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「この本おもしろかったよ!」
1ケ月に約2冊のペースで朔北社の社長である宮本のお気に入りの本を紹介。本のジャンルは様々なので「本を買う時の参考にしてくれればいいな。」という、ひそかな野望がつまっているコーナー。

【紹介した書籍に興味をお持ちの方へ】 この本は朔北社の出版物ではありませんので、出版状況等に関しましては、お近くの書店、あるいは各出版社にお問い合わせ下さい。

痩せ我慢の精神 日本語が亡びるとき 英語の世紀の中で


水村美苗/著

筑摩書房


この本の内容をごくかいつまんで言えば、われわれが、日ごろあたりまえのように話し、書き、読んでいる今日の日本語について、近代化とともに形成されてきた、その歴史を丹念にたどり、予想される今後の運命を推理し、その存続に必要な手立てを述べている。著者の経験につねに関連づけながらきわめて説得的に。しかし、このように要約しても、この本の本当の面白さを少しも伝えることにはならない。
まず国語と呼ばれている近代日本語の成立−−読み、書き、話す--が問題にされている。国語と呼ばれるものの成立と国民国家の成立は密接に関係していて、このあたりのことをアンダーソンの『想像の共同体』を使いながら説明する。そして「国民国家」と「国民文学の関係」に触れていく。荒っぽく整理すると、近代の幕が上がって「国民国家」が形成され始めるが、ちょうどグーテンベルクの印刷技術が国語を形成するのに大きな力があった。印刷技術の普及によって、地域的に多様な形で存在していた言語(ローカル言語)が国語になっていく。印刷技術と本と読者の関係が面白いが、背景に経済がからんでいる。そして18、19世紀になると、いくつかのヨーロッパ諸国に近代国民文学というべきものが発達する。明治維新で近代化にむけて歩み始めた日本ねおおいに読まれたのはこれらの文学である。つまり英、米、独、仏、露文学である。ところが今振り返ってみると、これら欧米諸国の文学にすこしだけ遅れているが、明治以降、日本に近代国民文学が花開いていた、と水村さんは言う。レヴェルといい読者のひろがりといい欧米に比肩する文学が存在していた。そしてこの近代日本文学が近現代大日本語を形成したというのである。近代日本文学の面白さ、価値は近現代日本語の面白さ、価値に通じている。
ところで今日の世界では目覚しい交通の発達と科学技術の進歩、とりわけコンピュータの異常な発達によりコミュニケーションの手段が著しい変貌を遂げた。インターネットがその代表選手で、コミュニケーションの世界は、その発達の中心にいたアメリカの圧倒的支配の下にある。つまり英語が世界の言語になったわけである。水村さんは「普遍語」といっているが、このような世界では、多くの言語が「現地語」になってしまう。「普遍語」と「現地語」の二重構造。英語が「普遍語」になったことによって、英語以外の国語が、「文学の終わり」を迎える可能性が出てきたというのが水村さんの見解で、悪循環が始まるのは、知識人が「国語」で書かなくなるときだはなく、「国語」をよまなくなるときからだと言っている。近代日本文学を深く愛している彼女は、日本語の存続のために、平凡な処方箋だが、教育の大切なこと、教育の中身として繰り返し強調しているのは、近代日本文学を沢山読ませるべしということであるこのような立場から、英語の早期教育についても傾聴すべき意見を述べている。(文:宮)