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「王様の耳はロバの耳」(2016)
 
2016年12月27日
『支持率60%』 安倍内閣の支持率が60%ぐらいをキープしている。安倍首相のことを、民進党代表の蓮舫は息をするように嘘をつくと言ったが、そういわれるのももっともと思う発言の連続だ。「我が党は結党以来、強行採決をしようと考えたことはない」などとよくも言えたものだと思うが、そう思うのは少数派で、民主主義は多数決なのだから、採決するのは当然という政治意識の人びとが安倍首相を支持する。有権者の多くは過去の事実、とりわけ謝罪を要求されるようなマイナス材料などに興味はなくて、一本調子にぶれない安倍首相を応援する。世界中が物情騒然たるありさまのときに、首相の一種鈍感な愛国主義に共鳴しているように見える。しかしそれですむはずがないと思う故に、日本の行く末がひどく不安であり、心配である。心配する人々は少数だが存在していて、さまざまな活動を展開している(年輩者が多い)。だが、その動きはマスコミでほとんど報じられることがない故に、そんな活動が存在することすら多くの人は知らない。マスコミは外国の政治デモは随分丁寧に報じる(たとえば香港の雨傘革命やパク・クネ大統領批判大集会など)のに、日本の反安保法制や反原発デモをほとんどのマスコミは無視している。報道されないということは存在しないことと同じではないが、存在のエネルギーは空しく消えていく。危機的状況のなかでのマスコミの働きがどれほど大切なものか、当事者は知らなければならないと思う。(宮)
2016年12月16日
『馬頭琴とモンゴルクラシック』 先日「モンゴルクラシックを弾く〜モンゴル国の音楽における民族主義とモダニズム〜」という音楽会を聴いてきた。馬頭琴の演奏という話だったので生で聴くのは初めてなので期待して出かけた。ただチラシでは「モンゴルクラシックを弾く」と言っている。どんな曲が聴けるのか?10曲ほどのうち2曲は民謡つまり民族音楽でこれは面白く聴いた。あとの曲は現代モンゴルの作曲家の曲。プログラムをみると作曲者は音楽学校で勉強した人たちらしい。100年ほど前の日本と同じで西洋音楽の洗礼を受けて、現代のモンゴル音楽を作り出すべく苦闘しているのだろう。馬頭琴協奏曲というものも演奏された。こういう曲では馬頭琴がチェロのように扱われ弾かれていた。10年前刊行した『東アジアの近現代音楽』では日本、中国、朝鮮の近現代音楽の歴史が辿られていたが、モンゴルも何十年か遅れて同様の道を歩いているのだろうかと思った。しかし、モンゴル人民共和国は100年近くまえに成立しているから、私が知らないだけで、その時分から西洋音楽との格闘は始まっていたのかもしれない。さまざまなことを考えながら馬頭琴とピアノの演奏に耳傾けた。聴きながらついつい余計なことを考えた演奏会だった。馬頭琴奏者のデルゲルマーさんはアンコールにポピュラーな西洋音楽の小曲を演奏したが(曲名が分からないがだれでも聴いたことのある曲)、聴衆はこの演奏に一番熱っぽく反応した。日本人は西洋クラシックに充分に馴染んでおり、演奏技術でチェロに劣らぬ2弦の馬頭琴のすばらしさに盛大な拍手をしたが、この曲を馬頭琴で聴くよりチェロかヴァイオリンで聴いた方が自然だし、馬頭琴なら私は民俗音楽を聴きたい。西洋音楽と民族音楽の関係をあれこれ考えさせられた演奏会であった。(宮)
2016年12月9日
『真珠湾攻撃』 12月8日は1941年に日本海軍の機動部隊が真珠湾を奇襲攻撃した日である。あれから75年経ち、今年12月末には安倍首相が真珠湾を訪問すると報じられている。真珠湾攻撃といえば当時の山本五十六連合艦隊司令長官の発案といわれている。山本は太平洋戦争における名将と長年言われてきたが、近頃では大分評価が変わってきているようだ。真珠湾もさることながら、最近では半年後のミッドウェー海戦での大敗北に責任をとらなかったことを批判する人が出てきた。時の経過が、評価を変えていくということだろう。
山本は海軍の良識派の中心人物の一人であり、海軍次官当時、大臣の米内光政とともに日独伊三国同盟に、あくまで反対したことはよく知られている。その後次官を辞めたとき、米内光政は、右翼につけねらわれていた山本の安全のために、海軍大臣ではなく連合艦隊司令長官にして海上に逃がしたという。しかし、当時の国際情勢のなかで、日本が戦争に巻き込まれないためには、山本が大臣になっていれば、違った展開もあったかもしれない。米内はまさかその後日本がずんずん日米戦争のほうに突き進んでいくと思わなかったのか?日本の運命と山本の命を天秤にかけたわけでもないだろうが、この人事を残念なことだと思う。山本が大臣でも時の勢いを変えることはできなかったかもしれないが。米内の判断から、ひとつひとつの動きがじりじりと戦争に向かっていることを認識することの困難を思う。
(宮)

『行きたかった展覧会、ふたたび…』  過ぎ去り3月から9月頃まで長期にわたり静岡にあるベルナール・ビュッフェ美術館でロベール・クートラス「僕は小さな黄金の手を探す」の展覧会があった。行きたいなあとずっと思っていた。まだまだ時間はあるから夫と旅行がてらにと考えていたが時は飛ぶように過ぎ、気がついたら終わっていた。何度か新聞に記事が出ていてなぜだか見に行かなきゃならないと思ったのはなぜなのか判らない。行けないと思うとよけいに思いがつのるものだ。
 ところがである…なんと毎日の日課のようにツイッターのほかの人のツイートを見ていたら目にとびこんできたのは見たかったロベール・クートラスの展覧会の記事。今度は京都であるらしい。12月17日〜3月12日までとある。今度こそ行かなければ…さらに遠くなったけど行けるかな?…
(やぎ)
2016年12月2日
『政治の世界』 世界各地で政治の世界が激変する気配だ。アメリカにトランプ大統領が誕生する。少しずつ明らかになっている閣僚人事をみると、責任ある立場に立ったら現実的な(穏健なという意味がこめられている)政策を採るだろうと言われてもいたが、そう希望通りには進むようにみえない。アメリカの利益優先の政策で世界を引っかき回すかもしれない。来年4,5月に行われるフランスの大統領選挙の候補者が報じられているが、中道右派のフィヨンと極右のルペンが競うことになるらしい。右よりの選択が現実の問題なのだ。イタリアでは12月に、2院政を1院政に変える憲法改正案の国民投票がおこなわれ、その結果次第ではイタリアのEU離脱もあり得るそうだ。隣国韓国ではパク・クネ大統領が辞職する。フィリピンには過激なドゥテルテ大統領が政権にある。わが日本国では過去の事実をご都合主義で解釈し、事実に反する発言を平気で繰り返す安倍首相が高い支持率を誇っている。これから先日本はもとより世界の政治、経済、社会にどんな激変がまっているのか。毎日、耳目を集中させてニュースを見ている。(宮)

『ツイッターをいじって考えたり、思ったこと』  前回、ツイッターいじってみたことを書いたがその続き。
 人はどんな情報を朔北社のツイッターから求めるのか?今はまったくわからない。でももし自分が好きな人がやっているツイッターをながめるならこんなのがあったら嬉しいなあという情報を流すことかなと考える。本からあまり離れず、自社の本も紹介しつつ、会社のまわりの様子もたまには紹介しつつ、感動してほかの人にも見せたいという記事を共有したりして、地道にやりたいなあと思っている。って私だけじゃなく社長と出版部の2人の合計3名で発信します。なんせ基本的に地味な人たちの集まりですから派手なことはできません!
 今のところツイッターの顔の部分は、社長の似顔絵(すごくうまく描けたのでそのまま残したい気もしますが)なのでみんなで文章を書くと社長なんだか人変わった????と思われる方もいるかもしれません。そのうち似顔絵からイラストをほかのものと差し替えるかと考えている。今さらだけど朔北社のマークとか…。難しい。
 ツイッターをいじっていて気づいたが、一度いじりはじめるとすごくそのことに支配されてしまう自分がいる。気をつけなければ。私のような人間は個人でやってはいけないなあと心から思ってしまう。そしてびっくりしたのは、ほかの出版社のフォロワー数の多いこと。作家の人など、だれのこともフォローしていないのにフォロワーが何千もいる人もいてびっくりした。どうやったらそんなに興味をもってくれる人を増やすことができるんだろうか。今度聞いてみないと。
(やぎ)
2016年11月25日
『護岸工事』 昨日の朝、雪が降るなか浅川の土手を歩きながら、こんな天気なのに対岸の河原で進められている護岸工事をみていたら、ショベルカーが面白い動きをしているのに気づいた。まず、山のように積み上げられた土砂をすくい上げる。それから90度ほどアームを回転させてショベルをガタガタガタとゆさぶる。この動きで土砂のなかの土(細かな形状のもの)がふるい落とされた。それからさらにアームを回転させてふるい落とされた土の脇につくられた池(水溜まり)の中に一度ショベルを沈めてから持ち上げる。土を水で洗い流しているのだ。そしてさらにアームを回転させてショベルの中に残った石を石の山に吐き出す。こんな芸の細かな作業を面白く見物させてもらった。(宮)

『ツイッターいじってみました』  世の中ブログとかフェイスブックとかツイッターとかラインとかとにかくいろんな媒体で人と繋がることができるが、実際に個人でどれもやったことがない。繋がる手段といえばメールと電話と手紙くらいのものか。
 会社のツイッターはというと…社長が自分でいつのまに始めていた。ちょっと新しいもの好きなんだと思う。登録した日を見ると2011年5月とある。好奇心があるのがえらい。そして社長が始めたツイッターだが、更新はポツリポツリ。自分で発信したことはないけれど見たことはあるツイッター。社長の更新をはたからみながらどうせやるならもっと活用すればいいのにと思っていた。
 認識があっているか否かはまったくわからないが、ホームページもブログもフェイスブックもツイッターもどれも個人では今のところやりたくないのだけれど、会社で使うならどれも会社の持っている情報を発信するツールだと思うし、見てくれる人がいるなら、有効な広告手段だと思う。
 役割をわけて考えるならホームページはホームというだけあってドーンと構えた会社そのもので、毎日じゃないにしろ定期的な更新が必要なもの。フェイスブックはちょっとわからないが、ツイッターは速報的に、そしてもっと気軽に発信する、即効性の強いものであり、家というより家の中で家族が今日あった出来事を話すような…もう少し気楽なものという認識だ。しばらく前から社長だけが管理していたツイッターにログインするIDとパスワードを教えてもらった。とりあえずジャンルを分担してツイッターをいじることに。はじめはどこをどう触ればいいのかもわからずおっかなビックリ。いいね!とツイート、リツイート、引用リツイート、削除が行えるようになったところだ。
(やぎ)
2016年11月18日
『月』 14日は満月で、何十年に1度の大接近、3割ほど大きく見えるという。楽しみにしていたが天気が悪くて見ることが出来ない。翌日もなお天気はよくないが、雲が動いてときどきすがたが見える。しばらく前には目が悪くなって月をみると輪郭が二重、三重に見えたのに、天を仰いで月を見るとくっきり見える。目がよくなったわけはないのに、どういうことか不思議だ。近頃はますます老眼頼みの生活になってしまったのに、月がくっきり見えるのはありがたい。大きさはどうか。たしかにいつも見ている月よりは大きい。数日後、朝の通勤時に欠けた月がうかんでいる。それがいかにも薄い影みたいな姿だが、やはり大きいのだ。満月は見られなかったが、月で幾日か楽しませてもらった。(宮)

