特別寄稿  

アーカイブス

「初めてのニューヨーク雑感」

エコノミークラスというのは、横に10人分の席をとり、長大な機内に目一杯乗客を詰め込んだ席だから、離陸から着陸までの十数時間は忍耐するほかない。何しろ狭い座席だから、旅行者にとっては、ほんのささいなことでも苦痛を軽減できることがあれば直ちに実行して、すこしでも快適に過ごすことが必要だ。
出かける前にデパートの旅行用品売場に行ったが、実にさまざまな品物をこれでもかという感じで売っている。短期の海外旅行ならば、旅行用品売場で売っているものの大半は不必要だとわかったが、機内で過ごす十数時間を少しでも快適にするために役立つものだけは持っていった方がよいと思う。
私の場合、スリッパとポケットティッシューが役だった。靴をはいたままの数時間は足にはかなりつらい。実際、いよいよニューヨークに着くというときに、スリッパを靴にはきかえたが、足が膨れてしまって、入らなかった。エコノミー症候群が、問題になるのもむべなるかな。ティッシューは機内に長くいると空気が乾燥して、しばらく鼻汁がしきりにでたためで、大変重宝した。

機内で2度食事をしたが何しろ大人数だから、食事をセットし片付けるのがひと仕事である。が、いまの世の中のこととて、コンパクトに持ち運べ、準備できる内容になっていて、これを機内サービスの担当者数人が要領よく扱っている。食事はこういう状況でこういうサービスにあわせて作られているので、とくにおいしいわけではないが、まずくて食べられないということもない。狭い座席での楽しいひとときであることはまちがいない。この席で眠ることはなかなか難しいが、どのみち同じ姿勢で長時間座っているほかないわけで途中から腰が痛くなって困った。この往路での経験に鑑みて、復路では姿勢や、小道具(小型の毛布やまくら)の使い方をすこし改良して、大分楽に過ごせた。
折角飛行機に乗っているのに、外をほとんど見ることができないのは残念だった。雲の上を飛ぶから窓が開いていれば強烈な太陽光線がまともに入ってくる。したがって、乗客の眠りのさまたげにならないように、窓はほとんど締められたままだし、離着陸のときには窓は開けてもよいのだが開閉は窓際の乗客の判断であり、横10席の真ん中の席にいるのではどっちみちほとんど外を見ることができない。
 

ニューヨークのジョン・F・ケネディ空港に着いたのは3時間余り遅れの夕方5時過ぎだった。入国に際してどんな厳しいチェックがあるかと期待(?)していたのだが、靴を脱がされたぐらいで、あとはスムーズに手続きが進んだ。最後の関門を抜けると同行の石田さんに「ここからニューヨークですよ」と言われたが、興奮するどころかさしたる感慨もなく、いささか拍子抜けした。長時間の機内生活で疲れたせいもあるし、外に出てニューヨークの空気を吸うまえに建物の中で「ここがニューヨーク」と言われても実感がわかないのは当然かもしれない。大分歩いて出迎えの人々の待つ一角に出てきたら、手に手に、手がかりになる人名や組織名を書いた、丁度人の体の幅ほどの短冊型カードを持った人々が群がっている。HISの係員が出迎えに来ているはずということを思い出して、目をこらした。これまでのところ、初めての海外旅行で、同行の2人に頼りきって動いてきたが、このときは珍しくも私が最初に出迎えの女性を発見(?)した。
 

われわれ3人の外に、もう一組(女性4人組の旅行者)を待って、マイクロバスに乗り込んだ。足かけ3日間実質2日間のニューヨーク旅行の始まりであるが、以下、ニューヨーク滞在中の記憶に残ることを2、3書いてみる。
 

