父、兄達と豆(落花生)をかけ声と一緒にまくのだった。「鬼は〜そと〜!福は〜うち〜!」しかし、だんだんかけ声が「福は〜うち〜!」だけになってしまう。今になって考えてみれば、それはただ単に豆を外に放ると後で外へ取りに行くのが面倒だっただけなのかもしれない。とにかく家では“福”しか来ないのだ。
そもそもオニというのは存在したのだろうか?
昔話のオニは“定番”で、最後には必ずやっつけられるというのがお決まりのパターンになっている。その時代その時代の恐ろしいものの代名詞になってしまっている、この「オニ」というものの正体は、人間の心の中に存在するものなのではないのだろうか?(節分の日というのも言ってみれば「悪い心」を追い出すための日なのかな〜)なんて勝手に思いながら「福は〜うち〜!」といってコドモと豆をまかずに口にほおばるのだった。(こうやって我が家の勝手なルールもできていくのだろうか?)
やはり来年は、「大豆」より「殻付きの落花生」で豆まきをしたい。
(リュウ)

『心の叫び』

今年は、暖冬のせいか、それとも、1階に住んでいるせいか、この季節になっても、ゴキブリが異常発生して困っている。首に白い襟巻をまいた赤ん坊ゴキブリ(命名:月の輪ごきぶり)や、羽が薄くて茶色い子供ゴキブリばかりなので、成人ゴキブリほどのインパクトはないが、「子供がいるってことは、親がいるんだよなあ」と想像させるので、すごく気持ち悪い。それも2日に1匹くらいの割り合いで見かけるので、1匹の背後に12匹いると考えても、もうすでに8匹以上見かけたから、8かけることの12で、最低でも96匹のゴキブリがいて、そいつらが、もっと暖かくなると成長して…………ひいいいいいいい。想像しただけで気が狂うがな。が、しかし、ここ1週間ほど、冷えこみの厳しい日が続き、私は、ほのかな期待をもって彼らに呼びかけている。「諸君、そろそろ活動を停止するがよい。頼むから、冬のあいだくらい、私に心の平安を取り戻させてくれ〜」(京)


『断髪式』

およそ一年半ぶりに髪の毛を切りにいった。先日までの髪の長さは、私がかつて経験したことのないような長さだ。肩までは伸ばしたことがあっても健康骨の下までは初めてである。伸ばしたというのは正確ではない。ずぼらな私は伸びるまま放置しておいたのだ(長ければ縛ってまとめられるので楽と思っている)。硬くて太い髪の毛は伸ばしてもキレイになるわけではないので、不精者は1ケ月に一度もしくは2ケ月に一度、美容院に手入れしてもらうのがもしかしたら一番楽なのだと思い知った。長くなった髪の毛は重かった。濡れたまま頭の上のほうでまとめるとかなり重い。日本式の結婚式でかぶるカツラくらいの重さに感じた。
10日に給料も入り、今日こそはと、日曜日にやっと重い腰をあげ髪を切りにいったのだ。たぶんあまりの手入れの悪さに店員は驚き、どんな意味とも取れる「すごいですねー」を連発していた。長い髪を短くするのはあっという間だ。適当な長さまではハサミなんか使わずにカミソリのようなもので切られていった。軽くなった頭をなでながら脳味噌まで軽くなった気がした日曜日の夜だった。
(やぎ)