『愛のカタチ?』 毎日ではないがお弁当を夫婦二人分作っている。前にも書いたが寒い時期に嬉しいスープジャー。スープジャーにスープを入れてその蓋の上に軽く丸くにぎったご飯が定番だ。ある日夜遅くに帰った日に、駅で夫にカエルコール。
夫「あのさあ、今日のお弁当さあ」私「え?なに?」
夫「今日のお弁当のご飯が、ハートだったんだけど…」私「え?ハート?ご飯が?」
夫「ハートにしたのかなって思って…」
私「いや、たまたまじゃん?ハンカチで包んだり袋にいれたときにどっちかに力が入っちゃったのかも」
夫「だよね。そうは思ったんだけど…」
夫よ、私はそういうふうなかわいい嫁ではないのだよ。残念でした。無意識の愛情表現とでもしてもらえたらいいんだけれど。丸いご飯にくぼみを入れてハートにするのはたやすいこと。このぐらいのかわいげがあれば私も、もっともててたかもしれない…と思った夜だった。
(やぎ)
2016年11月11日
『出口調査』 アメリカ大統領にトランプが選出されたが、番狂わせだとさまざまに論評されている。番狂わせの原因を探って、全米で2万数千人を動員した出口調査のことが出てきた(出口調査発祥の地はやはりアメリカなのだろうか?)。ネットを見ていたら、日本政治の動向に関して筆坂英世が、選挙は水物だとして自民党の気の緩みと驕り、野党共闘の行方と小沢一郎の水面下での動きなどについて書いていた。情報通の話は面白いが、私は投票率の低さに表れた政治意識の動きが大きな問題だと思っている。それはともかく、筆坂は最近の選挙報道では出口調査が多用されて、投票が締め切られこれから開票が始まるときにテレビ画面では開票率0パーセントで当選確実と表示されるのは、第1に有権者の開票を見る楽しみを奪うし、第2に候補者には失礼だと批難、出口調査を禁止すべきではないかと主張していた。禁止するのはどうかと思うが、開票率0パーセントで当選確実の表示がおかしいというのは同感だ。私は、出口調査の回答者が自在に嘘を言って、あちこちの選挙区で、報道の「当選確実」が外れれば報道機関もやり方を改めるかもしれないと淡い期待をしている。開票が始まれば半日もすればすべての結果が判明するのに一刻を争い手間ひまかけて出口調査をするのは馬鹿げているが、報道機関どうしの競争があるから率先してやめるところはありそうもない。だとすれば出口調査の回答者が正直にいわなければいいだけのことだ。開票結果はちゃんと出るわけだから、出口調査で何を言おうが投票者の自由ではないか。愚かしい報道機関に協力することは無用だ。もちろん本当の希望は当選確実表示の競争から離脱する見識をもった報道機関が出てくることだが。(宮)
2016年11月7日
『護岸工事』 毎朝歩いている浅川土手に「まちを洪水から守るため護岸工事をします」という表示がでた。いまの両岸に土手もきちっと建設されたもので、これにさらに護岸工事をするということは土手のかさ上げをするのだろうか。見慣れた景色が変わるのはいささか残念な気がするが、年に数度の土手の草刈りをはじめ、河原に砂利を入れたりさまざまな手が加えられていまの姿があるので、そもそも人工的に作り維持されている景色なのだとあらためて思い直した。どんな姿に生まれ変わるのか楽しみに待つこととしよう。(宮)

『おかえりなさい』 毎朝、高幡不動から南平の会社までの川沿いの道を歩くときに挨拶をかわし合うようになった、おじさんが具合が悪そうな姿を最後に会えなくなった話を「ロバ耳」に載せたのは何時の日だったろうか。調べてみたら2月だったか3月だったかと書いてある。それから一度も彼の姿をみることはなく、歩きながらおじさんのことを考え、あれが最後だったなと心に穴が空いたような気持ちになっていた。ところがつい最近のある朝、いつものようにその道を歩いていると、な、な、な、なんと、そのおじさんがいたのだった。挨拶とちょっとした会話しか交わさない間柄でしかなかったが、元気だったことが嬉しくて(申し訳ないけれど、倒れて長期入院とか…もしかして亡くなられた…と思っていたので)、そしてあまりにも悪い結果を予想していたのでびっくりしたのと両方で思わず本物なのかどうか確かめる意味もあり肩を思わずポンポンと叩いてしまった。そして私が「よかったよかった、ずっと見なくなったんで心配してたんです。入院されてるんじゃないかと(心の声:半分は死んだと思っていた…ごめんなさい)」と言うと「あの体こわしたあとは昼間に歩き、そのあと夏になって暑くなったから朝も起きてすぐの早い時間歩いてたんだ」とのこと。「だんだん寒くなってきたから、またこの時間に歩くから、これからは毎日会えるねえ」と人懐っこく笑った。「まあ、私もさぼることもあるので、あえない日もあると思いますが…」とかなんとかいいながら別れた。心の中でああ、死んでなくてよかった、元気でよかった、そしておかえりなさいと言ってみた。ほっとした朝の1コマであった。(やぎ)
2016年10月28日
『田園交響曲』 23日の「音楽の泉」はベートヴェンの田園交響曲。最近はこの番組を聴きながら食事している。演奏はブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団。解説の皆川達夫さんはよくこういう選択をする。以前もたしかベートーヴェンの第9だったと思うが、フルトヴェングラーの演奏を使った。ワルターの「田園」は50年ほどまえの録音だしフルトヴェングラーはさらに10年以上前の古い録音である。皆川さんは、この「田園」について楽章ごとに丁寧に解説して、いい曲ですねえと感想まではさんだ。ワルターの「田園」というとわたしには忘れられない思い出がある。高校1年のとき図書委員をしていて、よくレコードコンサートをやった。昼休みには定期的にしていたし、模造紙(といっていた紙)に曲目などを大きな文字で書くのが仕事だった。シュトラウスの「ウィーンの森の物語」とか「春の声」という曲目をこのときはじめて覚え、聴いたと思う。ときどき放課後の時間に臨時のコンサートがあった。その臨時のコンサートで「田園」をかけることになり、上級生からレコードを持ってくるように指示された。このときワルターのレコードを持ってくるように特に注意された。ところが演奏家のことをよく知らないし、レコードに慣れていなくて時間をかけてやっと見つけた交響曲第6番のレコードをほっとして持っていったところ、「違うじゃないか、ワルターのと言っただろ」とひどく文句を言われたのである。わざわざ注意したのに見つけだせなかったのだから文句を言うのはもっともだった。そのあとどうなったか記憶になくて、指示されたワルターを探し出せなかったという少々恥ずかしい気持ちだけを鮮明におぼえている。指示したあの上級生は演奏家による違いまでよくわかっていたのだろうと、感心して思い出す。(宮)

『家の中に滝?』 夫の実家である佐世保の家は今は両親がいなくなり夫の弟の家族が暮している。もともとは義母の実家でかなり古い建物。それを考えると増改築はしているものの場所によっては築60年はくだらないかもしれない。さすがにあちこちガタが来ていて直さなきゃいけないとこだらけだと話していたが、ある日帰省したときに「よく台風情報で佐世保が出てたけど家のほうは大丈夫でした?」と聞くと、実は…と義弟。「え、なに?改まって」と思っていたらなんと、「台風が多かった時期に2階の部屋が…」という。詳しく聞くとその日は義妹は長女5歳を連れて美術館へ。ちょうど長男2歳はお昼寝をしたのでその隙にと義弟と長男をのこして出かけたのだそうだ。
次第に雨が強くなり心配していると寝ていたはずの長男2歳が降りてきた。「おとうしゃん、おとうしゃん、ねんね(いつも寝ている部屋)にあめがふってきた!」といったらしい。雨が激しすぎて目が覚めたのかなくらいに思って2階にいくとそこにはなんと滝があったのだそうだ。幸いにも長男が寝ていた場所から少し離れた場所だったので濡れずにすんだようだが、家の中に雨がジャージャーと降ってきたら誰だって驚くだろう。それも幸いにも亡くなった義父がためにためていた白いタオルを前日に出してきており、こりゃ当分タオルと雑巾に困らないなとこのタオルの量にあきれていたのだが、これが非常に役に立ったらしい。義父はこの事態を空の上から予見していたのかもしれないし、義弟の野生の感が無意識に働いたのかもしれない。翌日家の修理のため業者に電話して発覚したこの滝のような雨漏りの理由…なんと雨どいにゴミがたまり流れきれなかったものが溢れて屋根裏に入り込んで滝のように漏れ出したという、なんともな理由だったらしい。義弟は恥ずかしかったけれど、屋根ごと修理でなくてよかったと胸をなでおろしたそうだ(いくらかかるんだろうと気が気じゃなかったらしい)。持ち家を持ったことのなく、5〜6年前まで横浜の集合住宅暮らしだった2人の大人が家の手入れとはなにかなんてわかるはずもないような気がするが(きっと私もそんなこと考えもしなかったと思う)、家を持つのはこういうことなんだなと思った出来事だった。一瞬だけだけど目黒雅叙園の川の流れるトイレを思い出した。それとは天と地の差だろうけれど…
(やぎ)
2016年10月21日
『千曲川旅情の歌』 秋晴れの浅川土手を歩いて、澄みきった流れを見、音を聴いていると「千曲川旅情の歌」を思い出す。それからもちろん加藤君(中学時代の同級生)のこと。国語の教科書に島崎藤村の「千曲川旅情の歌」が出ていて強い印象をうけ、浅川を見てすぐに思い出すほどなのだが、加藤君は「千曲川旅情の歌」以来、藤村の詩集にのめり込んでいて熱っぽく藤村を語っていた。加藤君は藤村に熱中し、わたしは土井晩翠がいいといって二人で議論した。卒業以来一度も会わないが、浅川土手を歩きながら、いまどうしているかと思うのである。

「千曲川旅情の歌」のはじめのところ(小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ 緑なすはこべは萌えず 若草も藉くによしなし しろがねの衾(ふすま)の岡邊 日に溶けて淡雪流る)
(宮)
2016年10月14日
『築地移転問題』 豊洲の建設をめぐって都庁、都議会は大揺れだ。断片的な報道を見聞きしただけでも疑問続出である。稟議制のもとで公務員が仕事をしていれば関係部署、責任者などわからないはずはないのに、責任の所在がはっきりしない調査結果を提出した。また、築地の機能を満足に移行できないらしい豊洲の建設というのも疑問だ。今後、どんな大きな疑獄事件になるのかと思う。ここまできたら、対処法のひとつとして原点に立ち返って築地の改造改築を、築地の業務をやりながらするべきだという意見を聴いたが、これをやって欲しい。その説を言った人いわく、渋谷や新宿の大改造を電車を走らせながら出来るのだから、築地の改造改築も技術的には可能だ。すんなり納得した。ただしコストのことは問題だろうが。(宮)
2016年10月7日
『浅川土手』 高幡不動から事務所のある南平まで浅川土手を歩いて通勤しているが、全行程中土手は9割ほどでこの間並行してすぐ脇に道がある。雨の降る日や台風が来ていたりすれば土手を降りて歩く。土手を歩くのは視野が開けて気持ちいいが土手の脇の道から見上げる景色にはまた別種の面白さがある。下から見上げる土手は場所にもよるが道路から3〜4メートルほど高い。見上げると草に覆われた土手と空しか見えない。歩いている人がなんともいえぬ風情を感じさせる。自転車も通る。するとたちまち思い出すのは『青い山脈』や『サウンドオブミュージック』の自転車で走っていく場面だ。下から見上げた土手を自転車が気持ちよく走る様は忘れられない。土手や土手の下を歩きながら何十年も前の映画の場面を思い出すのだ。(宮)

