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「王様の耳はロバの耳」(2012)
 
2012年12月28日
『スケートボード』 南大沢駅から首都大学東京へいく歩道では夜遅い時間にスケートボードの曲乗りを練習する若者がいる。飽きずに繰り返し練習している。私には縁遠いことなので羨望とともに見入ることがある。こんどは休日の昼間にスケートボードに乗って歩く(乗って歩くは変な表現だが)中学生ぐらいの数人をみた。この人たちは、蛇が動くときのように、くねくねとスケートボードをよじらせて前に進んでいく。それが結構なスピードである。わたしの歩行スピードよりかなり速い。上り坂ではどうするのかとみていたら、同じことでくねくねとスケートボードをよじらせて登っていく。いやあ、面白いながめでした。(宮)
2012年12月21日
『立って眠る』 帰りの車中で二十代の女性がつり革につかまっていたが、やがて舟をこぎだした。ときどき膝がガクッとおちる。「危ないなあ、無防備だなあ」と思ってみていた。突然前の座席の人に倒れかからんばかりに体が揺れている。「危ない、危ない!」その人が、電車が京王稲田堤駅に着いて大勢の乗客が下車し始めたらめをつむったままその流れに乗り、すーっと目を開きなにごとも無かったかのように下車し姿を消した。眠くて眠くて体のコントロールが出来なくなっていたのだろうが、耳は聞こえていて駅に着いたら体が自然に動いて流れに乗ったのだろう。大酔した人が翌日まったく記憶が無いけれど自宅に帰り着くのと同じで、長年の習慣で意識は朦朧としていても体が動くのだろうが、やはり危ない。(宮)

『牛ちがい』 夫は肉が好きで、特に牛肉が大好きだ。昼は外食ですますことが多いらしい。お昼は楽しみの一つなのだが、ある日選べるメニューで「牛蒡」という文字に出くわしたらしい…。牛肉が好きな夫は牛とついたメニューを選んだそうだ。何を隠そう夫は、ゴボウが大嫌い。期待して待っていたらごぼうが出てきてびっくりしたけど食べたと悲しそうに言っていた。夫よ、それはゴボウと読むのだよ。申し訳ないけど、久々に字づらをみて確かにうっかり間違うのもうなずける…と大笑いしてしまった。夫は嫌いな食べものに好きな食べ物の名が入っているとは思いもしなかったのだろう…。漢字は知っているにかぎる…(やぎ)
2012年12月14日
『記憶』 改札口にさしかかったら、前を歩く人が映画『マイフェアレディ』に出てくるイライザの父親アルフレッドそっくり。ズボンがそう思わせたのだが、「運がよけりゃ」が頭のなかで鳴り出した。さら40年以上もまえに東横線都立大学駅のホームで電車を待っているときに国際政治学者の坂野正高先生が当時公開されていたソ連映画『戦争と平和』にふれて、ソ連でもアメリカでも(オードリー・ヘプバーン主演の『戦争と平和』のこと)クトゥーゾフに同じような雰囲気の俳優で同じような人物像を描いていることを面白がっていられたことを思い出した。記憶が勝手に飛び出してくるのが面白い。(宮)

『車内での出来事』 ちょっと前の事になるが、11月も終わる頃の通勤電車。この季節外は寒いが少し動いて体が温まったあとに電車にのると、車内が暑いなあと感じることもあるし、温度差で汗もかいたりする。しかし、上着を脱いだり、マフラーをとったりするだけでもずいぶん違うし、対応できる。その日は新宿を過ぎ、少し空いてきた車内で周りを見回すとワイシャツ一枚の男性がいた。そこまでは良かったが、よく見ると何かで顔をあおいでいる。この時期でも扇子を持ち歩き、時にはあおぐ人を見たことがあったが(先に述べたような理由で)、その彼が何気なくあおいでいたのはまぎれもなく広告のついた無料で配られるようなタイプの団扇だった。わざわざ家からもってきているのだろうか?カバンに入れて持ち歩いているのだろう。冬にさしかかろうとしている日に団扇を持ち歩くとは、よほどいつも暑い思いをしているのだろう。などと一人想像しながら会社に向かって季節感とは程遠い朝の一こまであった。(やぎ)
2012年12月7日
『省略』 「横浜の磯子火発が不具合で運転停止」というニュースを見たとき鉄道情報かと思った。「磯子始発」の間違いかと。ところがそうではなくて、「磯子火発」は「磯子火力発電所」の略だった。「原発」と同じ略し方なのだとわかった。ニュース文の省略は新聞の見出しはもとより、パソコンでも新幹線などでながされているニュースでも多用されているが、やりすぎで意味不明の日本語になっていることが多い。日本語としてのかたちは崩さずにニュースの核心を伝えるべく智慧をしぼって欲しい。(宮)
2012年11月30日
『新聞記事の威力』 10年前に出版した『ヒトと動物』が朝日新聞で紹介された。「ニュースの本棚」という欄で、いい本だと書名を挙げられただけで内容の紹介はない。それでも記事のテーマに興味を覚えた読者が、良書と推薦された本を読もうと考えてくれる。出版社としては有り難いし、内容の紹介が付加されればこれが本を紹介する本道と思う。全国紙だと全国の書店やら大学やらから注文が入ってくる。本の内容については出版当初からとても面白い読み物だという自信があったので、いまこうして紹介されたことが、とてもうれしい。この本は人間と動物の関わり、関係をペット、家畜、自然動物の3方向からコンパクトに解説している。それぞれの分野の専門家が蘊蓄を傾けて書いていて、目から鱗の落ちる話がたくさんある。(宮)