『主婦考』

昨年春に結婚した友人は、主婦のプロをめざし、家庭というフィールドで日々奮闘している。中学からのつきあいになる彼女は、昔からスポーツ万能で、明るく活発的、よく食べ、病気のほうが逃げてしまいそうな健康優良児であった。同世代の青っちろい男の子を見かけては、「あんなんよりもあたしのほうが断然、力がある」と、よく豪語していた。事実、30sの山ザックを担いで登山したという武勇伝を持っている。(最近では、80s近くあるであろうご主人を背負っているのを見た)
そんな彼女の将来の夢は「お嫁さん」であった。こう書くと、あばれはっちゃくが嫁にいくのかと思われてしまうので、友人の名誉のために書き添えておく。彼女の性格は非常に家庭的で、料理も衣服も手作りを心がける彼女のお母さんの影響を強く受けていた。大学進学後もその意識は高かった。いつのまにか良い相手とめぐりあい、卒業と同時に家庭に入り、持ち前の馬力を家庭内で発揮している。料理は手作り、ベランダでハーブを栽培し、カーテンを縫い、セーターを編む。家事を切り盛りし、ご主人との暮らしにゆとりをつくる。他人に干渉されることのない気楽さはあるが、働くことに外も内も変わりはない。外で働く者を支えるという面とやがて担うであろう子育てにおいて、主婦ほど重労働で重要な役目はない。
私の母も専業主婦で、父と子どもたちのためだけにひたすら主婦業に務めてきた。いまだ実家にお世話になっている身として、母には多大なる労働を課しているにちがいない。住みか(部屋)を提供してもらい、食事を用意してもらう。そうした行為は日常の流れに埋没し、当たり前のことのように受け止めがちだが、母にとってはとんでもない時間外労働だろう。結婚を考えるような歳に達し、友人のそうした姿を見ると、改めて主婦業の大変さ、大切さに気がつく。
個を生み出す家庭こそが社会形成の源であり、その家庭環境を整えるという重要な役目を多くの主婦は担っている。給料や賞与といった形で評価を得る仕事よりもよっぽど根気のいる仕事である。便利さ合理性の台頭に伴い、女性の社会進出がめざましくなる中で、友人のような生き方は稀になっていくのかもしれないが、人間の営みがある限り、家庭はなくならない。そこに意識を向け、信念を持って主婦業に専念する友人はやはり逞しいなと思うのである。
友人の姿を参考に、自分がもし家庭を持ったらこれぐらいの意識を持ちたいととりあえずは思うのだが、彼女の主婦振りを見るたびに、ついついこんな嫁さんがほしいと思ってしまう。
(かわら)


『早く来た春』
今年も暖冬で、すこしも寒くない。数年前南大沢に引っ越したときには、仕事の帰り、駅に降り立ち歩き始めると、都心から2〜3度は低いといわれる気温と、冷たい夜風で鼻はちぎれるかと思われ、10分もすると、涙が出てくる。そんな寒さはどこへ行ったのか、このところの暖かさは春間近を感じさせる。
今のような集合住宅住まいでは、なかなかわからないが、その昔、世田谷(三軒茶屋)の古い木造住宅に住んでいた頃は、休みの日に、掃除などしているといつの間にか体が暖まりうっすら汗が出てきたりして、春近くになって気温が高くなっているのを、文字通り体で春を感じていたのです。
外に出れば冷たい風が吹いて、まだ寒い雛祭りの頃、年ごとでそんな感じを味わったものだが、今年はひと月も早く春が来たみたいだ。
(宮)
2000年2月 8日
『エコロジーな私』
4、5年前まで、「エコ」ときけば、その先に続くのは、エコエコアザラク〜(古賀新一作)であったが、近ごろは、エコロジーとピンとくるものがある。こんな私でも、世間なみに環境について考えるようになったんか、と感慨ひとしおだが、これはひとえに、友人Oさんのおかげである。
Oさんは、自然食品の店が、今のように注目されるずっと以前から、なるべく環境に害のないものをと心がけ、食べる物から身のまわりの物まで、少々高くても、自然食品の店で買い物をしてきた人である。私は、それまで、そういった店やそこに集まる人たちに、たいして関心をもっていなかったし、それどころか、「金がある人はいいけどね〜」なんて、皮肉な目で見たりもしていた。しかし、ちょっと考えてみれば、これだけけっこうな暮らし(毎月給料をもらって、適度に遊び、食べ、6万台の家賃を払っている)をしていながら、「金がない」といいわけするのは、かなり、あさましいことなんじゃなかろうか。……ようは「自分のために使う金はあるけれど、自分以外のために使う金はない」だけなのだということを、認めざるえなくなってしまった。
Oさんが、10数年前、自然食品の店で買い物していたころは、客は少ないし、一般の人は奇異の目で見るし、店を続けていくのは、大変そうだったという。それでも、そうした店が今もあるのは、Oさんのような人が、確実にいたからだろう。
彼女は環境について、声高に叫ぶ人ではない。行動でしめす人である。私は彼女のそうした態度に、はじめのうちは、心の中で「だけどねえ」「そうはいっても…」と反駁していたが、気づいたら「そうかあ」とおもうようになっていた。そして、Oさんには遠くおよばないが、身の回りのものは、なるべくそうした店で買うようになった。すると、いっけん、高くつくように見えるが、大切につかえば、そうではないことにも気づいた。ナマケモノの私を、こんな風にかえたのは、Oさんの行動である。行為は言葉より、はるかに重みをもつのである。
(京)