ケネディ空港からマンハッタンにあるホテルまでのマイクロバスで、道路がデコボコなのに気づいた。朔北社事務所のある烏山の甲州街道など、年に幾度も舗装工事を繰り返していて、自動車に乗らない私は、これは少々やりすぎではないかと思うほどだが、ケネディ空港からのドライヴでは整備のゆきとどかぬデコボコ道に驚いた。
沿線に散在する住宅地は、さすがに一軒一軒が大きい。
案内のHIS社員が「マンハッタンが一望できる所です」と、夜景のすばらしさに注目するように言ってくれたが、すでに映像で余りに見慣れた景色のせいか、言われる程の感興はわかない。やがて市内に入っていくが、私は市内の暗さが意外であった。あとで夜、市内を歩いたときにも同じことを感じたが、街路灯はないわけ ではないが、市内の商業施設を含めて、東京と比べると、明るさに乏しい。東京も場所によるが、夜間といえども輝くばかりの明るさがあるのに比べて、ニューヨークはむしろ薄暗いと感じる景色である。
ホテルはカーネギーホールの目と鼻の先にある。ここはビジネス街であり、文化施設のある場所であり、商業地域であり、居住区でもある。複雑な顔を持った街で、そのことが街の景色にもあらわれている。




ニューヨーク市内をほんのすこし動いただけだが、移動は大半を地下鉄にたよった。その地下鉄だが、ニューヨークの地下鉄といえば、以前は治安の悪さの象徴みたいにいわれたときがあり、その後ジュリアーニ市長治下で治安がよくなったといわれていたから、興味津々で利用したのだが、第一に気づいたのは吊り皮がないこと。利用したほとんどのときが、それほどこんではいない状態だったが、座席に坐ることができなくて、つかまろうと手をのばしたら吊り皮がない。「サブウェイ・パニック」とかニューヨークの地下鉄の出てくる映画は観ているはずなのに、吊り皮のことは全く印象に残っていないのだ。それから、駅やホームなど地下鉄構内、施設の天井が意外と低いこと。地下鉄を含めて日本の駅施設には随分天井の低いところがあり、日頃、背高のっぽの外国人にはさぞかし不便だろうと思っていたのだが、ニューヨークの地下鉄も日本同様、天井は低かったというわけだ。それから、車内放送がほとんどない。これは想像通りだが、全くないわけでもなく、乗車していた車掌の意向によるものらしい。車掌が最後尾の車両でなく、真ん中辺の車両に乗っているのも珍しく感じた。日本の地下鉄も路線が沢山あって、その乗りかえやら、コースの選択やら、現地での案内はすこしも親切に出来ていないが、ニューヨークはそれ以上で事前に確認しておかないと利用しにくい。駅などの設備は、東京と比べれば、かなり荒削りというか手がかけられていなくて、ニューヨークに比べれば東京の地下鉄は全体的には、住居の延長といえる程にきれいだし、子どもを世話するみたいに過剰に親切である。
 

メトロポリタン美術館に行ったが、私は日本の美術館としか比べられないが、とにかく巨大で世界中の美術品が大量に集められているらしい、ということはよくわかった。本でしか見たことのない有名な作品がゴロゴロしているといってよい。ほんの数時間しかいなかったし、早足でかけづり回ったのだけれど、見ごたえのある美術館なのだということはわかった。ここはまた見に来なければならない。同行の1人が見たい作品を探すために館内の案内係に幾度かたずねたが、この案内係が、たまたまそうであったというだけかもしれないのだが、年輩の人が多く、それも女性か黒人が多いのだ。対応は親切で、来館者に好印象を与えた。
 



ごく短い滞在時間しかないが、9.11の爆心地には必ず行くことを同行者と決めていた。グラウンドゼロと呼ばれる場所はすでに再建のための工事がかなり進んでいて、凄惨な感じはなくなっていた。跡地はかなり広いが同時に高層ビルが密集している地域であってテレビで同時中継されたテロ当時のすさまじい光景を改めて思い出した。亡くなった人全員の名が刻まれた碑が作られていて、これは阪神淡路大震災の現地と同じく、残された人々の気持ちのあらわれである。