『スリム化』 すこし前のことになるが久々に実家に帰って両親と会話した。夫の実家には年に何度も帰っているというのに自分の実家には年に一度か二度しか帰らないという怠けぶりだ。久々に帰って、元気そうな姿に安心したと同時に母のスリム化に驚いた。以前もすでに運動などの効果で徐々に体重を減らしていたが、シンボルマーク(?)でもあったあの大きなお腹がなくなっているではないか!顔色もいいようだ。聞けば増量中の私とは体重がクロスしそうな勢いだ。いやそれだけは避けたいところ。私もやっぱりウォーキングでもはじめようかなあ。スリムになった母に女としてのライバル心を燃やしてしまう大人気ない私だったりする。(やぎ)
2012年11月22日
『イルミネーション』 年末にいたるところイルミネーションが出来る。南大沢駅前にも出来たが、白と青の2色でいかにも寒々しい。なぜ暖色系にしないのかと訝しく思う。経費や技術上の理由があるのだろうが、、見た目が冷たそうで、気持ちまで寒くなる。(宮)

『さあ、冬本番』  いろんな「風邪」が流行る季節に突入しました。子どもを保育園や幼稚園に預けて働く親にとっては、気の抜けない毎日です。
 子どもの様子を逐一チェック、体調を崩さないか毎日ドキドキ、会社にいる間は呼び出しの電話があるんじゃないかとビクビク、その緊張感で自分のほうが体調崩しそうです。
 そんな緊張感を少しでも軽減する、先日インフルエンザの予防接種を子どもと一緒に受けにいきました。
 受付時間ギリギリだったので、自転車を猛スピードで走らせ、病院に到着。
 まずは、子どもの問診票記入と検温、問題なし。
 その次に、私の問診票記入と検温。なぜか、37℃超。
 受付の女性が、「37℃超えると、予防接種受けられないんですよ」と言うので、あんなに自転車で猛ダッシュした影響もあるはずと、少し時間をおいて、再び検温。やっぱり、37℃超。
 「全然、風邪っぽくないし、熱っぽくもないし、大丈夫だと思うんですけど、ダメですかね?」
 「37℃超えてると基本的には打てないので‥‥。まあ、あとは、先生の判断にはなるんですけど、一応問診だけ、受けます? 予防接種できなくても、問診料はいただくことになってしまうんですけど‥‥」
 あ〜、それはなんかもったいないなと思って、私は予防接種を受けるのをやめたのですが、子どもは「ママだけ、注射しないなんて、ずるい」と、猛抗議。でも、しょうがない。
 「ママは、次の時に、ものすごーーーーーい痛い注射を打たなくちゃなんだって。だから今日のほうがいいよ、いいなぁ、今日注射打てて。うらやましい〜」と、へんてこな説得をして、子どものみ、注射を受って帰宅しました。
 そして、家に戻って熱を計ってみると、平熱。あ〜あ‥‥。
(みなりん)
2012年11月19日
『電話応答』 問い合わせることがあって経団連に電話した。近頃企業に電話するとたいがい音声案内で用件によって数字を押させるが、経団連は二十いくつかの部署を案内する。しかも訊きたいことがどこの部署の担当か分からない。電話交換手がいて、用件によって然るべき部署につなぐほうがどれだけ親切で効率的か。企業はなるべく生身の人を使わないようにしているらしいが、生身の人による応対こそ本当のサービスだし親切だし効率的でもある思う。地下鉄丸の内線のワンマン運転など止めた方がいい。事故が起きたからでは後悔しても遅いのだ。どこの鉄道もホームにあまり人がいない。人を介してのサービスこそ本当のサービスだということが共通認識になればいいと思う。(宮)
2012年11月9日
『雪?』 住まっている14階建て住宅が大がかりな改修工事をしている。もう3ヶ月以上経つがまだまだ続きそうだ。朝起きてベランダを見たらいつもよりボーっと明るい。ガラス戸に近づいてみると塗料が着かないようにビニールが貼り付けてあった。これが室内からは、丁度前夜雪が降った朝のような雰囲気である。実はガラス戸の開け閉てもできない不自由な状態に押し込められているのだが、思わぬビニール効果に驚いた。(宮)