『買物番組』

近頃、テレビのチャンネルを回すと、買物番組が随分ふえている。芸能人が必ず出ていて、新商品のすばらしさと、にもかかわらず低価格であることに、大袈裟に驚いてみせる。こんな番組がひとつぐらい放送されているのなら気にもならないが、とにかくふえている。そして、この人までも、という芸能人(勝手な買いかぶりか)が出て喋っている。もちろん、会場の一般参加者は精一杯拍手し、また大声で歓声をあげる。ディレクターの指示により、出演者と会場の参加者が歩調をあわせて作りあげているのだろうが、番組の空々しいこと。視聴率が高いからこの種の番組が増えているのか、あるいは別の理由があるのか。(宮)


『親と子の楽しい(?)関係』

先週の土曜日に保護者面談で、コドモの保育園での生活について話し合った。昔から「先生」という響きがちょっぴり苦手な私にとって、これから小・中学生と続くことになるであろう保護者面談の第1回目となる。
しかし、保育園の面談となるとどこかリラックスできる。進路についての話はまずないし、のびのびと元気であれば「それでよし」みたいなところがあるからなのか。これが私立の小学校を受験するような(いわゆるお受験?)ところだと大変なのかもしれないが…。
私の子育ての方針としては、たった4歳や5歳で親が勝手に子供の進む道を決めてしまうのはどうかと思うし、「自分で考えて決める」ということが今の時期は大切なのではないかと思う。「親だから子供の事を考えて…」という考えは結局のところ独りよがりでしかなく、ただの押しつけに他ならないものだと言える。「親」や「子供」である前に一人の「人間」として付き合っていきたい。
最近では幼児虐待が社会問題としてとりあげられるようになっていて、「行き過ぎたしつけ」と言い訳をしているが、子供を所有しているとしかいいようがない。「言うことを聞かないから…」などという言い訳を聞いていると「当たり前でしょ!」と怒鳴りたくなっちゃう。まあ精神的な面でいえば子育ては大変だって言うのは分かるけどね…。
精神的に追いつめられる前に気が楽になるポイント(私の自己流なのであてにはなりません)
1.命に関わること以外の手抜きはジャンジャンする。(そうじ、洗濯等の家事)
2.公園や林など外に出て子供と一緒に遊ぶ!遊ぶ!遊ぶ!(一番重要っていうより自分が遊びたいだけなんだけどね)
3.他人(ひと)は他人!自分は自分と言う気持ちで
参考になるかは分かりませんが、子供が成長するのと同時に子供と一緒に成長しているのかな〜っと今しか経験できない時期を楽しもう!
(リュウ)


『私の自転車やーい!』

つい一ヶ月ほど前、故障中の自転車を修理に出した。3ケ所壊れていて、後輪のパンク、ライトの故障に加え、ブレーキもいかれていた。しばらく(半年くらい)めんどうで、会社へは歩いたり、一駅電車を使ったりで通勤していたのだが、我慢しきれずようやく修理に出したのだ。かなり重傷で後輪はタイヤを交換。ライトも交換。ブレーキ直しで1万くらいした。実は自転車自体も、数年前、頑張って仕事をした自分へのご褒美として買ったちょっと高価なものだったのでかなりショックは大きかった。
自転車代と修理代合わせると…ん万円。ドロボーさん君は罪を犯しています。だって君はいとも簡単に自転車を手にしたでしょうが、その自転車は私の汗の結晶なんだからね。とはいいつつ、実はタダ単に撤去されてただけだったら笑いものだけどね。だけど、そんな大事な自転車を路上駐輪するわたしもわたしだなあ。さあて、近いうち交番へ行って来ましょうか。ちなみに私の愛しい自転車の名は「ブルードラゴン」(ブルーといっているがかわいい水色)。みなさんそれらしき陰をみたひとは声をかけて確かめて下され。
(やぎ)