『にせもの』 名前が牧子(まきこ)なので私は、昔から九州の甥っ子たちにマッキーと呼ばれているのだが、2歳5ヶ月の甥はなにやら“マッキー”を“ミッキー”と間違える。かの有名なキャラクターと同じに呼ばれるのはなんだかはずかしく、「ミッキーじゃなくてマッキーだよ」と何度も教えるのだが、なかなか直らない。夫はそれをみて笑いながら、「にせものミッキーだから、チャイニーズミッキーだ!」と中国のパクリ物を揶揄してそう言い放った。私はパクリものでもなんでもないんですけどね!
チャイニーズミッキーを気に入ったらしく義妹も大喜び。駅まで送ってくれたときなど改札の向こう側から大きな声で自分の上の子(姪5歳)と二人で「チャイニーズミッキーバイバイ〜!」などと言って手を振ってくる。嫌がるとますます目が輝いているではないか!マゾか!こっちは人目が気になるどころじゃない。もしも中国の人がいたら嫌な思いをするのではないかとヒヤヒヤと心も休まらない…甥っ子よ早く私の名前を覚えようね。ミッキーなら人気者なんだけど、私はそれほどじゃないのだよ。
(やぎ)
2016年9月30日
『トーハン』 久しぶりに新刊見本出しに日販、トーハンを訪ねた。どんより曇った陰気くさい天気。両取次とも6階だからエレベータであがる。途中で乗り降りがあるが、トーハンでのこと、3階で停止した。ところがロビーが暗い。大袈裟に言えば真っ暗だ。ビジネスで活動しているビルで昼間のこの暗さにはいささか驚いた。働いている人たちは気にならないのだろうか。経費節減で上から指示が出ていれば、従うしかないのかもしれないが、これでは志気が上がらないのではないかと心配になった。見本だしで6階で降りたが、6階は3階ほどではなかったものの明るいとはいえない。建築後長い年月を経ているから照明設備が旧式になったなど理由はいろいろあるのだろうが、・・・。(宮)
2016年9月23日
『豊顕寺』 仕事がらみでときどき会うことはあったが、考えてみたら個人的にゆっくり話したことなどなかった友人。気づいたら初めて会ったときから40年たっている。たまたま最近お互いに関係した本を交換したことから、会おうということになった。彼女は横浜市の三ツ沢公園の近くに住んでいる。その住まいは三ツ沢公園というよりは豊顕寺市民の森の隣に位置していた。初めて行った場所だが、豊顕寺の境内の森の変化に富んだ広がり、横浜の都心から2キロほどの場所にこんな自然があることに驚いた。樹齢500年の大木あり、花見の出来る草原あり、四季折々いろんな自然を楽しめるのだ。すっかりくつろいで午後の数時間を過ごしたのである。(宮)
2016年9月16日
『丸山真男回顧談』 『濱口雄幸伝』刊行のきっかけとなったのは、私の大学時代の恩師今井清一先生が丸山真男の依頼で濱口雄幸の伝記原稿を書きあげたということを、2010年に『丸山真男回顧談』で読んだことだ。編集作業は50年前に書かれた200字詰め原稿用紙の手書き原稿を入力することから始まった。その後丸3年を費やして2013年末に刊行することが出来た。その忘れがたい『丸山真男回顧談』が岩波現代文庫になった。単行本の刊行は2006年だから11年後に文庫化されたわけである。体裁は異なるが福沢諭吉の『福翁自伝』に対応する本だと思っています。(宮)

『社会のしくみを知ろう』  ここ数年税金のことなどを考えることが会社でも家でもあり、いかに私自身が世の中をわかっていなかったかと痛感している。私が子どものころは税金というものがなんたるかあまりちゃんと意識したことはなかった。
 国民が国や市町村に払うべきお金はどんなふうな流れをへて何に使われているのだろうか?政治家が国民一人一人から集めたお金をどういう意識で使っているのか?どんなしくみのために集めているのかについては、漫然と知っているような気になっていたが、現実は全然違っていた。このしくみを考えるのも大変なことだと思うし、常に考え続けなければいけないことのように思う。だれにとっても完璧なしくみなど、なかなかないし、不公平にならないように国民一人一人が今よりもくらしやすくすることそれ自体が政治の大きな役目だし、税金の使い道だと思う。もちろん政治まかせにしておいたら政治家たちにとっては想像もつかない状況にいる人のことも気づかないだろう。聞いて知るのと、経験して知るのはまったく違うのだから、伝えるのだって苦労するだろう。
 今は消費税というものがあり、子どもたちもお小遣いなり、お年玉なりを持って買い物をすれば何歳の子どもたちだって税金を支払う仕組みになっている。最近になって仕組みがだんだん見えてきた私は、子どもの頃から自分たちの生きている日本という国にもっと関心を持てたらいいなあと思うようになった。政治もその一つ。一言で政治というと何をお堅い話をと敬遠されてしまうかもしれないけれど、政治とはたぶん私たちの暮らしそのものなのだと最近思っている。税理士の友人がいるのだが、最近、小学校や中学校に行って租税についての授業をするという話を聞いて、ほほうと思った。そんな授業が子どものときにあったらよかったなあと。もっとそういうことが広まっていくといいと願っている。
 今子どもの貧困、若者の貧困、下流老人などと、新聞やメディア、本にも書かれているが、ではどこに行けばお金があるのだろうか?いざ降りかかってきた困難に人はどう立ち向かえばよいのだろう。しくみをしらなければただ黙って泣き寝入りをするだけだ。でもいろんなしくみを知っていたら対応できることも違うだろうし、間違った政治の判断があればNO!とも言えるのではないかと思う。私自身も、まだまだしくみの端っこをかじったところ。私ももっともっと勉強しなければ!
(やぎ)
2016年9月9日
『土手の景色』 草ぼうぼうだった土手は今週初め除草作業で景色が変わってしまった。土手の両側と河原まできれいさっぱり刈り取られて辺り一面草のニオイが充満していた。周囲を見回すと、成長した草で視界が結構遮られていたこともわかった。それからほんの2,3日経っただけなのに今日は刈られた草の間から新しい芽がいたるところで出てきている。たくましい生命力。このところ台風がとっかえひっかえ襲ってきて大雨警報や避難情報まで出ていたのだが、その合間に除草作業がされて夏から秋に向かって景色が一変した。さわやかな秋の到来を期待させられる。(宮)
2016年9月2日
『土手通勤』 台風が接近して大雨が降り避難警報が出る騒ぎ。雨はひどかったが台風は東北にむかって翌日は雨があがり、浅川は茶色の濁流が勢いよくながれていた。流れる音も大きい。そんななかいろんな種類の鳥があちこちに集まっている。濁った水に浮いている鳥を見ていたら、全身を水中に没してしばらくでてこない。待っているとやがて潜ったところから少し離れたところに浮き上がった。餌をあさっているのだろう、そんな動作をくりかえしていた。大雨のあとの茶色の水に餌があるのかと思うが、あるに違いない。その翌日になると濁流は以前のきれいな流れにもどり、水量のせいか明るい青色をみせている。土手の歩道は両側に草が生い茂って道幅が狭くなっているが、季節の移り変わりを日々目にしながら20分余を毎日歩いている。(宮)
2016年8月26日
『ラジオ第2放送』 ラジオを聴く生活になり、引越して耳を傾ける時間が変わった。最近は夜8時から9時頃に食事をしながら聴くことが多い。第2放送は8時から高校講座で8時半から「教養番組」が並ぶ。高校講座も面白く聴くことがないわけではないが、8時半からの番組には楽しみに聴いている連続モノがある。ひとつは「科学と人間」というタイトルだが中身は最近の天文学の話。これがすこぶる面白い。太陽系外の惑星の探査・発見の歴史など話している井田茂さんの研究の歴史と重なるとても臨場感溢れるもので、30分がとても短く感じる。今日の科学研究の現場の話であり、毎度次回が楽しみな番組だ。それから大村彦次郎さんが解説し、宇田川清江さんが進行役を務めるラジオアーカイブス。今は亡き文学者たちが取りあげられその肉声が聴ける。今週は福沢諭吉について講演している江藤淳で思わず聞き惚れた。それからもうひとつ「歴史再発見」という番組でいまは柴桂子さんが「江戸期に生きた女表現者たち」と題して江戸時代の女性たちを順次取りあげている。いつの時代にも誰にも日々刻々を生きる人生があるが、今まで知らなかった女性のことを知ることが出来るだけでもありがたい。もちろん柴さんの話の面白さが支えてくれているのだが。二宮尊徳の長女ふみや大名夫人黒田土佐子や2代将軍秀忠の5女で後水尾天皇に嫁いだ和子(まさこ)のちの東福門院のことなどまったく知らない人たちの人生をとても興味深く聴いた。NHKもいろいろな顔を持っていることがわかる。(宮)

『川と台風』  先日台風が来た。去年の台風の時も浅川の増水が気になったが、今回も同じ。各地の川の増水で注意報は避難準備や、避難勧告が出されていたが、川も長いのでいったい自分たちの側の様子がどうなのかと気になってしまう。
 ニュースなどを見ていると必ず川や外に様子を見に出かけた人が亡くなるということがよくある。しかし人はどこかに野次馬根性があるのだろう。幸いにも川が溢れず天気が回復したので帰り道には川沿いを帰った。会社の人が川を見て帰ろうかなというので、危ないから近づいちゃだめですよといいながら…自分もちゃっかり川を見に行ってしまった。暗くなってからなので川の全貌はわからないが川幅は間違いなく広がり、ごうごうと音をたてて茶色く濁った水が勢いよく流れていた。幸い橋げたからは距離があった。
 その流れを見る限り、よくみようと下まで降りて行ってうっかり足を滑らせて川に落ちたりしたら自力では助かりそうもない気がした。ましてやここで降っていなくて上流で降っていたら急な増水に対応できるか自信もない。冷静に目をこらしてみると激しい雨がやんでからまだ数時間であるが草が水の勢いでなぎ倒された場所がいくつもあった。いつもは河原である場所も川幅いっぱいに水が流れていたという証がそこには残っていた。
 それから2日間は茶色かった水であるが、観察してると昨日あたりから透き通った水になってさらに川の水量が確実に減ってきた。まだまだ通常よりはかなり多いが。川の流れも今回の台風で微妙に変わっている箇所がいくつか見受けられる。神保町に会社があったときにも大雨がふったりして交通機関に影響があったりしたが、自然の中にいるとなんだかそれとは違う恐怖を感じる。そういう意味では時に生きているここちがしないのだけど、これがまた地球と共に生きているんだなあという実感にも変わる。そんな悠長なことを言ってられるのは被害がないからなのだろうけれど…。そして週末くらいから、また次なる台風が来る。まだ川は増水中だし、どうか大変なことになりませんようにと祈るしかない。(やぎ)
2016年8月19日
『ラジオでレスリングを聴く』 いまニュースはオリンピックで充満している。ほかにはニュースが無いかのようにオリンピック、オリンピックだ。金メダルでもとれば号外が配られ、夕刊で記事になり、翌日の朝刊でもういちどおさらいする。ラジオをかけるといやでもオリンピックの中継放送が耳にはいってくる。興奮してまくし立てるアナウンサー、解説者が多いが、呆れたのはレスリングで、もともと言葉だけで伝えるのが困難な競技だと思うが、アナウンサーが興奮して早口で喋っている上に、解説者がアナウンサーに関係なく興奮した大声で勝手に喋り続けている。二人の声が重なって何を言っているのか分からず、不快感だけが残った。反対に卓球のときはアナウンサー、解説者とも落ち着いた放送で気持ちよく聴くことが出来た。しかしこれは例外で、おおくは興奮し絶叫する。そうなったらもちろんスイッチを切っていますが・・・。(宮)
2016年8月10日
『夏休み』 8月某日、銀行に用事が出来て、暑い盛りの2時頃に事務所から高幡不動まで浅川の土手を歩いていった。やがて駅近くになると高幡橋があるが、橋の下は日陰になっていて、暑さを避ける男たち6〜7人が土手にしゃがみ、携帯椅子に腰を下ろして談笑していた。年の頃は60〜80代まで、老人集団である。メンバーまで覚えていないが、同じようなグループが夕方同じ場所に集まっているのに幾度か出会っている。別の老人集団を見かけたのは日曜日の図書館の出入口だ。10時の開館を待ちかねて集団ができていた。どちらも夏休みの消夏法にちがいない。浅川土手を歩いていると対岸に市民プールがあって−−と言ってもプールは見えないのだが−−、子どもたちの歓声が聞こえてくる。これは子どもたちの消夏法だ。夏休みのプールというと遙か数十年前の高校時代に、午後から学校のプールに出かけたことを思い出す。25メートルを泳げるようになるという課題を負わされてプールに通った。夏休みの午後のことで、出かける前にNHKテレビの番組案内のような昼の番組で流されていたモーツアルトのピアノ協奏曲20番の第2楽章を聴いたことを思い出す。いちど聴いたら忘れられないメロディだった。(宮)
2016年8月5日
『昭和の選択 濱口雄幸』 NHKのBSプレミアム「昭和の選択」で「”ライオン宰相”が夢見た平和〜軍縮に挑んだ男濱口雄幸」が放送された(7月28日、再放送8月4日)。2013年に『濱口雄幸伝』を出したとき刊行を後押しした濱口雄幸という政治家の魅力、その今日的意味を、司会の磯田道史が平易な言葉で語ってくれた。戦前の政党政治に濱口雄幸のような政治家がいたことを回顧して誇りに思うが、東京駅で銃弾に倒され、日本はそれ以後戦争の道に進んでいく。そしてこんどは「満州事変の当時濱口ありせば」と悔しく回顧するのだ。この番組が『濱口雄幸伝』の刊行とタイミングよく制作・放送されなかったのはいささか残念だった。よくできた番組だったからぜひ地上波でも放送して、多くの人にみてほしいと思う。(宮)

