王様の耳はロバの耳 2001.12
〜2001年の冬は寒い〜
2001年12月26日
『今年も最後』
いつもロバ耳を読んでくださっている方、ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。(京)

よいお年を!

(かわら)


『今年も終わる』
今年もあと数日で終わる。なんだか不思議な気分だ。今年はどんなことがあったのか既に忘れつつある私。来年になったらこの記憶喪失は少しは良くなるのだろうか?先日友人がこんなことを言っていた「頭の中にこうありたい自分をイメージするとそういう自分になっていくのだと人に言われた」ということだった。何度かそのようなことを何人かの人の口から、例を言えば女優がテレビで言っているのを聞いたことがある。来年はどうなろうか考えた。それなのに一番に私の頭に浮かんだのは、南の島の水上コテージのベットの上でうとうととまどろんでいる自分の姿だったりするのである。(やぎ)

『2001年終了』
年を重ねるごとに、1年過ぎるのが早くなっていく気が……もう年末です。
今年は、いろんな事に悩んで考えてばかりいた1年でした。でも答えはひとつも出ないという情けない結果で終わりそうです。きっと来年に繋がることでしょう (←願望)。みなりん)

『思いやりって何?』
コドモはもう冬休みでいいなぁと思いながらも、今年もあと1週間になり、仕事納めにいそしむ日々を過ごしています。小学校へ入って2回目の「つうしん」をもらってきて先生の書く欄を見ると「友達に対してもっと思いやりを持ちましょう」と書いてありました。コドモにその欄を読んであげたらコドモは「思いやりって何?けんかをしないことなの?先生の前だけでいい子にしていることなの?」と逆に質問されてしまいました。なかなか鋭い質問だなぁと思った。先生が教える「思いやり」と私がコドモと一緒に考える「思いやり」が少し違うということにとまどい、何が本当の「思いやり」なのか分からなくなってしまっているようです。人と意見が違うなんてことよくあるさ。考えが違うことも…。だから結局は自分で考えていかなければならないって事はコドモに伝える。
話によると時間割には存在する道徳の授業は実際していない(教科書の読みが宿題で出るのみ)そうで、最近はそんなものなのかな?と私も疑問に思っていました。確かに人間としての根本的なことは家庭で教えるべき事なのは当たり前なのは分かっているけれど、でもそれだけでは偏った考えを持ってしまうから、学校へ行っていろんな子との関わり合いを持つ場所なんですよね?学習のプリントや宿題を出すのだけが学校という場所ではないはず。「本当の思いやりって何だろうね?」ってみんなで考えたりいろいろな意見を言い合えたりする場所でもあって欲しいなぁ。(もちろんケンカもね)
それではよいお年を。
(リュウ)

『歳末』

毎年のように、年末は滅茶苦茶に忙しいが、それでも歳末の景色は結構気に入っている。近年はクリスマスにあわせて、華麗極まるイルミネーションが取りつけられて、たまたまそれを目にしたときの楽しみは言うまでもない。南大沢のような所でも、イルミネーションが取り付けられた。出勤途上、団地内を歩いて行くとところどころで、ガラス戸を拭いていたりする。新年をひかえて、掃除をするという心持が1年の区切りとして、共感でき、いよいよ今年も押しつまってきたなと思う。こんな歳末の景色を、忙中閑ありで、ひそかに楽しませてもらっている。(宮)

2001年12月18日
『自転車』
引っ越してから9ヶ月。やっと前の住んでいたアパートの大家さんのところに自転車取りに行ってきました。地図を持たず、勘だけをたよりに、約50分で現アパートに到着。太股がパンパンになりましたが、到着したときは妙な充実感で一杯でした。みなりん)

『アパートなのにホームレス』

マイアパートの周囲は畑ばかりで風をさえぎる建物が全くない。そのため四方から風が吹きつけ、すきま風が吹くどころかアパートごと揺れている。さながら北極海の流氷に浮かぶほったて小屋。広い海に漕ぎ出す日は近そうだ。そのうえ都心に比べて気温が二、三度下まわる東府中。当然寒い。夜は金縛りにあうほど寒く、朝布団から出るのに困難をきわめる。
そこで思いついたのが、《窓にプチプチ&扉にすきまテープ》作戦だ。部屋中の窓ガラスにプチプチを両面テープで貼りつけ、隙間という隙間をすきまテープでふさぐ。プチプチに段ボールを重ねると効果絶大だが、上野公園にいるようで視覚的に寒さが増すのでおすすめしない。作戦は今のところ効果を上げている、ような気がする。
(京)