『夢』
夢の話です。
『「辛口カレーを食べながら42.195qフルマラソンで世界新記録がでました」とアナウンサーが興奮して叫んでいます。カレーを食べながら走り、世界新記録を樹立したのは私…そして、表彰台に上ってインタビューを受ける私。
「オリンピック出場が決定したそうですよ!!」
「ありがとうございます」
「オリンピックでのカレーの種類は?」
「そうですね、次は甘口でいきたいと思います」(←カメラに向かってガッツポーズ)
「がんばってくださいね」
「はい、がんばります」』
びっくりするほどくだらない夢を見てしまいました。本当はもっと長い長い夢だったのですが、ただカレーを食べながら走っていただけなので、ゴールした後だけちょこっと書いてみました。
夢を見た日、「大阪女子国際マラソン」を見ながらカレーを食べていたので、それがダイレクトに夢の中に入ってきたのか?それとも、私の中に「オリンピックに出場したい」という密かな野望があって、既存の競技じゃ無理だから、新競技を生み出してしまったのか?夢の真意は数日経った今もわかりません。
(みなりん)
2000年2月 1日
『失敗』
会社近辺の歩道は、歩道と呼ぶのがはばかられる程狭い。そこを自転車が、結構なスピードで走り抜けるから甚だ危険な状態が常態になっている。先日の夜遅く、出版部の自転車通勤している女性社員2人が揃って帰宅の途についた。私は2人と玄関先で別れ、2人は地下駐輪場へ消えた。夜の薄暗い甲州街道を、信号のあい間を縫って反対側へ渡ってしまい、けやき並木の歩道にたどりついた。うしろを見たら、50〜60メートル位離れた所から、自転車が2台走ってくる。しかもライトをつけないで。私は社員の2人が、ライトもつけずに困ったものだと思いつつ、自転車が近づいてくるのをまち、2台がそばまで来たときに、大声で「ライトをつけなくちゃ駄目じゃないか、ライトを!?」と叱った。そしたら、若い男の声が申し訳なさそうに「どうもすみません。」と言いながらすぐにライトをつけ、スーッと走り去った。遠目で人違いをした。(宮)

『本当にプロだったんだ…』

私の父は千葉の方で、指圧による治療院を開業している。私の記憶では私が5〜7歳くらいのころ一度治療院を開業しているが、殆ど父の本当の仕事は高校の英語の先生だった。この度定年を迎え第二の人生として再びこの仕事を選んだらしい。かなり前に指圧の?資格を取っていたのは知っていたが、またこの道を選んだのかとひそかに思っていた。開業とはいえまだ一年もたっていないので地元では新米で、別荘地に立地しているためにあまり人がいない土地のせいか、のんびりとすごしているらしい(客もまばらで)。
先週、ずいぶんと遅い正月の挨拶をかねて私の実家に夫と帰省した。すると指圧のしかたを教えてやるからと治療室に呼ばれ、実験台になった。実は親でありながら、父に指圧の治療を受けたことは考えてみればなかったなあと思いつつ、(あまり信用していなかった)指圧してもらうことにした。しかし、やってもらうとこれが、以外にも、的を得ていて気持ちがよい。ツボを心得ているとはこのことだと快楽に浸ってしまった。腰痛も内臓に原因がある場合は、内臓がよくならない限り腰痛は治らない、云々などいろんな話を聞かせてもらった。単なる肩もみも、力任せではなく、体重をかけてツボをおすだけなので、基本的に治療して疲れることはないのだそうだ。私は非常に関心した。そして起きあがるなり一言、「お父さんはプロだったんだね」とつぶやいてしまった。治療に来た人達が口コミで広めてくれることを願いつつひそかに父の指圧のファンになってしまった私であった。
(やぎ)


『お節介も親切?』

公園に遊びに出掛けたダンナとコドモが大きな”はっさく”(多分)を1つ持って帰ってきた。訳を聞くと公園で話しかけてきたおばあちゃんにもらったということだった。何でも話し好きなおばあちゃんでずっと世間話のようなはなしをしていたようだった。そこは私もコドモとよく遊びに出掛ける公園で時々近所に住むおばあさんが話しかけてくる。まるで以前からの知り合いのように自分の家の事、昔の事など他愛のない話なのだが眼が生き生きとしている。
私にも祖母がいるが、人間年を重ねていくと体の衰えから始まってだんだん行動範囲が狭まり自分の周りにいる人としか話をしなくなる。そんな中でたまたま公園で出会う子連れは新鮮なのだろう。私も「おばあちゃんっ子」だったせいかあまり抵抗がなく他愛のないことをしゃべって一時を過ごすのである。
その祖母も年をとるにつれてボケ(最近ではアルツハイマーというのかもしれないが…)てきてしまって人(曾孫)の世話をやくことに一生懸命だ。人間はお互いに関わりを持つことにより脳への刺激や生き甲斐を持つのだろうか?
都会では人との関わりが少なくなってしまっているが、いい意味でお節介だったりおしゃべりをするのもいいもんだな〜と思える。
(リュウ)