友人の子ども編・子どもの成長A 久々にロバ耳をみたら、しばらく書いていないことに気づく。それも前回の内容に『ちいさな姪と甥・子どもの成長@』とある。きっとこのときには姪や甥について書くことがいっぱいあったのだろうけれど、今やきれいさっぱり忘れていることに驚いてしまう。頭の中の甥、姪の引き出しを開くのだが…あまりに記憶がないので友だちの子ども達のことを書くことにした。たまに友人と会うときに、子どもが小学生くらいまでだとほとんどの場合、一緒に会うことが多いのだが、赤ん坊のころから見ているので会うと「りっぱになって…」と感慨もひとしおだ。大きい子は20歳も過ぎ、小さな子は今小学生くらいか。一口に子どもといっても個性もそれぞれに違っていて面白い。今は小学校3〜4年生くらいの友人の子と接する機会が多いのだが、どの子も個性いっぱいで会うのが楽しみだ。まだ9とか10年しか生きていないのに結構彼らから学ぶことも多い。自分の知っていることを教えるのも上手だ。その頃の自分のことを思い出そうとしても思い出せないのだけれど…内気だった私はそんなにすぐに母の友人たちと仲よくなったりしなかった気がするが、今の子どもたちは人と仲よくなるのがうまいなあと関心してしまう。これも性格によるものなのかもしれないけれど。会うと一緒に遊んだり、しゃべったりするのだが、私の良いところも悪いところも一応受け入れてくれているようだ。子どもがもつ素直で柔らかい柔軟な頭と心を側でみていたら、私の頭も少しは柔らかくなれるのかなあとふと思うのだった。子どもたちが時には曲がりながらも、まっすぐな目をして大人になれるよう、私もまっすぐ生きたいなあと思っている。(やぎ)
2016年7月29日
『創文社』 ネットで創文社が2020年を目途に解散するというニュースをみた。売上が毎年10%ずつ減少し、現在では10年前の三分の一になっていて継続は難しいという。創文社のような出版社にとって、販売部数が減少するなかで売上を維持するためには、価格を上げるしかなさそうだ。みすず書房と比べると創文社の本は安く設定されていると思うが、どんな計算、どんな見通しにもとづいて解散という結論に至ったのか。(宮)
2016年7月22日
『大橋巨泉』 巨泉が亡くなった。大きく報道されたニュースだが、報道されなかったことがあると知って驚いた。『週刊現代』7月9日号に掲載された連載コラム「今週の遺言」最終回で
〈今のボクにはこれ以上の体力も気力もありません。だが今も恐ろしい事や情けない事、恥知らずな事が連日報道されている。書きたい事や言いたい事は山ほどあるのだが、許して下さい。しかしこのままでは死んでも死にきれないので、最後の遺言として一つだけは書いておきたい。安倍晋三の野望は恐ろしいものです。選挙民をナメている安倍晋三に一泡吹かせて下さい。7月の参院選挙、野党に投票して下さい。最後のお願いです〉と書いた。ところがこの部分を一社を除いて報道していないのだそうだ(ぜんぶ見たわけではないが)。NHKはこの記事を画面でみせたが、この安倍批判の部分を見せない形だった。もちろんアナウンサーはこの部分を言葉で伝えていない。どうみても政権批判を憚ったとしか思えないのだ。敢えて言うが、たかがテレビタレントの記事を報じるのに政権批判になるところは避ける。この感覚、判断はすでにかなり今日の政治状況に影響され、自己規制規がはたらいている。そして、そうすることが当然のようにふるまっているのかもしれない。
(宮)
2016年7月15日
『ニュース』 ひとつひとつの出来事の意味を考えるいとまもなく、大きなニュースが連日のように報じられている。この1週間に参議院選挙で改憲勢力が3分の2の議席を獲得、与野党の候補者選びがさんざんニュースになったあげく都知事選挙が始まった、国際仲裁裁判所が南シナ海における中国の行動を全面否認、EU離脱後のイギリスで二人目の女性首相誕生、天皇が生前退位を希望、フランスのニースでテロがあり80人死亡。これらのニュースのなかで、どの出来事に着目し、どの様に報道するのか、ニュース報道に携わる人たちの真価が問われている。ジャンルがちがうから現場では分業で取材活動が展開されているだろうが、これらの出来事をまとめて、ニュースでどういう順番で何を伝えるのかが大切なことだ。担当者は、もてる知識を総動員し自分なりの判断を下しているはずだ。しかし、結果として、報道の自由についての認識が問題にされ、さらに自主規制や萎縮や圧力が問題にされる。いまのように大事件が次々に起きる時代に、マスメディアの働きはきわめて大きな影響力を持っているので、報道のたびにいろいろな批判がとびかうことは避けられない。一市民としては、ニュースを知ってその意味を的確に掴むためには複数のメディアを見ることだと思う。新聞なら東京・朝日・毎日と産経・読売・日経を読む。全部買わなくてもネットで読むことができるので、複数の新聞を対比して読むことは昔に比べれば容易になった。外国語の新聞すら利用することが可能だ。それでどこまで的確に意味を掴むことができたか、自分自身の能力と判断力の問題になる。こんな当たり前のことを改めて考えるのも、大ニュースが連続発生しているからだ。(宮)
2016年7月8日
『泳ぐ蛇』 7日、昼間の12時過ぎ、カンカン照りのなか浅川の土手を事務所から高幡不動まで歩いた。風があるので暑いが気持ち好い。土手をおりてまもなく京王線の踏切にかかるところで、ふと右手の小川を見たら、蛇が泳いでいる。流れに逆らってゆうゆうと体をくねらせている。浅川の土手を歩いていろいろな動物の姿を見てきたが、蛇は初めてだ。思わず立ち止まって、しばらく蛇の動きに見入った。(宮)

ちいさな姪と甥・子どもの成長@ 私には甥が8人姪が1人いるのだが義弟のところの姉弟が一番小さな姪と甥で現在5歳と2歳。義父が亡くなってから一週間を夫の実家で(今は義弟の家族が住む家)過ごしたので、いつも駆け足の滞在でせわしなく関わってきたのだが、いつになくゆっくりと姪と甥とも向き合うことができたように思う。お姉ちゃんは女の子らしくそして物怖じしない子に育っていて、歌や踊り、即興のショーなどをやってみせたり(これはもうもっと小さなときからだが)絵や文字などを描き訪れる人たちを楽しませる。でも静かだなと思っているといつの間にか本を熱心に読みふけっているのだ。
この間なんて義弟の本棚から手塚治の『ブッダ』なぞを取り出して読みふけっている。マンガだから理解できるのだろうか?見るとルビもふってあるが漢字も結構ある。「面白い?」と聞くと「うん!とっても!」とキラキラした目で言われた。もちろん2歳児もお姉ちゃんが楽しそうなので思わず『ブッダ』を見る。「これブッダ?」と違う人を指して聞くので「違うよ、ブッダは(頭の額の部分を指差して)ここに丸いのがついているひとだよ」と教えてあげるとページをめくるごとにブッダを指差して教えてくれた。お姉ちゃんの真似をするのが得意な弟くんはお姉ちゃんと遊ぶのが楽しいらしく、お姉ちゃんが何か楽しそうにしていると全て真似するのだ。
姉「出ちゃったきょうだいでーす!」(ポーズをきめる)弟「デシャッシャチョウダイデーズ」(もちろん自分なりにポーズをきめる)お姉ちゃんが正しい発音をする中で発音や抑揚はほぼ同じに弟くんが繰り返す。似て非なる…。言葉はこうやって耳で聞いて覚えていくのだなあと。ちなみに「出ちゃったきょうだい」とはお姉ちゃんが考え出した固有名詞で、その後に「おしりがでちゃう〜」と続くのだ。弟くんかなり人見知りなのだが、今回はお姉ちゃんさえいれば怖いものなしのようだった。おやおやこんなにひょうきんものだったのかとビックリするくらい生き生きとしている。これからは一対一のときも大丈夫かと思っていると実は人見知りの彼は、なれない人と二人きりになると固まってしまう、もしくは泣いてしまうこともあるのだった。一週間いた私はというと…すっかり「あそぼ!」と誘われ、遊び仲間と認められて、おままごとや読書をともに楽しむ間柄になったのだった。「よんで」と選んだ絵本を持ってきて膝にのって読んでもらおうとする。お姉ちゃんはもっか夫のR氏を大好きなようで「マッキーといっしょにねる〜」と言って一緒に寝るのだが、あからさまに私には背を向け、朝までこちらを見ることはかった。つまりは夫のほうに顔を向けてねていたのだ。姪よ、私は君にだしにつかわれてないかい?と心の中で問いかける。甥の方はというと、ゴムボールを額につけて「みて!」とかなんとかいっているので「たんこぶ?」ときくと「ブッダ!」と返された。ちゃんと前の日教えたことを覚えていたのだ!ちなみに読書好きの姪は棚にある本は結構何でも読むらしくある日、義妹が棚においていた『のびのび子育て』というようなタイトルの本も熱心に読んでいてびっくりしたそうだ。恐るべし子どもたち…。吸収力がすごすぎる…
(やぎ)
2016年7月1日
『参議院選挙』 7月10日が投票日で、いま選挙戦の真っ盛りだ。安保法制についての安倍首相の発言は説明というのが憚られるほどの稚拙なもので、まともに聞く気にならないものだ。世論調査をすれば、支持率は下がらない。40%台をたもっている。安倍内閣は民主党政権と比較してまだましだということなのか、中国北朝鮮の脅威に対抗するために安倍首相の政策を評価してのことなのか、世論調査の信頼性の問題なのか、これらすべてが複合してこういう結果になっているのか。近頃もうひとつ思うのは、世代交代とその結果として、歴史を知らないあるいは知りたくないひとが増えて、眼前の現象には敏感に反応するが歴史を踏まえた判断が出来なくなっているのではないかということだ。有権者は勿論のこと安倍首相がいい例で、歴史を都合よく再構成した物語にもとづいて、日本の進路を改めようとしている。安倍首相は、戦前戦中のことにとどまらず、戦後の歴史まで自分流の再構成によって語っている。そしてこれをおかしいと判断する知識に欠けている有権者がどんどん増えているのだ。戦後の社会を知っている老人がまだ元気でいるいまが、つまり今回の参議院選挙がこのような動向に待ったをかける残されたチャンスかもしれない。(宮)