『楽』
2001年もあと僅か。今年を漢字一文字で表すと…というのを少し前にテレビのニュースで見て、私にとっての漢字一文字は何だろうと考えてみる。頭の中に「楽」という文字が浮かぶ。でも「らく」ではなく「たのしい」の方だなぁと思う。ニュースでは暗い話題が多かったけれども、個人的には大きな怪我や病気もなく、総合的には楽しんで過ごしていたように思える。みなさんにとってはどんな1年だったのでしょうか?
また来年も1年を通していろいろな事があったとしても、最後に笑って大晦日を迎えることが出来ればいいなぁと、まだ今年の大晦日を迎えていないにも関わらず思うのであった。(しかも来年のことを話すと鬼が笑う?)
(リュウ)

『眼鏡』
近視用眼鏡は映画館や演奏会のとき以外使ったことがなかったのに、テレビを見るために、かける羽目になろうとは思わなかった。テレビを見るときに2メートルぐらい離れているだろうか。この距離で、眼鏡が必要ということは大分度が進んだということなのだろう。つまりは年をとったということ。ともかく、眼鏡越しに見る画面は粒子の粗いビデオの画面までよく分かる。(宮)

『ワニ』
一泊旅行で温泉に出かけ、翌日「バナナワニ園」へいった。泊まった翌日どこへ行こうかという話しになり、バナナワニ園を希望したら、すんなり受け入れられたのだった。目的はワニを見るためだ。あの独特な肌に姿。そしてあの目に口…動物園よりもワニばかりの場所の方がおもしろそうだ。ただこんな冬の寒い日だし、激しく動き回るワニは全然期待していなかった。まあ、姿が見られればいいや程度の希望だったのだ。
ところが、である。予想に反して、ワニのヤツは微妙に動き回っていたのだ。もちろんはく製のようにじっと固まっているヤツもいた。私たちはそのワニたちの動きに興奮した。ワニは、口を開けてじっとしている時には体温調節をしていること、前から4番目の下の歯が口を閉じたときに見えているのは、アリゲーターという種類でなくクロコダイルというワニの種類だということ、胃が2つあって片一方は貯蔵庫だということなどなどいろんなことがわかった。
中でもメインはワニのお食事タイムだ。ワニは特に冬は体力温存のため殆ど体を動かさないので月に1度の食事でいいのだそうだ。微妙な動きを見せていたワニも、餌となるともっと激しい動きをするのだろうか。私たちの興奮は高まった。餌の鳥肉がトラックで運ばれてくると、ワニ達はみんな同じ方向に頭を向けた。小さなワニには小さく切ったもの、大きなワニには、頭と足を落としただけのクリスマスのチキンのようなまるまるとした肉が投げられる。上手く口でキャッチしてばりばり骨まで食べているヤツもいれば、食欲がないのか、じっと寝たままのワニもいた。友人たちはカメラ片手にあちこちでシャッターを切っている。私もかなり食い入るようにその光景をみていた。あまりに熱心だったからなのか、園の広報のおじさんとワニの取材に来ていたライターさんとうち解けて、ワ二情報をいろいろと教えてもらった。どこかの国ではワニはお金持ちの象徴なのだそうだ。気づくと30前後の女4人バナナワニ園に6時間も滞在していた。妙に楽しく不思議な時間であった。ワニ恐るべし。
(やぎ)

『狐狸庵先生の軽妙さ』

数年前の年の瀬、作家遠藤周作の自宅に泥棒が入った。お金を盗まれたことから、報道陣に寄せたコメントが、「正月の餅が買えません。お願いです、お金返して下さい」といったものだった。それが、ニュースできちんと報じられ、読み上げたキャスターがぷっと笑った。本人にとったら非常事態のはず、聞く側もこんな時期にいやな事件だ、となるところを、この一言が、笑い話にコロリと換えてしまった。随筆などにも見受けられるそこはかとないおもしろさ。軽妙というのか、機知をふまえた深み。持ち前のものなんだなと思うと、ますますこの作家に惹かれた。今年も慌ただしい年の瀬となり、世間の物騒さも年々エスカレートしている。そんな時だからこそ、このセンス、持ち合わせたいなと思わせる。(かわら)

