【一般】
関東大震災と中国人虐殺事件
今井清一/著
四六判 上製 216頁 ISBN 978-4-86085-136-1
(本体2200円+税) (2020.1)

資料の改ざん、事実の隠蔽。
あったことがなかったことにされる日本、本当は何が起こっていたのか?

関東大地震は、1923(大正12)年9月1日の正午に始まり、東京・横浜を中心とする首都圏を襲い、その直後にその近くを震源とする例外的に大きな余震が続いた。両市の下町を初めとして無数の密集家屋が倒壊し、大火となって荒れ狂った。東京市の場合、3日朝まで燃え続けた。震災全体の死者・行方不明者は10万5千余人にのぼった。
戒厳令が布告される中で、朝鮮人が蜂起し井戸に毒を入れたり放火したという流言が広がり、中国人もあやしいとされ、背後には社会主義者が糸を引いているなどの尾ひれもつけられた。
数千人にのぼるとされる朝鮮人と数百人に及ぶ中国人が虐殺され、社会主義者や労働運動家も殺された。日本の敗戦まではこれらの事件の報道は厳しく禁圧され、戦後にこうした禁圧が解かれた後になっても、解明の歩みは遅々としており、今でもかなりの日本人にとってふれたくない事件とされている。政府も事実を明確に発表してはいない。
本書では的確な資料が比較的存在している中国人虐殺事件に的をしぼり、多角的に考察した。
 
記録、資料から事実を明らかにする
本書は、1923年の関東大震災に際して起こった中国人虐殺事件を扱うが、その背景として少なくとも日清戦争以来の日中関係の変遷があることを指摘する。さらに当時の日本政府は、独立国である中華民国の国民を虐殺したことが重大な外交問題になることを危惧して、事実を隠蔽し記録を改竄しただけでなく公表を禁止した。現代の政治問題にも通じるこうした政府の対応を、本書は、戦後発掘された記録、資料に基づいて明らかにする。
本書刊行の今日的意味
40年以上前に執筆された本書冒頭の論文は刊行当時は、何ということなく読み過ごされてきたと思われるが、現在再読するとき内容の今日的意味に注目せざるを得ない。すなわち中国人虐殺の事実を隠蔽する方針を決めていく生々しい過程を読むと、その後の大戦中の大本営発表や、終戦時の公文書焼却、そして今日の政治問題であるモリカケ問題・桜を見る会の問題まで、日本政府の事実を事実として受け止めて立ち向かうことができない危険な体質が今日までまっすぐ継続していることを明確に認識することができる。本書は刊行に際してこの問題に関して自覚的に再構成され、また新たに執筆されている。

■目次
 
まえがき

T 大島町事件・王希天事件と日本政府の対応
はじめに/亀戸の中国人虐殺事件と王希天の殺害/政府中枢の対応

U 関東大震災下の中国人虐殺事件が明らかにされるまで
民間人による真相究明の動きと当局の対応/久保野日記公開と米国作成の「日本外務省文書マイクロフィルム」/市民の手による事件の掘り起こし/東アジアの国際情勢

V 内田康哉臨時首相と戒厳令布告
震災直後の内田康哉と伊東巳代治/戒厳令と虐殺の拡大/第四七議会における虐殺批判とその結末

W 大杉栄らの「骨なし」民衆葬と「斬首陰部露出」写真
大震災四〇周年から七〇周年へ/大杉栄らの「骨なし」葬儀と有島武郎のカンパ/亀戸の「斬首陰部露出」写真と横山代議士・平沼法相の問答/『偕行社記事』と小樽高商軍事教練事件

X 震災下虐殺事件の国内的国際的背景
山崎今朝弥の『地震・憲兵・火事・巡査』/真相を隠すための弁明、アリバイ工作/日中労働者の仕事の奪い合い

Y 小村家の系図から見た日中関係の変遷
前橋で教育を受けた宰相鈴木貫太郎/飫肥(現日南市)の小村寿太郎記念館訪問と満州義軍の人びと/「ポーツマスの埋め合わせを北京でするやの感」/日露戦争での袁世凱の対日協力と北京日清会議での応酬/パリ講和会議と外交の変貌/小村俊三郎と佐分利貞夫/秘密とされた外交文書の公開

あとがき
年表/索引引





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