『お別れのとき』 6月12日に長く入院していた義父が亡くなった。その日の夕方前に「またくるね」と言って病室を後にしたのだが、それから5時間もしないうちに本当のお別れが来てしまった。その日の昼間は家族や親戚、入院当初にお世話になった看護婦さんの訪問もあり賑やかで、その中で確かに父は生きていた。だけど天に召されるまさにその時間には家族はだれも側にいなかった。この日義母の7回忌をするはずだっただったこの日に。最後の夫孝行だったのかなと思う。「もう子どもたちは、よかやろ?8年近くも見守ってきたんだし。そろそろ私のところにこんね」と母が迎えに来たのかもしれない。人を楽しませることは好きでも悲しませたくはない父の最期のダンディズムに母が手を貸したのかもしれない。みんなと最後に楽しく過ごせるように計らい、静かに天に昇っていってしまった。
この8年は病院に横たわり、声も発することは出来なかったが、自発呼吸をしながら、たまに首をふっとこちらへ向けたり、コーヒーの香りや大好きなお菓子の匂いを吸いこんだり、リハビリの時キツイことをされると顔をしかめたり、ちいさな反応をいっぱい見せてくれた。人は信じてくれないかもしれないが、まだ入院して2〜3年目の頃、私は義父の笑顔を見たことが2度ほどある。ぎこちなくはあったが自由に動かない顔の筋肉を精一杯動かして間違いなく笑顔を作ってくれたのだと今も信じている。私たち夫婦は父に会いたくて帰省もするし、病院の看護婦さんたちは父といると癒されると入院中、行事や誕生日に寄せ書きやさまざまなカードを作っては病室に飾ってくれた。動いたり話ができなくても生きていてくれるだけで私たちの心の支えとなってくれていたなあと思う。寝ているだけだったけれど間違いなく子どもたちは父を必要としていたし、それに長くこたえてくれていたのだと思う。溢れてくるのは悲しみよりも感謝の思いばかりだ。長いあいだお疲れ様。そしてまた天国でお母さんに会えるといいね。(個人的すぎてすみません…)
(やぎ)
2016年6月24日
『地位協定』 沖縄で事件が起きるたびに地位協定が話題になる。だが、決して手を触れられることはない。6月23日の朝日新聞に載った前泊博盛さん(沖縄国際大学教授)の話によると、日本も同じように不平等な地位協定を海外で結んでいるそうだ(クウェート、ジプチ)。だから日本はアメリカに地位協定の改定を求められないのだそうだ。これを読んで日本は明治以来変わっていないと改めて思った。明治の日本は、欧米の治外法権に苦しめられ、その撤廃に苦闘していたにもかかわらず、同じ治外法権を朝鮮に押しつけていた。今日、地位協定の改定の代わりに運用の変更によって対応しているが、それは外務・防衛・法務などの日本官僚と米軍幹部らによる日米合同委員会で決められているが、議事録はほとんど公開されず、いくつもの秘密合意、密約が重ねられ、外務省の担当職員でさえすべてを把握しきれないほど内容は複雑で難解だそうだ。地位協定の改定など、責任ある政治家の大きな決断による以外無いだろうが、現在それは最もあり得ない道でもあるとはまったく情けない。(宮)
2016年6月17日
『赤羽末吉のスケッチ写真展』 「赤羽末吉スケッチ写真モンゴル1943年」をみてきた。『ブックエンド2010』の赤羽末吉生誕100年記念特集にかかわったときに、その人生とともに絵本に魅了された。パソコンでたまたま写真展のことを知って見たいと思った。スケッチ写真というが、構図といい解像度の高い画面といい、想像していたより充実した写真だった。1943年の内モンゴルの貝子廟(ばいしびょう)の祭りとモンゴル人の姿が表情豊かに捉えられている。場所も時期も、貴重な記録というほかないものだろう。赤羽末吉は満州電信電話会社の広報の仕事をしていて、このような写真を撮る機会に巡り会ったらしい。(宮)
2016年6月10日
『吉川晃司』 ネットで吉川晃司の政治的発言を読んだ。きっぱりとした物言いから30年前にアルバイトで入ってきた学生との会話を思い出した。芸能人のことに疎い私が誰が好きなんだ?と尋ねたら、その学生は、たこ八郎を挙げ、かっこいい人といって吉川晃司を挙げた。いまどき思いがけない人が政治的発言をする。それがじつにもんだいの急所をとらえているので感心する。やはり時代状況が人を作り発言をひきだすのだ。いまじつに大事なときだと思うし、微妙な時期だとおもうが、それに気づいて、いろんな人が政治的発言をする。亡くなる直前に沖縄で菅原文太がした演説は心にしみるものだった。先日は菅原文太のことばをシールズの奥田君が引用していた。(宮)
2016年6月3日
『メディア頑張れ!』 安倍内閣の一連の「歴史修正主義」的主張とそれに基づく政策と非立憲的行動に違和感どころか危機意識を喚起され、国会周辺に集まって反対の意志表示をする人々が存在する。2014年の秘密保護法から、2015年の「安保法制」、原発問題、沖縄の辺野古埋め立て問題まで対象は広範で、これにメディアに対する政府・与党・支持勢力の圧力、さらにメディア自体の自主規制問題がある。安倍内閣批判勢力には、戦争経験のあるあるいは戦争についての想像力のある年輩者が多い。しかし最近はシールズなど若者の行動が注目され、ついに高校生まで行動に打って出てきた。その高校生グループの集会に加わった知人から聞いた話だが、高校生が「メディア頑張れ!」としきりにコールしていた、と。つまり、想像力があれば今日のメディアの情けない自己規制を認識することができるということだ。年齢や、経験ではなくて想像力こそが大事な能力なのだ。それにしても高校生に「メディア頑張れ!」と激励されているメディアとは何なのか。関係者は恥じなければならない。情報操作を意図した政府発表を無批判に垂れ流すだけのニュース報道が多すぎる。まずこのあたりから考え直す必要がある。(宮)
2016年5月27日
『治外法権』 沖縄でまたいやな事件が起きた。何とか問題を大きくしないで穏便に収めたいという意図がみえみえの日米政府のやりとりがニュースを賑わしている。日本政府の安倍首相は断固抗議し、アメリカ政府は、オバマ大統領の共同記者会見での発言の翻訳を「深い哀悼の意」から「深い遺憾の意」に訂正するなどと細かな神経を使っている。しかし、このような事件が起きるたびに問題にされる「地位協定」については両政府ともまともに問題にしていない。まず問題にすべきなのは日本政府であるが、そっと避けているだけだ。独立の気概が丸で無い政治家たちが情けない。治外法権という言葉を思い出す。明治初期日本外交の最大の課題は幕末維新時代に欧米諸国と結んだ条約を改定して、治外法権の屈辱的境遇から抜け出ることだった。名だたる政治家たちが治外法権撤廃のために苦闘した。長く困難な交渉の歴史を重ねてきたことを思い出す。いま、思慮深き政治家たちは日本の「安全保障」を口実に治外法権=地位協定を敬して遠ざけている。そして幾重にも困難な状況におかれて苦しみ喘いでいる沖縄からのみ「地位協定」のことが聞こえてくる。しかし、それもニュースではごく小さく報じられるだけだ。報道関係者も「治外法権」を忘却しているようだ。今日の日本はまともな独立国ではないと言わざるをえない。(宮)
2016年5月20日
『鳥の高速飛行の不思議』 浅川の土手ではあいかわらずさまざまな鳥が飛び回っている。時期によって種類が変わるようで、最近目立つのはツバメだ。すごい高速で人や植物にぶつからないように飛んでいる。ほとんど羽をばたばたさせないで、あんな高速はどうやって出すのだろうという疑問がわく。プロペラを持っているわけでもなく、ガスを噴射するわけでもない。羽以外に動力になるものもっていないのだから、羽の動作によるのだろうが、不思議な力だ。(宮)

『ウォーキング仲間のおじさん』 以前、川沿いを歩いていてちょこちょこっとした会話を交わすようになったおじさんの話を書いたが、2月だったか3月だったか覚えていないが、ある日を境に会えなくなってしまった。ちょうど会社の用事だったか、自分の用事だったかで会社に遅れて出社した日に、いつもと違う時間だったので、高幡不動駅に近い川沿いの道で何日かぶりにおじさんと会った。わたしもこのルートを通ったり通らなかったりしていたので、正確には会っていなかったのがどのくらいか、わからず「久しぶりですね!休みも入って2〜3日ぶりですかね?」と声をかけると、「いや〜もっとだよ。インフルエンザで一週間寝てた」とおじさん。確かに見た目もすこし顔がむくんでいて具合もあまりよさそうでなかった。一週間寝ていて往復で一時間のウォーキングなんて大丈夫なのだろうかと思った。時間も遅刻(?)ついでにたっぷり(?)あったので、しばしおしゃべりしたあと「じゃあまた!」といって別れた。それ以来おじさんをみていない。あれからまた会えるだろうかと、疲れている日を除いてほぼ毎朝キョロキョロしながらおじさんがいないかと歩く日が続いている。インフルエンザのあとムリして肺炎になって倒れてしまったのかなと心配だ。また朝、「おはよう」と声をかけあえる日がきますように!名前も、家も知らないことがもどかしい。おじさんが元気になることを心から願っている。って私もおばさんだけどさ。
思えば同じ時間にウォーキングする人も少しずつ変化している。最初の頃から同じ時間に歩いている人はほぼ居ないかもしれない。人はこうやって(知り合いであるか他人であるかは関係なく)それぞれの人生の中ですこーしずつ重なって過ごすことがあるのだろう。それはとどまることはなくて、ずっと流れながらうつろっていくのだなあとしみじみ思うのだった。(やぎ)
2016年5月13日
『産経新聞』 いま新聞が論調ではっきり二分されている。産経は、右寄りの最たるものでときにここまで書くかと思うようなコラムがでる。ところが立場の違いにもかかわらず、記録をきちっと載せるところは評価したい。ネットで産経新聞を読んでいるが、たとえば慶應義塾大学名誉教授の小林節の「国民怒りの声」発足記者会見をおそらく全文を載せたのは産経だけではないか。小林さんの政治団体設立について各紙がどう報じているかネットでみてみたが、なにか食い足りない、及び腰の記事で、トランプ現象を報じる記事のような切れ味がない。ところが、産経をみると全文は全文だけの意味があって、小林さんの講演記録を見てきた私にも納得できるような発言をしていることがわかる。記者会見の全文記事によって、ニュースとして報じた新聞の記事では伝わらないことが、読者に伝えられるのである。(宮)

『楽しいお弁当生活』 去年の秋?冬ごろからお弁当をもって会社に行っている。私のみならずそのころから夫も給料が下がるというので、節約の意味が大きかったのだが、今はあたたかいご飯が食べられるのが嬉しいという理由も大きな位置を占めてきた。同僚の一人が使っていたスープジャー。とてもよさげなので、私も購入。その日からお弁当生活が始まった。始めはお試しで一個だったスープジャーだが、夫の分も一回り大きいの一個買って、二人分の汁物を作り、フタの上にのっかる大きさのご飯を軽くラップに包んで持っていくのが日課になった。その保温力はすばらしく、お鍋で沸騰したてのものを入れてくれば、お昼までアッツアツで、下手するとやけどしそうなほどだ。冬の日の温かいお弁当ほど心を豊かにするものはないのでは?と思う。流石にいまはそこまでではないが、使い始めの頃はお昼が待ちきれなかったほどだ。夏はそこまでアツアツでなくてもよいのかもしれないが。最近はあったかいものを持っていくのがマイブームになり、つい朝入れすぎてしまうコーヒーもカフェオレにして水筒にいれて持ってきている。私の朝のリュックはその他にも500mlの水も入ってズシリと重い。すべて食べ、飲みつくして帰りはかなり軽くなる。ふと気付いたのだが、毎日重量にすると、昼だけで、こんなに重いものを食べているのだなあと感心してしまう。それも三食のうちのたった一食分だと思うとなんだか複雑な気持ちになる。そのままの重さが体重になってしまったらと思うとゾッとした。食べた量イコール体重にならなくてほんとうに良かった。体って不思議だなぁ。(やぎ)
2016年5月6日
『上野の森親子フェスタ』 パリのテロ事件の余波で去年中止された「上野の森親子フェスタ」が2年ぶりに開催された。3日から5日までの3日間だが、中日の4日は、朝までの強風と雨で撤退を余儀なくされる出展社が出るなど波乱があったが、3日と5日は快晴のイベント日和に恵まれて、大勢の来場者があった。とりわけ初日の3日は、会計所に長蛇の列ができて、われわれ出展出版社の気をもませた。会計所の改善を図るために出展料が値上げされたはずなのに、いったいどんな改善だったのか。それはともかく、新緑にかこまれた上野公園の広い空間でのイベントは気持ちのよい時間を過ごさせてくれた。(宮)
2016年4月28日
『貸本屋にある漱石』 漱石『吾輩ハ猫デアル』(上)(大倉書店)が手元にある。復刻版ではなくて、明治時代に出版された本だ。本書が手元にあるのは、数十年前、伯父の家の蔵書を整理するときに譲り受けた本のなかに入っていたからである。伯父はむかし貸本屋をしていたことがあったそうで−−存命中にいろいろ聞いておけばよかった−−譲り受けた大半は村上浪六の小説などであった。これらも幾度か整理するときがあり、いま残っているのは『吾輩ハ猫デアル』(上)1冊である。『吾輩ハ猫デアル』は、いま朝日新聞に連載中なので、全集を引っぱり出し大倉書店版までひろげたというわけである。1冊の本からいろいろなことを考える。漱石と浪六が貸本屋で一緒だったのは当時流行っていたという共通点があったからだろう。村上浪六をウィキぺディアでみたら、女性史研究の村上信彦は浪六の長男だそうだし、浅沼稲二郎を刺殺した山口一矢は孫だそうだ。伯父はいったいいつ頃貸本屋を営んでいたのかも知らないが、明治時代だとすると、伯父はその後東京市の交通局に勤めて市電のどこかの営業所長をしていたと聞いたことがある。そしておそらく定年退職後に三軒茶屋の自宅で亡くなるまで不動産屋をしていた。ここまで書いて思い出した。やはり数十年前に「私の半生」というようなタイトルの刷り物をもらったことがある。自分史のはしりみたいなことをしたのだろう。ひょっとしてまだ残っているかもしれないから、書棚を探してみよう。(宮)