『冬眠』 人間にも昔は冬眠があったのではないか?と勝手に考えている。いやあったらいいなあという方が正しいか。寒くなってくるとガムシャラに栄養を補給したくならないだろうか?ガムシャラとまではいかないまでも確実に肉をためてエネルギーをためこもうとする体の働きが人間にもあるような気がしている。汗をかかないからという説もあるけれど、秋に食べるだけ食べたら、あとは暗くてあたたかい狭い場所で丸くなって眠っていられたらなあと妄想に走ってしまうのだった。(やぎ)
2012年11月2日
『車内放送』 先日の夜、帰りに京王線に乗ったら途中からノロノロ運転になり、駅ごとに長く停まる。車内放送で人身事故があり運転が乱れていることが判った。このときの車掌が、停車するごとにとどまらず頻繁に放送する。「乗客の皆様にお知らせいたします。先ほど○○駅と○○駅の間で人身事故がありました。その影響でただ今列車の運行が遅れております。乗客の皆様にはお急ぎのところご迷惑をおかけいたしまして大変申し訳ございません。心よりお詫び申し上げます。申し訳ございませんでした。」この放送を結構駅名を間違えながら繰りかえし繰りかえし流す。その頻度と言い間違いにブラックジョークかと思い、まさか京王線がそんなことするはずもなく、そのうち「いいかげんにしろ!」と腹が立ってきた。マニュアルに従った行為なのかもしれないが、おかしなやりかただ。(宮)

『さよならチコ』 チコは家の近所にいた犬の名前だ。今の場所に私が引越した当初は、チコはすし屋の勝手口につながれていて、毎日通るたびに声をかけてはかわいい目でこちらに向けてくれた。そのなんともいえない姿に癒されていた。私はチコが大好きだった。チコの気持ちは知らないけれど。
そのうちチコは勝手口から居なくなった。その戸口には「チコは元気です」とのコメントが。どうやら年をとって家の中で過ごすようになったらしい。夜遅くかえると家の人がチコを散歩させている姿を何度かみた。どうやらコメントはほんとらしい。いつでも会えるわけでないのでついついその姿を目で追ってしまう。
それから月日がたち、久しぶりにチコのことが気になった。勝手口になにか書いてあるのには気づいていたが、なんとなくちゃんと読むことのないまま8月がすぎた。ある日たちどまってそのコメントを読んだ。そこには「チコは7月29日に永眠しました」の文字があった。チコとはもう道ですれ違うこともないのだなと思ったらなんだかさみしくなってしまった。いままで私の心の友でいてくれてありがとう!と心の中でお礼を言ってしまった。
(やぎ)
2012年10月26日
『高齢化社会』 どこに行っても高齢者の姿が目立つ。ジーンズをはいた老人が電車に乗っているのはごく当たり前の風景である。65歳以上の人口が2005年には20%に達し、2015年には26%になると推計されている。5人に1人、4人に1人が65歳以上なのだから、目立つのは当然だ。街なかの路上、駅、乗り物の中、コンサートホール、美術館、どこでも老人が沢山いる。そのような風景が当たり前の社会に生きていることを実感する。人は生まれた時期により自分たちに特有の景色を見ながら生きていくのだと思うが、2012年の今は、老人の姿が目立つ社会に生きつつある。(宮)
2012年10月19日
『児童書読み物』 先日児童読み物の新刊をだしたばかりの児童読み物作家と話した。曰く、さる児童書出版社の担当者の話として、最近児童読み物がよく売れていると言っていたという。「ええ、それ本当ですか?」とすぐ反問した。出版社によって違うし、個々の作品によって当然違うが、全体の傾向として、児童読み物がよく売れているという話には実感が湧かない。一出版社としては、売れるような種々の努力を飽くことなくするだけであるが、読み物が本当に売れ始めたのならこんなうれしいことはないのである。この話を印刷所の担当者にしたら、児童書に重版が掛からなくなっている、まず読み物で、それから絵本についてもということだった。作家が聞かされた話は、なんだったのか?(宮)

『踊り狂う姪』 姪はもうすぐ2歳だ。音楽が大好きで、もっと小さな頃からかなりスイングしていた。今回、義祖父の33回忌で久々に再会。今回も例にもれることなくしょっちゅう歌をうたっていた。姪は、いろんな表現を知っている歌に乗せてくる。風船をもらえば風船の歌を歌うし、お布団の歌をうたえば歌いながら歌詞のとおりの行動をしようとする。感心したのは「ふうせんが、とんでいくよ〜フワァ〜」というところでとくにすこーし小さな声になり、歌声もやさしくフワァ〜とした感じにするところ。ちゃんとその歌の余韻を残しながらガス入り風船を部屋にフワァ〜と放つ。きっと彼女の中にイメージがちゃんと存在するのだろう。そしてきわめつけがマイケル・ジャクソン!ノリのいい音楽をかけるとよく踊るらしいが、マイケルはとくにすきらしく激しく踊り狂うのだそうだ。そしてスリラーが流れる。すると……ちゃんとマイケルっぽいふりで踊っているではないか!?おまけにリズムもあっている。そして普段はしないような腰の動きまで!映像を見せたことはないらしいのでダンスは創作らしいが、すごい、すごすぎる。マイケルさながらのダンスを見せられて笑いが止まらなくなった。「〇〇さん(姪のお母さん)が教えたんじゃないの?いつも踊っているんでしょ?」と聞くと「ぜったい踊ってな〜い」と言う。本当か?と少々疑っているが、だとしたら将来が楽しみだと、姪馬鹿の伯母さんになり一人ほくそ笑んだ。(やぎ)
2012年10月12日
『東京駅』 丸の内側の東京駅が再建・新装オープンした。南北の丸屋根は優雅で、周囲の高層ビル群に圧迫されてはいてもなお独特の雰囲気を醸し出している。残念なのは駅前広場に数基ある換気塔の存在だ。これが景観の邪魔にならないように処理できないのかと思う。東京駅と丸の内のビジネスビル群がつくる景観と雰囲気は、昭和30〜40年代とは全く趣を異にした新しいものに変貌しつつあるが、その終幕も近いと感じるほど再開発が進んだ。長い時間をへて変貌していく姿をとりあえず見てきたわけである。(宮)

