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*画像は、「旅の絵本」第2巻

旅の絵本

安野光雅/作
福音館書店
 青い服をまとった一人の旅人が、小舟で沖に着いた。馬を買い、それに乗って、一本の道を行く。ヨーロッパの片田舎、緑の多い村を通り、人々でにぎわう町に出る。ページをめくるごとに旅人は道を進み、旅の風景は移り変わる。旅人は、やがてまた郊外を行き、馬を捨て、一人丘を越えていく。作品は4巻までつづき、イタリア、イギリス、アメリカと舞台を移していく。

 ページの端から端まで町並みや人々の暮らしの様子が、ペンと淡い水彩で緻密に繊細に描かれている。文字はない。だが、いくつもの物語が隠されている。村のマラソン大会が何頁かにわたって展開される一方で、馬小屋でのキリスト生誕から磔にされるまでの物語が展開する。町中で、おじいさんがピノキオをおいかけていたり、犬が肉をくわえて橋の上から川面をのぞき込んでいたりする。旅人の物語と同時進行で、舞台となる国や土地になじみの深い聖書物語や童話、寓話、名画の世界があちこちに散りばめられている。著者が得意とするだまし絵もある。読みすすめるごとに隠された物語を見つけていくのが楽しい。小さな発見に心躍らせながら、やがて読者もその世界に飛び込んでしまう。

 外国に行ったことがなく、憧れを抱いていた中学生の時に、この絵本に出会った。以来、自分の抱く外国のイメージは、安野光雅の描く世界に近いものがあった。当たり前のことだが、実際の外国の町や郊外のまとう雰囲気や空気は、絵本のなかのそれとはまったく違う。実際に外国に行ってみてそのことがわかるようになっても、この作品を読み返すと、そんな当たり前のことは吹き飛んで、絵本の世界にどっぷりと浸れてしまう。

 著者は実際に絵本の舞台となった地を旅し、目で見た風景や建造物、肌で感じた外国の空気を作品に取り込んでいる。その地にかかわる時空を越えたいくつもの物語が、旅人を主人公とするひとつの物語に集約されている。ただ作品世界の視点はあくまでも著者なので、「あれ?この土地のこんな側面もあるのに、ここには描かれていない」という物足りなさも多少あるが。しかし、今、読み返してみてもその構成の巧みさにはやはり惹き込まれる。この絵本に出てくる旅人は著者であるが、読者もまた主人公になり得、著者の描く「旅」にそれぞれの思いを重ね、疑似体験することができる。いくつになっても読み返したくなり、そのたびにあたらしい発見があったり、感じ方が変わったりする、そんな絵本。(文:かわら)