桜のうろの中にいたものは…? 桜の花も終わり、会社の近くを歩いていると、春から初夏に向かうこの時期、生き物たちが活発にうごめいているのがわかる。去年の夏の夕暮れから夜にかけての時間に沢山飛び回っていたコウモリも春になったころから時々見かけるようになったし、鳥も春から夏に見る鳥が増えてきたように思う(名前も種類もわからないのだけれど)。数少ない名前を知っている鳥、ツバメもつい最近まで風を切って民家の軒下の巣から土手の向こうへものすごいスピードで飛び回っていた。よくも人にぶつからないなあと感心してしまう。川沿いの通勤路の土手からスロープを降りて、団地を横切って少し行ったことろがゴールの会社だ。
この桜並木の間のスロープをおりたところにある桜が好きで愛着をもっていつも眺めている。なぜ好きなのかというと、木の形が気に入っているのもさることながら、うろがあるので益々好きなのだった。妄想が好きな私は、あの中になにか住んでたらいいなあなどと考える。先週ふとそのうろの中を覗き込んでみた。すると、そこには、たくさんの生き物たち?(正確には生きてはいない動物の人形だったのだが)が顔を覗かせていた!なぜいままで気づかなかったのだろう。妄想ではなく本当にいたのだ!もし本物の生き物が顔を覗かせていたら感動の余り遅刻していただろうと思う。人形でよかった。うろの中にいたのは動物の人形。アヒルと、フクロウと、キツネの3匹。誰かがここに入れたのだろうけれど、大人か?子どもか?またもや妄想。じっくりみたかったが、とりあえずスマホのカメラでうろの中をカシャリと撮った。あとでゆっくり見て和もうと思って…。が、昼休みにその写真を覗くと、そこに写っていたのは、なんとかわいい動物たちだけでなく、その背後に木彫の腰蓑をつけた半裸の男の人形が一緒に写っていたのだ!見方によると、その男が動物の人形を守るかのようにもみえる。顔つきもやや厳しく、睨みつけているようだ。ここに我が家の何匹かを住まわせたい衝動に駆られていたが、思わずたじたじっとなってしまった。このキジムナーのような、長老のような木彫りの彼の許しなしに勝手にそこに居候を住まわせることはできないようだ…。
(やぎ)
2016年4月22日
『やさしい春はもう微笑んで』 このところ一気に春らしい暖かな気候になった。晴れた日の朝浅川土手を歩くと春が来たと実感する。そして浮かんできたのがモーツアルトの「やさしい春はもう微笑んで」だ。メロディーが春らしいこのごろにぴったりの曲だ。30年ほどまえに世の中の趨勢に遅れてやっとカセットテープを使い始めたころ、ラジオから録音して気に入って毎朝繰り返し聴いていた曲である。エディタ・グルベローヴァが歌っていた。この曲を聴きたくてYouTubeで探してみたが見つからない。見つからないとますますグルベローヴァの歌で聴きたくなるが・・・。(宮)
2016年4月15日
『顔』 浅川土手は街灯がないので、夜は土手の脇の道を歩いていく。しかしこの道も街灯は最低限の数しかないので薄暗い。歩いている人は稀だし自動車もめったに通らない。15分ほどの歩行中に5,6台の自動車が通るぐらいだ。遠くから近づいてくる車は夜だからライトを点けているが、それはとても恐ろしい顔をしている。横長で目尻の上がったライトは鬼の目だ。車体のデザインは流線型の優雅なイメージの車が多いが、ライトの目はいただけません。(宮)
2016年4月8日
『桜の木の上に鳥の巣を発見』 浅川土手から見える景色は冬の間すっかり枯れ果てていたが、3月になって少しずつ少しずつ緑色が出てきて、桜の開花するころには春が来ると知らせるように緑が増してきた。毎日の変化を見る楽しみを味わいつつ晴れの日はもちろん雨の日も風の日も土手を歩いた。桜が満開になってからも晴れの日雨の日が交互に来たが、この道を歩く人ジョギングする人は私同様に毎日を味わっていたようだ(雨の日にジョギングする人が案外いることがわかった)。毎日桜の開花状況を見ていたら、あるときかなり上のほうの枝に鳥が巣を作っているのが見えた。小枝を組み上げたような形だが、鳥の姿は見えなかった。別々の木にひとつづつ見つけた。桜の木の上の巣というのは初めて見た。このあたりには鳥の種類が沢山あるようだ。種類を識別できる知識のないのが残念だが、大きさはさまざまだし、羽の色もさまざま、群れをつくって飛ぶものもあれば1羽で飛ぶものもある。種類の多様さに驚いたが、他方、水中にはやはりいろいろな種類の魚が居るようだが、地上の動物はというと冬の間モグラの穴を見たことはあるが、ネコと亀以外に姿を目にしたことはないのである。(宮)

『携帯電話のおひっこし』 先日携帯電話の会社を乗り換えた。電話番号は引き継げるけれど、携帯会社を変えるとメールアドレスが変更になってしまう。ほぼ生まれて初めてアドレス変更の案内(アドレス引越)を登録されている方々へ出した。登録はしてあるものの、ほとんど何年も連絡したこともない人も中には含まれていた。本当に仲がよかったり、仕事で必要に迫られて連絡手段として登録したひとばかりなので無駄はあまりないはずだが、それでも一時的な登録でよかった人のものもそのままになっていたのでこの機会に整理してみた。いったいどのあたりの人にまで連絡すべきなのかすごく悩んだ結果、一件一件考えて、グループを作って(この人たちとの関係性を洗いなおしながら)まとめて送る人、一人単独で送る人、それぞれ送る内容も多少かえて9割方の人に通知した結果となった。メールがきて、どうせ使わないから連絡しなくてもいいのにと思った人もいるかもしれないし、そのアドレスをいまだ使っているかもわからない。でもどういうわけだかメール送信してから数日エラーのメールは届かず、まさか全員に届く奇跡?!と思ったがそうではなかった。エラーより先にグループごとにまとめて送った人から「この人はアドレス変わっているよ!」とのご連絡が2件ほど。はたしてわたしはこの人たちに連絡させてもらってよいのか悩みまだ連絡していない。本当に必要になったときに考えるかとそのままにしている。そして3〜4日していきなり夜になってエラーになったメールが8件届いた。このタイムラグはいったい?もう使われていないアドレスを知れたのは収穫だった。一部は迷惑メールに引っかかった可能性もないとは言えない。確実に存在しなさそうなアドレスは消し、電話番号だけ一応残しておくことにした。今回想像していなかったが意外にも変更願いメールに多くの人が返事してくれた。私も比較的返事をするほうだが、丁寧なお返事をよみながらちょっと嬉しくなった。あまりにご無沙汰なので近況を伝える内容もあったりしてメールだけだけれど嬉しい交流となった。めったにないお引越だが気になっていた人の元気な様子が伝わりほっとした。連絡は大変だったけれど、ちゃんとやってよかった。(やぎ)
2016年4月1日
『《イン・ザ・ムード》』 3月27日(日)昼前の晴れ間をねらって散歩に出た。まだ近隣の様子がわからないので、思いつくまま歩き出す。日の当たる側を、坂道だが高幡台団地のほうへ足をのばした。しばらくして、起伏があるので姿は見えないのだが音楽が聴こえていた。ちょうど終わるところだったらしいが、はて、何をしているのだろうと急な上り坂を歩いて団地内にはいってみた。1曲終わって拍手が聞こえてから、また演奏が始まった。坂を上りきって奥の方を見たら中学生(?)の制服すがたの吹奏楽団が《イン・ザ・ムード》を演奏し始めたところである。楽団の前では住民があちこち散らばってシートを敷いて、のんびりくつろいで、音楽に耳傾けている。一番後ろの一角にはおおきな釜が据えられていて蒸気が上がっている。団地のお祭りなのだろう。一帯は新緑とまでは行かないが新芽が出始めた樹木が陽を浴びて輝き、ひとびとは音楽を聴くだけでなく地面に敷いたシートの上で飲み物を手にして楽しそうだ。《イン・ザ・ムード》もなかなかの出来で、臆せずにソロが鳴っている。日野市の中学校は音楽コンクールでいい成績を残していることを思い出した。いいものに出会ったと満足してさらに歩き続けた。(宮)
2016年3月25日
『〈アウェイ〉に届く言葉を持っているか』 「いま私たちは〈アウェイ〉に届く言葉を持っているか」とは斎藤美奈子の言葉である。反戦平和教育的教材のステレオタイプ化した言説が「飽きられた」結果が、歴史修正主義の台頭であり、右派的言説の急伸であり、憲法九条の軽視ではなかったか、というのが斎藤美奈子の主張していることだ。そして次のように言う。「私や森君(森達也のこと)の言葉に「うんうん」と頷いてくれるのは「ホーム」の人たちじゃない?しかし、私(たち)は「アウェイ」に届く言葉をもっているのか。」言論をもってたたかう以上は、「アウェイ」に届く言葉を持っていなくてはならない。もちろんその前提としてお互いに相手の言葉に耳傾ける姿勢がなければならないが、そして、いまやその前提がかなり怪しくなってきた気配もあるが、にもかかわらず、わたしたちが「アウェイ」に届く言葉を持っていることは大切なことだ。こう考えてきて小林節の講演での話は傾聴するにたる見事なものだ。昨年、けっきょく実現しなかったというが、文藝春秋が企画した稲田朋美と小林節の対談を読んでみたかった。どちらの側も堂々と渡り合って貰いたい。(宮)
2016年3月18日
『姿勢がよくなる』 日に日に緑が増す浅川の土手を春の明るい陽を浴びて歩く。雨上がりで湿気がつよい春霞のさきに富士山がみえる。自然に目が遠方を向くので猫背のわたしも背中を伸ばして歩いていく。まことに健康的な通勤だが、土手を降りて住宅地に入ると目が地面に落ち、遠くに向かない。いつもの姿勢に戻って背中を丸めて歩いているのに気づく。(宮)