『ロザムンド・ピルチャー』 ロザムンド・ピルチャーと言って今、どのくらいの人が「ああ、あの作家ね」と思い出してくれるだろうか?朔北社にはピルチャーの本が3タイトルある。ロザムンド・ピルチャーはイギリスのベストセラー作家だ。彼女の作品が、日本で最初に紹介されたのは1993年。晶文社から出版された短編集で「ロザムンドおばさんの贈り物」という本だ。この本は若い読者も多く、書店での動きも良かった。もともとは、翻訳者の中村妙子さんがイギリスのヒースロー空港での待ち時間にこの本に出会い、晶文社に持ち込んだと聞く。偶然出会ったこの作品に中村さんは夢中になったそうだ。出会いというのは不思議なものだ。1995年〜順次、他の会社が手を伸ばさなかったピルチャーの長編と中編合計3タイトルを朔北社から出版し始めた。これがピルチャーの代表作と言われた2つの長編そして中編も一冊。晶文社の3冊の短編集の評判だけでなく、その他の会社からも何冊も翻訳出版されたおかげでピルチャーの知名度はグンと上がった。今はミステリー以外の外国文学はそれほど話題に上がらないのだが、長く読まれたい作品が買おうと思ったらなかったというのはほんとうに寂しい。だんだんに売れなくなってはいるが、日々感じているのはピルチャーには熱烈な読者がいて、口コミで読者がとぎれないということである。

また、1冊読むと他の作品も読みたいという中毒?というとオーバーだが、そんな欲求がわく作品であるようだ。読みようによってはハーレクイーン小説ぽい一面(すべてではないと思うが恋愛がからみ、最後は幸せな気分に浸らせてくれるハッピーエンドが待っている)もあるが、そこに流れるのは普通の人(日本の暮らしとは違うが)たちの日々の感情であり、人はいい部分も悪い部分も持ち合わせているが、そのすべての感情が目の前で展開するように目に浮かぶのだ。怒り、ねたみ、興味、尊敬、喜びそのすべてがあますところなく描かれそのすべてが愛おしく感じてしまうのが彼女の作品であると私は思っている。

版権を仲介してくれている会社から彼女の本の更新の意志を聞かれ、今後もこの本を出版し続けるか否かの判断をしなければいけなくなった。久しぶりに他社が今この本をまだ販売しているのかと見てみることにした。そして愕然とした。なんと、朔北社の作品以外、購入できない様子なのだった。朔北社のピルチャーの本と比較しても売れていたであろう本も含めてだ。そして朔北社が出した答えというのが…ただ単に自社の本を更新するのではなく、日本で出版されたピルチャーの本の中から3点を選んで、朔北社刊の新装版として出すことだ。その3タイトルは下記の通り。

「シェルシーカーズ」上下巻(小社刊)
「双子座の星のもとに」(日向房より刊)
「ロザムンドおばさんの贈り物」(晶文社より刊)

先に普及版として出し直している「九月に」上下巻も含めて4つのタイトルが来年中には朔北社で購入できるものとなる。残念ながら小社刊の「野の花のように」は絶版となります。

本を絶版にするのは簡単に思えるかもしれないが、実は苦しくもある。どの本だってみんなに読んでもらいたいと思って作った本である。でも、読者に知ってほしいのは、どんなにいい本、愛された本でも、一定の冊数が売れていかなければ絶版にせざる得ないことがあるということである。「残してほしい」だけでは出版社はなりたっていかない。購入してくれる読者がいて初めて本は長いあいだ残っていくのだと思う。図書館を利用することは問題ないが、気に入った本は自分のものとして購入してほしいと思う。まさにピルチャーの本は図書館で読んでどうしても自分にもほしくなったという読者が多かった本だ。ありがたいことである。これは残していきたいと思った。刊行時期がはっきり決定したら、ホームページにてご案内したいと思っております。