ニューヨークに到着した晩の最初の食事を、ブロードウェーをぐるりと回ったあと、近くのイタリアンレストランでとることになった。店に入ったらその暗さにはかなり驚いた。食事をする場所でこれ程暗い所は東京ではないのではないかと思った。(これは私の乏しい経験から言うだけで、大した根拠はないが)なにしろ字が小さいことも加わってメニューが満足に読めないぐらい暗い。私がニューヨーク旅行用に持っていったペンライトが、ここで役立ったのはお笑いである。2日目の夕食もたまたま別の場所で、イタリアンだったが、ここもかなり暗かったが「ここは何とかメニューが読めるよね」と言いあったぐらいで、東洋人と西洋人では目の構造がちがうという、心理物理学を唱える村岡哲也さんの話を持ち出したほどである。
 

ニューヨークで3回、朝を迎えたが、私は食事のあと、1人で30〜40分ほどホテルの近辺を歩いた。ニューヨークは東京ととてもよく似ているし、歩いても違和感がない。外国にいる気がしないのだ。もちろん違いがないわけではない。まずマンハッタンの建物には、かなり古い建築が混在している。古い建築を残しつつ、構造の一部に手を加えて、うしろの部分を高層建築にしている。とにかく上を見上げると、高い建物が多いが、歩きながら目に入ってくる景色は古い建物の連続で落ち着いた雰囲気を作っている。それから、市街地の建物と建物の間にすき間がないのに気づいた。人一人が入るぐらいのすき間があいているのが普通だと思うのだが、すき間がなくて、そこにはセメントか何かでつながれているのだ。
朝早い時間にもかかわらず、営業している店、とくに飲食店が結構あるのも東京とはちがう気がする。マンハッタンといえどもビジネス街だけでなく、人の暮らす町でもある、その人々の生活を支えるための店がある、ということらしい。朝食のために、そうした店に入ると、ウェイターが寄ってきて、注文することになるが、飲食店ではチップがいる。チップを出すことはやり方がわかっていれば、それほど面倒ではなくて、チップ制のせいか、ウェイター、ウェイトレスはどこでも親切にてきぱき対応してくれる。
 

会話する力がきわめて限られているし、同行の2人が片づけてくれるから、話をする機会もきわめて少なかったが、たまたま本屋の店内で場所をたずねることになったとき、とても親切で、おしまいには直接、私の行きたい場所まで連れていってくれた。日本の本屋でもこの位の親切な対応はしてくれるにちがいないだろうが、気持ちのよい対応はうれしかった。
人といえば、ニューヨーク近代美術館(MoMA)へいくときだったか、ホテルのコンシェルジェに同行の2人が道順をたずねたときの応対のすばらしかったこと。若くて小柄なハンサムな男性だったが、プロ意識に徹していて、電話で情報を確認し、その結果をテキパキと伝える態度は傍で見ていてほれぼれした。
 

朝の散歩をしたとき、マンハッタンで出会う人々が実にさまざまであることに驚いた。白人、黒人、東洋人、アラブ系の人、南米の人等とにかく人種・民族の多様性をいやでも感じざるをえない。同行の石田さんは、この国際性がニューヨークの特色で、これを単純にアメリカ合衆国全体に及ぼすことはできないと言い、「ニューヨークはアメリカではない」と端的に表現していた。
旅行者とわかる東洋人のグループにも出会ったが、それとは別にそもそも住民の構成がはなはだ多彩であることは街を歩いて実感した。もちろんメトロポリタン美術館やMoMAに行ったときの入館者の多様なこと、それから案内係だけでなく美術館職員の多様性も。ここらあたりが東京と大きな違いだろう。東京の美術館に外国人の職員がどれだけいるか、どれだけどころか、そもそも外国人職員が存在するのか。
 

セントラルパークは、まだ冬の景色で茶色に枯れきっていて残念だった。3月末なのに、日本の真冬以上の厳しい寒さで、コートを持っていってよかった。セントラルパークでは日曜日だったせいもあり、市民のマラソン大会があったようで、大勢の老若男女が思い思いの服装と走り方で、楽しんでいた。
 

実質2日間のニューヨーク滞在だから、見たところはほんのわずかでしかなく、ほとんど何も見ていないようなものだ。エンパイヤステートビルも、国連本部も、ニューヨーク港も、カーネギーホールもみていない。ニューヨークは近いうちに再度行かなくてはならぬ場所になった。(宮)