『本の流通のなぜ?』 年に何回か倉庫に返品の整理にいくのだが、今年も、3月末〜4月初旬の棚卸し前に返品整理に行ってきた。返品整理は在庫僅少本の発掘と、痛んだ本はためずに廃棄処分をするという二つの理由がある。
 何年も前には新刊委託配本もかなりの部数を書店にまいてくれていたので、委託期間の6ヶ月の間に結構な冊数の本が返品され、返品パレットが背の高さくらいのものがいくつもあり、せっせと仕分けしないと終わらないし、中腰の姿勢で本の仕分けなどしていると夕方帰るころには足腰が疲れきって階段を駆け上がれなくなったこともあるくらいハードな作業だった。
今は配本数自体もかなり縮んでしまっているので出庫数の減少=返品数も減少しているので仕分けは格段に楽になっている。いいのか悪いのか…。本の流通にはいろんな疑問をもっている私だが、本はいつもひどい扱いを受けている気がする。以前はプラスティックのバンドや、ビニール紐でくくられ必ず上下の本があて紙扱いとなり使えなくなるというひどい扱いだった。それどころか、おそらく取次倉庫に山積みされた本を片付けるときに土足で踏み台にしたであろう足跡までついているものもあった。いくら大量に扱うからといって、自分のものではない、売り物であるものを平気でこんな扱いをしてしまう業界。これでいいのか?と問いたくなる。
ある日のパレット積みにはフォークリフトの差込に失敗して、大量の本がぐちゃぐちゃになってしまっていた時さえあった。いつ、だれが、どこでこうしてしまったのか?誰も責任をもたない業界なのだなと本当にびっくりしてしまう。子どもたちに大人は何を教えるのだろう。悪いことをしたら素直に謝ろうなんていっていて自分では知らぬ顔をしているのと同じだ。自分だってたまには落として角を潰してしまうことはあるから何割かは仕方ないとしても、ぬらしてしまったり、取次倉庫内、輸送の途中、書店内でおきた事故の責任まで出版社もちなのはどうもしっくりと気持ちが落ち着かない。
 以前はよく入荷日を本の底の部分に書き込む書店さんがあった。返ってきた返本を改装してみるとわかるのだが、この鉛筆の書き込みがなかなかどうしてきれいに消すのが大変なことも多いのだ。最近はというとコンテナでの返品となり紐で縛らなくなった分、本のイタミはぐっと減った。でもしかし、おや?と思うような返品に驚くことがしばしばあるのだ。最近ほとんどみかけなくなった鉛筆の書き込みなのだが先日久しぶりにそれを目にした。返す本に書き込むこと自体ナンセンスなのだが…その内容にしばらく絶句してしまった。そこには「10/17即返品」と書き込まれていたのだ。即返品…即返品する一度も本屋に並べないのに鉛筆で書き込みをする…本当に悲しくなった。これはまだ誰のものでもない商品なのに。即返品する商品に書き込みをすることはどういうことを意味するのだろうか。本を見てみて売れないと判断し並べないのは仕方ないけれど、せめてなにもせずに静かに返してくれればよいのに…。流通問題、責任問題もっと明確クリアになったらいいなあと思う。そしてどの立場にいても常にこれは商品であるという意識はなくさないでいたいなあと思うのだった。
(やぎ)
2016年3月11日
『小林節さん』 パソコンで憲法学者小林節さんの講演の記録映像を見ている。小林さんは、安倍内閣の憲法を無視した戦争法制定や政治運営に危機感を持っていて、立憲主義に基づいた政治を取り戻すために、現在とても精力的に活動している。全国各地に出向いて、講演して回っている。時間のほとんどをこの問題のために使っている。講演の映像記録を見てみると、状況認識とそれに対する具体的行動について、的確でたいへんわかりやすい話をしている。何が問題で、その問題を解決するために何をすればいいのかを、誰にもわかる話し方で説いている。突き詰めて言えば、議会の多数を支配していることをいいことに、憲法をまったく無視して好き勝手な行動をしている安倍首相、安倍内閣に反対している。
 憲法を無視して強引に成立させた戦争法を廃止する、そして立憲主義を取り戻すためには、安倍首相を辞めさせ、内閣を取り換えなければならない。そのためになにをなすべきか、小林さんは、実行可能でしかも必ずちゃんと結果がでる方法を提案している。その内容をひとりでも多くのひとびとに理解してもらい、行動に参加してもらうために全国を経巡って講演し、野党の政治家を説得し、同志である学者や法律家とさまざまな活動を展開しているわけである。沢山アップされている講演の記録映像を次々見て(話が巧みで飽かせないし、冷静な態度は信頼性を増す)、小林さんが本気で活動していることがよくわかり、提案している行動の実現可能性が充分にあることがとてもよく理解できた。政治の世界は次々に転回していくが(たとえば衆参同日選挙実施、非常事態条項を組みいれる憲法改正)、その変化をしっかり織り込みつつやるべきことを確認し提案している。最終目標は安倍内閣を倒すことだが、第1歩は7月に予定されている参議院選挙で自民・公明に勝つこと、具体的には1人区で野党統一候補を立てること。共産党が独自候補を下ろして野党統一候補を推す方針変更をしたので、あとは他の野党がこれに協力すればよいという。民主党の共産党嫌いの強いことや各地域ごとにそれぞれいろんな条件があって決して簡単ではないが、それでも32選挙区のうち3分の2で自民・公明に勝てれば確実にその効果が発揮できるのだというのである。小林さんは、闘い方について参議院選挙のほかに第2、第3の方策を考えていて、その冷静、周到さには敬服する。小異を残して大同につくことができれば、誰にもわかりやすい単純な活動によって、成果を手にすることができるというわけである。(最悪の状況、つまり選挙に負けて衆参両院で自民・公明が3分の2を確保して憲法改正が発議されても、負けないという。何段階にもわたり安倍首相の思い通りにさせない方法を考えている。論理のレベルでは安倍首相に負けるきづかいはまったくないし、有権者の多くは自分たちのまともな論理を理解してくれるはずという、有権者にたいする信頼をもっている)。
 活動についての提案とならんで小林さんの話で面白かったのは、憲法第9条第2項の交戦権を否認した規定と自衛隊の海外派兵の関係だ。自衛隊は法的には軍隊ではないので海外で戦争できない。このあたりの問題を実に要領よくわかりやすく説明していた。自衛隊は昭和25年の発足当時、警察予備隊と言われていた。これはまさに憲法の規定に従った命名だったということだ。現実の自衛隊は米軍との共同訓練などさかんに行っているが、海外で戦争するための法的整備はできていない。ただ、さきの戦争法成立以降、憲法を無視して海外での戦争が可能になるような整備がされるのであろう。小林さん曰く、「自分はもともと憲法改正論者だったが、憲法をまるで無視して自分勝手なやり方を強行する内閣のもとでは、改正には反対である。いつか憲法を守る内閣が出来たときに、改めて改正のことを考えたい。自分がまだ生きていれば」と。
(宮)
2016年3月4日
『浅川の土手にて』 ようやく春らしい気候になり、日に日に緑が広がっていき、浅川の土手を歩く楽しみが一段と増してきた。いい気持ちで歩いていたら、先日、前方で小柄でかなりな歳の老人が腰をまげて土手の斜面をそろりそろり降りて手を伸ばしている。落とし物でもしたのかと思って近づいていった。老人はゴミを拾っているのである。ゴミ袋を持ち、斜面に投げ捨てられたモノを拾っている。しかし危ない。見るからに足腰がおぼつかないようなのだが、斜面に足を踏み出す。せっかくの仕事の邪魔をすることも出来なくて通り過ぎた。浅川の土手はジョギングや犬の散歩や中学生の体育の場になっているだけではなくて、この老人のような人の活動の場でもあるわけだ。(宮)
2016年2月26日
『浅川を通過する飛行機』 このところ毎日浅川の土手を歩いて通勤している。歩道の両側の草地もすこしずつ緑が増えてきて春近しを感じさせる。晴れた日に広い空の下を歩くのはまことに気持ちいい。その広い空を浅川を横切るようなかたちで飛行機が飛んでくる。飛行中の音がきこえてくると空を見上げる。軍用機が多いのは、歩いている位置から考えて横田基地があるせいだろう。輸送機のC130を見ることが多いが、それだけではない。C17やP3CやFA18が飛んでくるし、先月21日にはF22が都合4機飛んでいる姿を見た。のどかな景色の中を歩いているのだが、国際情勢の緊張を伝えるニュースに対応した動きを浅川の土手から観察してもいるわけだ。(宮)
2016年2月19日
『報道の自由』 〈毎日新聞の面白い記事海外メディア東京特派員等らが語る 日本「報道の自由」の危機〉を読んだ。いまの日本の「報道の自由」の危機が率直に語られている。政府が圧力を加えてきたときにマスメディアがその都度きちっと反論していないことが指摘されている。以前自民党がNHKを呼びつけたことがあったが、そのことに対してNHKも他のマスメディアもまったく反論、いや反応しないことがそもそも異常ではないか。海外では最近の状況を異常と認識し、日本の「報道の自由度」は61位だそうである。産経新聞特派員を起訴した韓国より低いのだから深刻だ。しかしマスメディアの関係者は何も感じていない気配だ。(宮)

なかなか捨てられないもの 自分はなんでも消耗したものは簡単に捨てられると思っていた。親が片付けをしたいというので捨てる手伝いをしながら、人のことを言うなら自分も少しは片付けようとすこーしずつだがたまにやっている。遅々として進まないが1ヵ所が片付くとなんだか気持ちもさっぱりする。
私が買いたいものというのは偏っているので、たくさんあるものとそうでないものがはっきりしている。台所用品などは消耗したときくらいしかほとんど買わない。便利そうと思っても、買ったためしがない。食器なども結婚したときに友人たちがくれたもの。引き出物でもらったもの、親がいらないからとくれたものがほとんどで(少しは気に入って買ったものもあるが)それなりに不便なく暮しているし、足りないと思ったこともない。そうは言っても何種類か作ることがあるので鍋だけは3つ、4つ持っているがそのうちの1つが随分前から取っ手がはずれて(壊れているというのだろう)いる。おそらくねじでつければ直るのだろうが無精者の私はそれをしないのだ(恥ずかしながら)。おまけに毎朝その鍋はカフェオレを飲むためのミルクを温めるために活躍中。注ぎ口があるので注ぎやすいという一点が気に入ってほぼそのために使っているといっても過言ではない。実はミルクを温めるには大きすぎる鍋なので人がみたら笑うだろう。大きな鍋にうっすらミルクを入れると温まるのもあっという間。格好はよくないけれど。長い間使ったしそろそろ捨てようかと思っていたときに生協のチラシに小ぶりのミルク鍋を発見。新しいのがきたらあれは捨てようとそのときは思っていた。が、しかし届いて使ってみると別に悪くもないのだけれど、あの手なしの鍋の慣れ親しんだ感じが忘れられず、数日後には手なし鍋に戻っていた自分がいた。なべ底のふくらみに合わせて、あたためるミルクの量を調整して入れていたので新しい鍋だと目分量でどのくらい入れればいいのやらわからない。こちらも慣れればいいのだろうが、なんとなくしっくりいかないのだ。きれいでかわいい鍋なのに…と思う。いつのまに壊れた鍋が私の一部となっていたことに気づいた。そのうちとってを直してもいいかなとも思うのだけれど、長い取っ手がないとコンパクトでそれも置く場所も便利だったりもするのだった。鍋つかみを使わないともてないけれどそれで一向に困っていなかった自分にも驚く。むしろ丁度よかったのだ。なぜ電子レンジを使わないのかと思った人もいるかもしれない。なんと電子レンジも一年以上前に壊れてしまって、いまどき電子レンジなしの生活を送っている(もちろんこれももらいものだった)。なくてもなんとかなるものだ。
(やぎ)
2016年2月12日
『アメリカ大統領の予備選挙』 ニューハンプシャーの予備選挙で民主党はサンダース、共和党はトランプが勝った。半年ほどかけて全米で予備選挙や党員集会で候補者を絞っていく。長期間の選挙運動で否応なく生身の姿をさらけ出し、いろいろな突発的出来事に対処し、有権者を納得させる能力が必要だから、勝ち抜いた候補者はさぞかし有能な政治家だろうと思う。そう思ってきた。しかし、過去の勝者をみても眼前の今年の選挙戦をみても、どうもそういうことでもなさそうである。有権者の政治に対する見方、不満や批判、候補者の政見、性格、資質、国内外の政治課題などなどさまざまな要因が関係しているだろうが、大統領にふさわしい候補者を選択する方法としては、手間暇のかかる割に結果が貧弱なようである。ただし長い選挙期間中に思わぬ事態が起きて考えさせてくれるのは面白い。今回で言えば、失言のオンパレードを展開するトランプがなぜ多くの支持を得るのかが大きな問題として出てきた。既成政治家に対する批判の大きさをおもわざるをえない。しかしそれでは議員内閣制で首相を選ぶやりかたが、より優れているかといえば、これまたいろいろ問題があると思う。学生時代に読んだ政治学者のラスキはあえていえば議院内閣制のほうを推奨していた。大統領の直接選挙ではとんでもないリーダーを選んでしまう危険があるのに対して、議員のなかから選ぶばあいには、その危険性が低いということだったが、さてどうだろうか。(宮)