10/5付でアップしましたが、見直したつもりが見直されていないおかしな文章でした。10/12付にて差し替えました。お見苦しくて申し訳ありませんでした。(やぎ)
2012年10月5日
『連絡』 毎日利用している通勤電車について思うこと二つ。どこの私鉄も特急、準特急、急行、快速、通勤快速、特別快速、各駅停車などいろいろ種類があり、どこかの駅で連絡や通過待ちがある。私鉄ごとに名称が違うし、目的地につくためにどの電車に乗ればいいのか分からない。初めて乗るときには訳がわからず途方に暮れます。それから最近「あれ?」と思うのは、たとえば急行と各駅停車が連絡するとは言っていないが、急行電車がホームに入ったとき、反対側のホームに停車中の各駅停車がおもむろに走り出すダイヤの組み方。連絡出来る状態なのに、連絡せず発車してしまう。諸種の都合でそうなっているのだとは想像するが、もう一工夫して連絡するようにできないのだろうか?(宮)
2012年9月28日
『ワルター没後50年』 日曜日、例によって皆川達夫さんの「音楽の泉」を聴こうとラジオのスイッチを入れたら、ベートーヴェンの《田園交響曲》が流れている。もしかしてと思いつつ聞いていたら、予想が当たってブルーノ・ワルター指揮、コロンビア交響楽団の演奏で、ワルター没後50年を記念して放送されたことがわかった。計算すればその通り没後50年なのだが、私は50年前ワルターが亡くなった直後にラジオで追悼のために流されたマーラーの交響曲第1番を聴いたことを思い出した。年をとるとこういうことがあるわけで、亡くなったときと50年後と2回追悼音楽を聴いたわけである。50年前は全曲でなくたしか第3楽章をやったと思う。私はこのときマーラーを初めて聴いて、あの一度聴いたら忘れられないリズムとメロディを知ったのである。
ワルターの《田園》ではもうひとつ思い出すことがある。高校時代、図書委員をやっていてレコードコンサートをすることになった。そしてクラシック音楽に詳しい上級生の指示でLPを探しに行ったのだが、それがワルターの《田園》であった。ところがLPを見慣れない私は、探し回ってやっと《田園》を見つけたが、それはワルターではなかった。「ワルターの《田園》と言ったのに」と上級生に酷く非難されたことを覚えている。
(宮)

『庭の草とり』 我が家はしがない賃貸住宅住まいで庭とは無縁の生活をしているが、わたしが住んでいるあたりは一軒家も多く、いつかはこんな一軒家住みたいなあと思ったりしながら日々を送っている。しかし、通勤途中にある家の庭はこれでもかというくらい草がボウボウの時と「えっ!」と思うくらい見違えるほどきれいに草取りされているという極端ぐあいが気になる家である。月に一度くらいの割合で手入れされている。仕事を終えたあとはさぞかしさっぱりした気分になるのだろうなと思いながらその庭をいつもながめる。せめて一週間に一度手入れをすればあんなにはならないだろうになあと思うのだ、忙しい人たちなのだろう。かといいながらももしも自分の庭があったらわたしもそんなふうになってしまうかもしれない。
ふと実家の庭を思い出す。私が子どもの頃の新しい感じの住宅街では庭に芝生が植わった家が多かった。今はどうなのだろう?我が家は誰かしらが庭の草取りをして庭に草ボウボウということがなかったなあといまさらながら感心してしまった。わたしも庭ですごすのが大好きで一人でじゃがいもを植えて育ててみたり、草取りしたりアリの観察をしたり、泥団子を作ったり、自転車のパンクを直したりしていたのを思い出す。学生時代も勉強は嫌いだったが、草取りは好きだった。久々に草取りを思う存分してみたいなあ。
(やぎ)
2012年9月21日
『大久保利通の肖像』 横田庄一郎著『大久保利通の肖像』が書店に出て、間もなく1週間。著者の横田さんをやきもきさせたが、やっと役目を果たせた心地がしている。書店で、五姓田義松が描いた大久保利通の下絵がちゃんと見えるように、つまり平積みや面出しで陳列してくれればいいのだが・・・。赤い帯のうえに若き日の大久保が明るい表情を見せているが、多くの読者に読んでもらえると期待させられる顔である。(宮)

『入札制度』 もしかして以前にも書いたことがあるかもしれないが本の入札制度については、なくなればいいのにと思う。適正な価格を知るために、見積もりを取ることは大切なことだが、入札とは値段だけで(基本安いところが通る)その店や企業の仕事ぶりなどは無視されることも多いようだ。
今問題になっているのは、入札によって丁寧な仕事をしてきた地元の書店はいままで付き合ってきた学校への納品をあきらめざる得なくなったり、もしくは他で利益をあげている業種に仕事をもっていかれたりするのだ。もともと、利益の多いものではない本は、入札制度などというもの自体がそぐわないのだ。再販制度により本の定価販売が義務付けられているのに、国自らがそれに違反しているのでは?と疑問がわく。
夫の実家は米屋だが、やはり、市営の病院などに米を納入するのも、入札によるといっていた。ほとんど儲けにはならないと言っていた。しかし国の施設や、大きなところに納入しているということで店の宣伝にも信頼にもつながるのでやっていると言っていた。でも国が国民に泣いてもらう制度が入札制度なら一刻もはやくやめるべきだと思う。米の値上げについての反応も同じだ。よっぽど民間のほうが社会の動きに敏感で、米の仕入れ価格が上がったときもその説明をすると、納得して引き続き米をとってくれた業者がほとんどだったが、国や市は違ったようだ。契約期間中は同じ価格で納入するようにいわれて米を納入してくれている人と交渉しどうにか赤字をださないようにしたらしい。そこそこ利益を出せているものであれば多少の期間であれば仕方がないが、ほとんど利益がないものでは業者の首を絞めかねない。人は働きそれに対して見合う報酬を得られなければ仕事を続けていかれないのだから。でもその実、税金を払うべき一般市民である米屋の売上げは頑張れば頑張るだけ恩恵をうけているのかといえば違う。国や市町村が公であるとは思うが、もとをただせば、誰しも一人の人間であり、尊重されるべき人の集まりが村になり町になり市になり国になっているのだ。一個人の幸せが国の幸せであり、販売店が利益を得られないようなしくみはなくなったらいいのにと思う。国や市町村でそんなことを柔軟に考えてくれる人はどのくらいいるのだろうなあ。
(やぎ)