『週末の教訓』

頭はものを考え、心は何かを感じるというのは本当だ。頭が痛くなるほど考えたことや、胸がぎゅうっと縮みあがった経験は、誰もが、きっと、あるとおもう。
私は先日、会いたくてたまらなかった人に、おもいきって電話をかけたら、いきなり本人がでて、そのとたん、胸の奥がくしゃっとなって、痛いような、くすぐったいようなかんじがした。こんなとき、心はやっぱり、胸にあるのだなあ、とおもう。そして、こんなことを考えているのは、確実に脳なのだなあと、納得する。
頭と心、このふたつの機関は連動していて、仲良くしているときもあれば、ケンカするときもある。一方が主導権を握って、一方があっさり引き渡すときもあれば、おれがおれがと奪い合うこともある。無視しあったり、じっとお見合いしていることもある。しかし、割合うまくバランスをとっている。このバランスが、ときどき崩れるのはかわまないが、それどころか、ときには、立場を逆転させたりするのは、かえって良いことだったりもするが、ずっと崩れっぱなしだと、困る。頭が主導権をにぎりっぱなしだと、見た目は調子よさそうだが、中が錆びきった自転車みたいになる。その逆だと、こわれたモーターみたいに、ネジふりおとしながら、ぎゅるぎゅる回転する。かとおもうと、ふいに止まって、すっかり動かなくなる。どっちもこわいし、修復がむずかしそうだ。
私は最近、頭が主導権を握ってはなさず、かなりくたびれている。週末は、みやげ屋の置き物のように、家にじっところがっている。先週末も、布団の上で、寝仏の体勢で何もせず、何時間も過ごしていた。そうしているうちに、一人じゃんけんというのを思いつき、右手と右足、左手と右足、右手と左手、左足と右手、などの組み合わせでじゃんけんした。しばらく無心でやっていたが、馬鹿馬鹿しくなって、ゲラゲラ笑ってしまった。それから、「あーあ」とつぶやいて、また一寝入りした。こんなところ、人に見られたらどうするんだ、と自分にいいきかせたが、こういうことをしているのが、私だけじゃない、とも確信している。私はおもった。人生とは(いきなりだなあ)、まじめに、馬鹿馬鹿しく、まともに、気ちがいじみて、生きるものである。私が、週末の一人じゃんけんから得た、貴重な教訓である。
(京)


『反省』
 何事も取りかかるまでに時間がかかる。今も「さあ、ロバ耳を書こう。今週何があったかなー」とパソコンに向かったが、その前に絵本の原稿をチェックする。ふいに手を止め、トイレに立った。そして、コーヒーを入れ、席に戻る。さあ、取りかかるかと思った矢先、手の荒れが気になり、ハンドクリームをつける。すべすべな指先でキーボードも叩きやすくなった。さあ、書くぞ。と思ったとたん、何を書こうか、まとまらない。構成を考え、しばし宙を見つめてぼぉっとすること数分あまり。気がつくと、ロバ耳を書こうと意識した時点から、1時間が経っていた。
 愚図である。いや気取って遅筆家とでも言っておこうか。気取ったところで、愚図には変わりないが、この傾向は学生の頃から変わらない。レポートだあ、研究発表だあと言っては、前日の夜までのんびり過ごし、夜中からエンジンをかけ、貫徹で仕上げる。これが仕事になれば少しは気の入れようも変わるだろうと安易に考えていたが、体質は変わらない。医学の赤本を見ても、処方箋は載っていない。ああ、どうすれば、ちゃきちゃき文章が書けるようになるんだろう、提出に間に合うように仕上げることができるのだろうと悩む。
 この体質は、文を書くことだけでなく、その他生活のあらゆる面で影響・支障を及ぼしている。一つのことに躓けば、ドミノ式で影響力を広げていく恐ろしさ。最後まで行き着いて愚図の最骨頂を極めれば大したモンだが、と余計なことまで考えるようになった。「三年寝太郎」という話がある。何年も凶作に見舞われた村で、主人公が野良仕事もしないで、家でごろごろ、ごろごろ寝ている。三年経ったある日、主人公がむっくり起きあがって村人のために大活躍をする。三年間も寝ていたのは、その解決策を考えていたのだ。確かそんな話だった。寝太郎のようにじっくり時間をかけて考えることが大事という教訓を含んでいたようにも思う。しかし、三年もかけることはないだろう。働きながら考えればいいのに。私は、寝太郎がただの愚図に思えてしょうがなかった。しかし、その寝太郎でも、結果的に人のことを考え、人のために役立っている。私の場合、このままでは人に迷惑かけるとも、役に立たない愚図力を発揮しつづけていくこと間違いないと危惧した。(現に今、もう迷惑をかけている。おリュウさん、ごめんなさい)。同じ愚図でもこの姿勢を学ばねばならない。体質が変わらないと言っていては駄目だ。変えなくてはならない。と反省した。そこで、私は決意した。「愚図からの脱皮」と題し、物事ひとつひとつに対して、計画をもって行い、早め早めを心がける。あたりまえのことができる人間でになるために。仕事に大きな影響を及ぼさないうちに、改善します。
(かわら)