『電気の自由化』 電気が自由化となり電力会社を一人一人が選ぶ時代になるのだそうだ。まず電話がそうなり、携帯電話が普及して、郵便局も民営化(事実上、全てではないかも?)し、宅配業社もそれによって様々な変化をしてきた。郵便は郵便局の時代から、書類や荷物を送るのも客側が選ぶという時代になっている。サービスであったり、料金であったり会社を選ぶ理由は様々だろう。仕事を独占して担うこと、国営化することの良さと、その裏に悪しき習慣とがあるように思うが、どこかをしっかり国が守っていないとめちゃくちゃになってしまうのではないだろうかとも思う。肝となる部分を踏まえて変化していく必要性を感じてしまうのは私だけなのだろうか。ようはしっかり管理しないと、まともでない会社もその中に混じってきてしまうのではないだろうかということである。
電気を選ぶにあたって新聞やネットで少し調べてみたが、一番嫌だなあと思うのが電気以外のものとのセットプラン。これと一緒に申し込めばこれが安くなりますよ。ポイントがたまりますよというもの。確かに安いのは魅力のように映るが、何かにがんじがらめになっているように思ってしまうのは私だけなのだろうか?電気会社が多様化する中で、もし天災があった場合にはどうなるのだろうか?停電とか起きた場合には各社ごとの対応なのだろうか?それとも地域ごとに管理するところがあるのか?などなど疑問がわく。もっともっと情報がないといきなり自由化といってもなかなか選べないなあと思う。
電力を買うのに何を基準に選ぶのかということについて、ある生協の職員の方が通信に書いていた。彼の選ぶ方法は、どんな発電方法で発電しているかということであった。それを読んだ会員の方がいつもは話しかけてもこないのに、「私もあなたと同じ電力会社を選ぶつもり」と言ったという。原発を動かしてほしくない。今もまだ住めない場所があるというのに、海に囲まれた小さな島国日本。そして地震の多い国でもある。その危うさの中で、国民一人一人が、ただただ安さや特典などに踊らされずに電気を選べるといい。そして私自身も真剣に選ぼうと思っている。
(やぎ)
2016年2月5日
『硝子戸の中』 わたしがいる事務所の一角はひだり手が硝子戸で、この時期には午前中から昼にかけて陽がはいってくる。このときには室内の灯りを消し、レースのカーテンごしに陽をあびて仕事をしている。そして漱石の「硝子戸の中」を思い出す。漱石は縁側に机を出してあたたかな陽を浴びながら座っていたと書いている。縁側ではないが、身体があたたかくなり、ゆったりした心持ちで机に向かっている。それで漱石に比肩するような仕事ができればいいのだが・・・・。(宮)

『前を見て歩こう!』 よく歩きスマホが危ないとか、本を読みながら歩くのが危ないとかいうけれど、確かにそうだなあと思う。しかし、なるべくしないようにしているけれど、時々急いでいたりするとしてしまうときもある。先日会社を出ての帰り道川沿いを高幡不動に向けて歩いていた。見渡すかぎり人の姿はない。そこに友人からメール。ここなら人に迷惑かけないかなと軽い気持ちでメールを読みはじめた。が、少しして、私の足の下の地面がなんだか柔らかいことに気づいた!道の真ん中を歩いていたはずなのに、気がつけば、真っ直ぐ歩いていたはずがだんだん川のほうに向かって斜めに歩いていた。そして、ついには草の土手の草のへりのあたりに足を置いたらしく体が川側にグラッと傾き落ちそうになった。あとちょっとで転げ落ちるところを踏みとどまった。土手に「どてっ」と落ちるなんて冗談をいっている場合ではない。子どもならいざ知らずおばさんが土手を転げ落ちるなんて目もあてられない。それもスマホを見ながら歩いててなどと、どんな顔をして説明すればいいのだろう。夜の人通りのない土手を転げ落ち、枯れ草や土にまみれで打撲を負いながら這い上がってくる図など想像したくもないし、もしそんな人を見つけたらちょっと怖い気がする。ちゃんと前をみて歩かないといけないなと心から思った。街でも電車でも喫茶店でも、家でもスマホをいじらない人がいない場所がないくらいだが、くれぐれも歩きスマホは本当に危ないのでやめようね…。(やぎ)
2016年1月29日
『浅川』 久しぶりに事務所から南平駅まで浅川の土手を歩いた。例によって澄み切った水が気持ちよい。前方の川面をみたら3、4羽の鳥が水中に頭を突っ込んで餌を獲っているらしい。それにしては一向に頭を出さないのでおかしいなと思いながら近くに行ったら、鳥ではなくて魚である。水量が減っているせいで背中を出して動かずにいるように見える。もともとごく水深の浅い場所で、魚も居場所に苦労しているのかと思いながらしばらく眺めていた。いつもは作られた石畳の間にひっそり生息していた魚が、この日は石畳を離れて川の中央に出てきていたのだ。(宮)
2016年1月22日
ピーター・バラカンのシャツ 朝日新聞の記事(1/16 http://www.asahi.com/articles/ASHDH4HFRHDHULZU00M.html)によると、ピーター・バラカンが六本木を歩いていたら警官に呼び止められて抗議行動に参加するのかと聞かれたのだそうだ。そのときバラカンが着ていたのは前面に「No9 NO WAR LOVE & PEACE 」とデザインされた黒いシャツだった。以下、記事の引用。「 「それにしても」とバラカンさんは余憤を隠さない。「日本に40年住んでいますが、こんなことは一度もなかった。広尾や六本木は仕事や子どもの学校で親しんだ街。驚きました」 FM局へ収録に向かう途中だった。シャツに憲法という文字はなかった。
「9の字が見えたらだれでも警官が呼び止めるのでしょうか。仮に僕がデモに行く途中だったとしても、それはそれでとんでもない話。日本は何だか危ない方向へ行ってませんか」」私が去年夏の国会前の安保法制反対行動に参加したときには、多数の警官が個別に人々をチェックして、参加者の行動を制約していた。場所と目的を考えるとこのときの警察の行動はまだ理解できるが、六本木での出来事は、バラカンでなくとも、これからの日本の行方を考えたときに危険を覚えさせる。戦前の戦争に至る行程を振り返ったとき、ちいさな一歩がすこしづつ積み重ねられていくことの怖さを認識しなければいけないと思う。日常の個々の行動で、いい加減な妥協はしないことを肝に銘じておこう。警察の活動以前に、最近の報道機関や自治体の自己規制ぶりをみれば、これは杞憂でも何でもない。若い人たちに歴史を振り返ることの大切さを伝えたいと思う。いま濱口雄幸のことや、長谷川如是閑の講演会に行っただけで警察に捕まった丸山真男のことを改めて思い返している。
(宮)
2016年1月15日
『百草団地』 昨年末12月28日に百草団地に引っ越した。百草団地は日野市と多摩市にまたがっていて、建物の呼び方が両市で違っているので、表示を見ればどちらの市にあるのかが判別できる。越してきて2週間だが、徐々に様子がわかってきた。丘陵地帯に造成された団地なので坂が多い。高幡不動駅からかなりの急坂をバスが登っていく感じだ。この地形のせいだろう、団地が出来てからかなりの年月を経ているのに、宅地造成されたところ以外にはまだ緑地が残っている。散歩には格好の場所で四季折々楽しめそうだ。隣接して帝京大学のキャンパスがあるが、住所は八王子である。団地は3市が接しているところにあるわけだ。大学は地域との連携を打ち出していて、図書館が利用できることがわかったので、近々行ってみようと思っている。朝、沢山の学生を大学に送り届けるためにバスが頻繁に運行されているのは、通勤する者にとっては有り難い。というようなわけで、毎日新しい経験を重ねながら暮らし始めたところである。(宮)

『挨拶と出会い』 出会いとはどこにころがっているのかわからない。電車の中だったり、道ですれ違う人だったり、仕事関係の懇親会だったり、旅先の出会いだったりするだろう。会社を引越して半月ほどたつが、全然知らない人でも道で「おはよう」と声を掛けてくれる人が思いのほか多くて驚いている。もちろん、自分の最寄り駅に行く道の途中にもあいさつを交わす人がいるし、前の事務所に通う道すがらにある駐車場に並ぶ自動販売機でコーヒーなどを何度も買ううちにあいさつを交わすようになった人もいるが、今の事務所の周りほどでは無かった気がする。今朝、久しぶりにいつもと同じ時間に高幡不動から会社への道をガツガツと歩いていたら、そろそろ土手を降りるあたりでいつもあいさつを交わすおじさんに会った。最初は、すれ違いざまに、おじさん:「おはよう」わたし:「おはようございます」というだけの間柄だったのに、前回くらいから少し会話が増えて、おじさん:「今日は急いでいるね」(走っていた)わたし:「今日は電車一本遅くなっちゃったんです」おじさん:「がんばって!」という会話を交わすようにまで進展したのだ。それ以来久しぶりにあったのが今日だった。おじさん:「しばらく会わなかったね」と、もうウォーキング仲間と認識されたようだ。わたし:「しばらくあちこち用事をすませて出社していたので」と言うと、おじさんはにっこりと笑顔をみせつつじゃあまた!と片手をあげ去っていった。あいさつから始まった出会いだが何となく嬉しい。(やぎ)
2016年1月8日
ベートーヴェンの弦楽四重奏曲連続演奏会 暮れの28日に引越をしたので、正月は荷物の片づけで終わると思っていた。ところが引越の前から決まっていた予定があった。大晦日のベートーヴェンの弦楽四重奏曲連続演奏会だから、行かないわけにはいかない。会場は上野の文化会館小ホールだが、大ホールではこれも恒例になっているベートーヴェンの交響曲全曲演奏会が行われている。弦楽四重奏曲連続演奏会も9曲だったが、交響曲にあわせたのだろう。ほぼ満席になった座席で、午後2時から10時近くまで聴き続けた。交響曲のほうはもっと長くて、早く始まってなお深夜までかかるらしい。こういうもろもろの事情は、しかし聴き始めたらどこかに吹き飛んだようだ。後期の数曲を心ゆくまで堪能して、帰宅した。元日はいつもと違うかたちで過ごすことになったが、ベートヴェンの音楽のおかげで気分良く片付け作業に集中することができた。(宮)

『大きな木』 わたしは大きな木が好きだ。大きな木をみると思わず立ち止まったり見つめたり、その木にもたれかかったりしたくなる(誰も見ていなければだけれど…)。もちろんその木の側にいくことさえできないものもあるのだが…。わたしの家の近所には保存樹と書かれている木が住宅街のところどころにある。それは多くは空き地とか、公園とかではなく人の庭であったり、マンションやアパートの建つ谷間だったりする。明大前に出るときに通りかかる日本学園の正門あたりも鬱蒼と大きな木が生い茂り薄暗いのだけれどなぜかおちつく森のような場所で秘かに好きな場所だ。以前甥っ子に付き合って東京大学(見学に)に行った時も大学の庭に大きな木がたくさんあって圧倒されたのを思い出す。大きな木がある場所には神聖な空気があるような気がする。最近、気になっていた大きな木がある。なんの木かはわからない。ずっと側までいけないまま、その木を見ていた。住宅と住宅の(アパートに囲われた場所)間にその木は立っていた。そんな住宅密集地なのに、そこだけその木のために空けてあるようにぽっかりと空間があるというように見えたのでよけいに存在を意識してしまったのかもしれない。ある日近くを通りかかったの近づける場所までいってみようと思い立ち、ぐるりと住宅街を回った。するとその木の方向に細い道があった。たぶん私道だろう。道を奥へと進むと意外にもすぐ側までいける道だった。保存樹と書いてあり“ケヤキ”と書いてあった。そうかケヤキだったのかと思う。今は冬なので葉もすべて落ちて枝だけ。寒そうなのだけど、地に足をつけ(?)、その幹と枝を空に美しく伸ばしていた。そしてその木のある場所は広場のようになっていて建物との距離があり、まるでそこだけが別の世界のように感じた。幹の側をふと見るとなぜかその脇に椅子が一脚。さて、実はさっきまでそこに木の番をしている人がいたのではと思わせるような光景でなんだか面白いなと思ったのだった。(やぎ)