2001年12月12日
『夕刊』
産経新聞が夕刊をなくすそうだ。朝刊の数分の1の部数しか売れなくて、経費的にとても耐えられないのだろう。速報性ではテレビにかなうわけがないから、新聞の存在意味は、ニュースをより深く掘り下げて解説することだろう。最近の各紙はその意味では、さまざまな工夫が試みられており、これからもしぶとくその存在意味を主張できるだろう。このように考えると、夕刊を廃止することは、確かにひとつの選択肢に違いない。私は少なくとも夕刊に速報としてのニュースを期待してはいないし、読むべき記事は文化欄だと思うから、これは朝刊に移すことが可能である。産経以外の各紙が今後どうなっていくのか興味がある。私は時代の変化にともなって、発行形態が変わることは当然だと思う。(宮)

『こどもは風の子』

一年ぶりに友人からクリスマスの誘いが来た。Sは同い年にして3人の子持ち。ここ数年このクリスマス会に行って年末を実感するのだ。今年で3回目かなと数えてみたりして…。ここのこども達は今、上から小2、5才、3才といった感じだ。土曜日は3時にはSの家に到着する予定だったが、買い物したりしているうちに約束していた時間を大幅に遅れてしまった。しかし先に行っているはずのJから思わぬ伝言が入り、Jも行くのが遅れて、いま駅のそばにいるとのこと。慌てて電話するとコンビニからJが出てきた。遅れたときというのは、連れがいるとなんとなくほっとする。しかし、待つほうは今か今かと待っているので、遅れての到着をがっかりしたようだった。バスでSの家の近くまで行くと、バス停に見慣れた陰が見えた。「えっ?そういえばSちゃんこどもが行くからよろしくとかなんとか良く聞こえなかったけど言っていたかも?」
なんとこども達2人(男の子)がバス停に迎えにきていてくれたのだった。手を振ると嬉しそうに手を振り返してくれる。小2のたくやくんはキックボードを乗りこなし、先頭を切って家まで誘導してくれるようだ。そういえば、去年は私たち、道を覚えたとかいいつつ迷子になったんだった…Sちゃん覚えていたのかな?とちょっと照れながら、ありがたく迎えに来てくれた2人に感謝をするのだった。Jはまさひろくんの手をひきながらSの家へと足をむけた。こんな寒いのに迎えにきてくれてありがとう。でも、なんじゃいその薄着は〜やっぱり若いのうと思ってしまう、まさにおばさんの私。寒さを寄せ付けないオーラがこどものまわりにはあるのかなあ。
ちなみに意識したわけではないというがSの家のこども2人はスマップのメンバーと同じ名前だったりする。
(やぎ)


『風邪?』
ここ最近とにかく寒い。北風が冷たい。おかげで体調を崩し気味だ。昨日、「寒気がするなぁ、風邪か?」と熱を計ってみたら、34.4度しかなく、驚いた。念の為、何度か計ってみたが、0.1〜0.2くらい上がったりするだけだった。普段から平熱は低いが、こんなに低いのは初めて。体温計が壊れているのか、計り方が悪いのか、それとも何か新種の風邪なのか…。みなりん)

『救世主あらわる』
アパートの隣部屋が大家のため、深夜の物音に容赦ない。夜遅くに洗濯機がんがん回した日にはどやしたてられることは目に見えているので、洗濯はたいてい休みの日にし、パンツなど小物はまめに手洗いを心がけている。が、ちょっと油断すると「んっ?」(なんでこんなに増えてるの)な状態になることしばしば。そんなとき、これはっ!と思う物に出会った。それはバケツ型の洗濯機。バケツの下にモーターがつけてあり、従来の洗濯機と同じ働きをする。ミキサーに近い形で、シャツなら3枚、パンツなら10枚いっぺんに洗えるほどの容量。さすがに10日もほっとくようなことはしないが、ま、似たようなもんだ。しかも、音も静かなので、夜遅くにも使えるらしい。こいつは、まさに救世主だ。そんなわけで切り抜きを持ち歩き、街に出たついでに電気屋のぞく日々。(かわら)