『がんばろうの1曲』 今の私は、朝が一番疲れている。
夕方、仕事が終わって、子どもを幼稚園に迎えに行ってからの十数時間、とにかくバタバタ慌ただしい。朝、子どもを幼稚園に送っていった瞬間に、どっと疲れが……。
その疲れを何とかふっ飛ばし、仕事へのモチチベーションを上げるために、通勤の時に、音楽を聞いている。
よくよく考えると、10代の頃からそうだった。今にもポッキリ折れそうな気持ちを修復するには、お気に入りの曲を聞いたり、歌ったり。子どもが生まれる前は、頻繁にライブに行ったり、カラオケに行ったりしていたが、今はそうもいかない。
大通りを外れて裏道を、小さな声で歌を歌いながら、今日も会社へと向かうのです。
(みなりん)
2012年9月14日
『音楽はいいなあ』 音楽の趣味は人それぞれだ、仕事で知り合った方とジャズ喫茶に行った。ジャズもいろいろなんだろうけれど、私は比較的軽やかなメロディーが好きなようだ。そしてオーディオの話になった。聞くと私以外の皆さんは会社で音楽を流しながら仕事をしているらしい。いいなあと思った反面、自分の会社でだったらみんなどんな音楽をかけたいと思うのかと考えた。きっとみんな好きな音楽が違いそうなのでも今後もきっと音楽のある会社にはならないだろうなと思った。
最近ソニーの小型のウォークマンを買ってもらったので気に入りのアルバムを入れて朝の通勤電車の中で聞いてくる。「def tech」と「ユッスンドゥール」が最近のお気に入りで何度も聞いている。のびやかで楽しそうな歌声やハーモニーになんだか心がすっきりする。お休みの日は特別に掃除したあとの居間でステレオの音量を多少大きくして好きな音楽を聴くとなんだかとても贅沢なひと時をすごしている気分にもなる。どんなに未開の土地でも音楽はあり、喜びにつけ悲しみにつけ、心をあらわすように音楽がある。音楽は人が生まれる前からDNAの中に組み込まれているのかもしれないなあと思ったりしてしまった。
(やぎ)
2012年9月7日
『猫』 9時半ごろ南大沢駅から自宅に向かって歩きだした。とちゅう首都大学東京の構内と立体交差しているところがある。大学の一角にたいなところで植物もたくさん植えられているが、このあたりに野良猫がいる。わたしの知る限り2匹いる。その1匹が大学構内と交差している土手にうずくまっていた。その猫が私にむかって訴えるように鳴きかける。目を向けてなにごとか話すような感じに驚いた。5,6メートル離れたら鳴きやんだが、また聞こえてくるので振り返ってみたら女性が歩いていた。目の前を通過するひとに訴えているのだと思う。この場所でよく猫に食べ物をやっている人がいるので、食べ物をねだっているのか、たんに構ってくれと言っているのか、人をすこしも恐れていなくて、交流しているわけだ。(宮)
2012年8月31日
『地下に潜った調布駅』 8月19日調布、布田、国領の3駅が地下化された。ずいぶん長い期間工事中だったが、切換え工事実施が19日だった。前日の18日に多摩川を渡って調布に近づいたら、車内放送が
「明日京王線調布駅は地下化されます。ただいま車窓から見える風景も今日を最後に見られなくなります」
という意味のことを言った。おもわず手元の本を閉じて車窓から景色を眺めた。だいたい車窓から景色をみるのは好きだし、いつも季節の移り変わりを楽しませてもらってきた。そして、調布から国領までは何ということもない景色ではあるが、今日限り見られないとなれば名残惜しくなる。地上の調布駅も壊されるのだろうから、もう一度見ておきたい。これは無理だろうが、見るといえば切換工事を見たかった。もちろん周到な準備のうえに実施されたに決まっているが18日の終電から19日朝までに終わったらしいから、すばらしい。
(宮)