『食欲止まらず』
寒くなり、「少しでも温かくなりたい!」と体が要求するのでいろいろと食べてしまう毎日で、着実に体が重くなってきている今日この頃。週末は少し体を動かさないと体がなまってしまう。これから迎える年末年始、更に食欲と体重は加速して増えていくであろう。(リュウ)
2001年12月04日
『コンピュータウィルス』
最近怖いものといえば、コンピュータウィルスだ。自宅にパソコンを持っていない私はもっぱら、会社でしかコンピュータには触らないのだが、しょっちゅうコンピュータに新種のウィルスが感染して機械や中身が壊れ、次々とチェーンメールのように人のパソコンに入り込み、さらに被害を拡大していくという話を聞く。その度に空恐ろしくなる。人間や動物でもないのにウィルスなんて…。この頃は、なんでもパソコンに入力しているので、これによって中身をこわされたらいっかんの終わりだ。本当はすこしずつ、感染しないパソコンに移すか、またはどこかにバックアップの機能を作っておく必要があるのではないかと、ない頭で考える。
昼間家をあけ夜中に家に帰ってみると、留守電に録音が2件あった。1つ目は平和な内容、もう一つは「ウィルスが…」というなぜか、すごく不安をあおるものだった。私の場合ウィルスというと会社を意味するので、少し青くなった。しかし、留守電というものはなんだか一方的に用件だけを伝えるので本人と会話したときより、不安はとくに倍になって聞こえるなあと苦笑いをした。もちろん夜中だったが友人に電話したのはいうまでもない。こういったパソコンや留守電など殆どの場合は便利だなあと思われるものでも、ちょっとしたことで、不便なものになってしまうのだなあと思う。
ちなみに翌日会社に行ったが、パソコンは無事だった。しかし安心した翌日、知り合いの会社からウィルスが届いたのだった。もちろんそのまま捨てたが、おちおちメールのチェックも出来ない世の中にちょっと緊張感が走った出来事だった。
(やぎ)

『フユザクラ』

冬に咲く桜があることをこの間はじめて知った。「ぴんとはりつめた空気なのかでひっそりと咲くなんて可憐だっ」と、さっそく多摩森林科学園に見に行った。
紅葉もすでにおわり、常用樹のうっそうとしげる山道を登って行くと、裸んぼうの桜木がならぶ桜保存林があり、冬桜はその一画で地味に咲いていた。
桜の花は普通、花びらと花びら、花と花との境界があいまいになって、うすピンクのぽやぽやとした雲のかたまりのように見えてしまうのだが、フユザクラはちがっていた。乾いた枝に白い一重の花が、パラッ、パラッとついている。あんまり地味なので、近づきすぎると風景にまぎれてわからなくなってしまうが、下から見上げると、にび色の空を背景に白い花びらがくっきりと浮かび上がっている。華やかでもなく、風情があるわけでもないが、なかなか存在感のあるマイペースな花なのだ。
(京)


『振り返る時』
ここ最近、以前(80年代後半〜90年代初め頃)の音楽・本・ゲームなどが、リメイクされたり少し形を変えたりして発売されている。ちょうど20代後半から30代前半の年齢層からすると「懐かし〜!」となるのだが、これも一種の企業戦略なのだろう。
そういう私も中学生のころに読んで心に残っている、フランスの作家が書いたある本を探していたのだが、絶版になっていて書店ではもう手に入らない。図書館で検索してみると「保存庫」になっていた。やっと借りることができ、まだ読んではいないが、その本がどうして心に残っているのかを確かめたい探求心なのだろうか?多分そのころの感じ方とは全く違った感想を持つに違いないが、だからこそ今読んでみたいという気持ちに駆られる。
人は、現実や将来に希望が持てないときに、昔の楽しかった頃を一時だけでも振り返りたくなるのかもしれない。
(リュウ)

師走とはよく言ったもの。まさに駆けめぐってます。どたばたです。はふぅ。
(かわら)

外出中。
(宮)

おやすみ。

みなりん)