『新鮮な気づき』 少し前のことになるが、いつの間にか結婚していた知り合いに、「おめでとう!」と声をかけたとき「新婚生活はどう?家事との両立たいへん?」などと声をかけた。そのときの反応の中に素直なその人の人格を見た気がした。そのときの返事がこんなふうだ
「いやー、洗面台って掃除しないと汚れるんですね!今まで母親が毎日きれいにしていたことを結婚してからしりました〜」
とのこと。思ってもはずかしくて言わない人もいるかもしれないけれど、その人の開いた心がなんとも気持ちよくて思わず笑ってしまった。なんともかわいらしい出来るOLという彼女とのギャップにも好感がもてる。家を離れたとき、結婚したとき、子どもができて子育てに向かったとき経験をとおして親のありがたさとか、こんなときこんな感情になるのかなど学んでゆくのだろうなと思う。一生人はそうやって経験にないことを学んでいくのかもしれないなと思う。確かにいつもきれいな場所はいつもきれいなのがあたりまえて気にもとめないが、家に居てもなお家の人がせっせと掃除をしたりする姿を目にする機会がなければ家族が気づかないこともありえるのだなと思った。
私自身はというと、人の家でほこりがない居間をみたりすると関心する自分がいたりする。我が家は一週間に一度程度しか掃除をしないからなのかほこりがよくたまる。最近は便利な掃除グッズもあるのでためしに毎日気づいたほこりをぬぐうようにしてみたものの一日たつとまたほこりがたまっているのだ。どうやったらほこりがたまらないように保てるのか?いい方法はないのかなあ。
(やぎ)

『見果てぬ夢』 ♪夢はみのり難く
 敵はあまたなりとも
 胸に悲しみを秘めて
 我は勇みて行かん
 道は極め難く
 腕は疲れ果つとも
 遠き星をめざして
 我は歩み続けん♪
私の大好きなミュージカル「ラ・マンチャの男」より「見果てぬ夢」の一節です。
実はこの度、諸々の事情により退職することになりました。本当に長い間お世話になりました。最後にこの歌を高らかに歌ってお別れしたいと思います。私はどこにいようと笑顔を忘れないつもりです。どうぞみなさまもお元気で!。
(むく)
2012年8月16日
『久しぶりの対面』 今朝(16日)天気予報が、「今日は空気が澄んでいて云々」といっていた。駅まで歩いていくと相変わらず真夏の強い光線だが、こころなしか空の青さが増しているような気がした。京王線に乗るといつものようにつり革につかまって新聞を拡げていたが、やがて多摩川に差しかかる。まさかと思って富士山が見えるはずの方角に目をやると、くっきり黒富士がいました。雪がないから冬場の美しい富士山とは違うが、何ヶ月ぶりかであの優美な形を確認できた。「多摩川からみる富士山」は通勤途上のみもののひとつである。(宮)

『釧路の市場にて』 先日北海道に旅行したのだが、最終日の昼食は釧路の市場だった。まず大・中・小の丼に盛られたご飯を選んで買い、自分の気に入った魚屋さんで好きなネタをのせてもらう勝手丼に挑戦。食べるのは市場の真ん中にあるテーブルだ。
そこで隣に座っていたおじさんが一人で立っていた外国人の若い男性に「ここ空いてるよ」と親切に声をかけた。そして「Where〜」と英語でどこの国から来たのかを尋ねた。返ってきた答えは「フランスです!」とはっきりとした日本語!そして逆に「そちらはどちらからいらしたんですか?」と聞かれている。おじさんは「日本!日本!」とトンチンカンな答え。さらに「日本のどちらからですか?」と聞かれている。
この際だからと私も会話に加わり、「日本語がとってもお上手なんですね」と言うと「もう五年も東京に住んでますから」、そして「仕事ではスーツとネクタイなので東京は暑くて大変です。北海道は涼しくていいですね」
そのほかにも温泉が好きなので日本中あちこち旅行しているとか、今日は妻が具合が悪くホテルで休んでいるので自分一人で観光しているとかをきちんとした日本語で話された。私としては片言の英語(フランス語は無理だが)でなんとか通じるみたいなやりとりを期待したのだが、まあこれはこれで楽しかった。これも旅先ならではの出来事だろう。
(むく)
2012年8月10日
『土讃線』 仕事で高知市へ行った。東京から新幹線で岡山、岡山から瀬戸大橋を渡り、土讃線で高知まで。
土讃線は初めてだったが四国横断の鉄道で、初めて目にする、のんびりした田園風景と山間の風景に、本を読むどころではなく見とれてしまった。途中大歩危(おおぼけ)、小歩危(こぼけ)といわれる渓谷を通過した。おかしな名前と文字は、しっかり記憶されたことである。このときは「景観に注目」という車内放送があったが、放送されるだけのすばらしい景色だった。ただひとつ残念だったのは、列車の窓ガラスが汚れていたことである。せっかくの景色でもっと多くの人を楽しませることができるのに、特急といいながら、うらさびれた田舎電車のイメージしかないのは残念なことだ。
(宮)

『わたしじゃないのに』 笹塚から乗り換えた都営新宿線。しばらくして乗ってきた人から何かなにかの匂いが漂ってきた。きつい化粧かな?と思って確認のため大きく息をすいこんで、しまった!と思ったときは遅かった。どうやら、おならのようだ。空気は流れていたのでみんな「あれ?」と思ったに違いないが表情を変える人はいなかった。しかし笹塚を出発した電車はトンネルに入り…私の背後の男性がトンネルで鏡のようになったドアのガラスにうつる私の顔をじっと観察している(ように見えた)。わたしじゃないよ〜といいたかった瞬間だった。(やぎ)
2012年8月3日
『蝉』 午後の打合せ中に蝉の声が聞こえた。神保町の町中で蝉の鳴き声は珍しいかもしれないが、そういえば今年は南大沢で蝉の声を聞いていない。夏真っ盛りの今蝉の声がないのはおかしい。ここ数年、すさまじい豪雨やら猛暑日の連続やら、異常気象と思うしかない天気が続いているが、今年の蝉の声無しもそのせいなのか。この2,3日はくっきりした夏空が続いているが、蝉はどこへ行ったのか。もっとも昼間の南大沢で確認したわけではないが・・・。
数年前、夥しい数の蝉が出てきたことが嘘みたいな静けさだ(あの時は脱け殻がいたるところに目に付いたものだった。
(宮)

『ディズニー・オン・アイス』 ほとんどの観客が小さい子供連れの中、おばさん一人でディズニー・オン・アイスを観に行ってやったぜぃ! …とスギちゃん風にワイルドぶってみたものの、やはりディズニーを一人では、ちと寂しかった(泣)
国立代々木体育館でのディズニーのキャラクターたちによるアイスショーなので充分に楽しかったのだが…
思えば子供が小さい頃にママ友から「ディズニー・オン・アイスは楽しいよ!」と薦められ、それ以来ずっと行きたかったのだが機会がなかったのだ。次回行く時には孫でもいたらいいなと思いながら、何のグッズも買わずさっさと帰って来たのであった。
(むく)
2012年7月27日
『図書館を利用する』 仕事で図書館を利用している。千代田区立図書館は一度に5冊、八王子市立図書館は10冊借りられる。どちらも借り出し期間の延長ができる。借り出し利用者には親切な運営だが、所蔵図書は専門書が少ないので、仕事にはあまり役立たない。最近、仕事のために首都大学東京の図書館を利用させてもらっているが、こちらは一度に5冊まで、借り出しの延長はできない。夜は9時まで開館しているというので、先日間に合うように会社を出て入館したのだが、借り出す予定の本は地下1階書庫にある。ところが地下書庫は8時半に閉めてしまうということで、借りられなかった。
貸し出し等のサービスについては、大学図書館はかなり遅れているといえる。公共図書館と大学図書館では利用者の種類・性質が違うので、それぞれに適合した運営があるのではないかと思いつつ、なんともちぐはぐな運営振りに振り回されながら、どちらも利用してます。
(宮)

『オリンピック』 そう、今年はオリンピックイヤーだった!
四年に一度の、私の楽しみ。
今日、ついに開幕します。ロンドンオリンピック。
時差があるので、夜中の中継が多いけれど、頑張って応援しなくちゃ。
寝不足の日々が、始まります!
(みなりん)
2012年7月20日
『漱石全集』 神保町の古書店を歩いていたら「新入荷」と書いて16巻本の漱石全集が展示されていた。すべて箱入りで、箱は全く日に焼けていないきれいなもの。本体の背も鮮やかな朱色がみえる。みごとな保存状態で、値段をみると4000円。今時、場所ふさぎな個人全集が不人気なことは重々承知していたのだが、目の前の美本が16巻揃いで4000円とは。漱石全集に限らず、買っておきたい個人全集があれば、今が買い時であることを覚えていこう。まあ、生きているうちどれだけ読めるかも考えなければならないが・・・。(宮)
2012年7月13日
『記録にない豪雨』 九州では過去の記録にないほどの豪雨だそうだ。地震や津波と比べれば、事前に予想されていたわけだから、いかなる豪雨といえども、すくなくとも人的被害が出ないように出来ないものかと思うが、命を落とす人が出てくる。それも二桁のレベルで。自然の力の大きさかもしれないが、人知の頼りなさでもある。豪雨と聴いて、子どものころ、それこそバケツをひっくり返したような降り方で、家の前の坂道を水が川のように流れていった景色を突然思い出した。異常気象をいわれている今に限らず、すさまじい降り方は、昔もあったということか。(宮)

『物語の中の本たち』 もともと本が好きだからかもしれないが、本を読んでいても漫画を読んでいても本屋の話とか本が出てくる話があるとなんだかワクワクしてしまう。現に話題になる本の中、そういう本も結構含まれている。きっと選ぶ人も本が好きなんだろうなと思う。最近だと、漫画では「本屋の森のあかり」や「図書館の主」などがそれにあたるし、ほかにもたくさん出ているようで、ネット書店のアマゾン(ネットで買ったりして町の本屋さんごめんなさい…)などでそれらの本を買ったりしようものなら次から次へと似たような本を紹介してきたりするので、その中に好みにあった本があると思わず買ってしまう。それで面白いのが本の中で紹介される本が、あまりに魅力的に書かれているのでへえそんな本だったんだ〜と読みたくなることだ。ほかの読者はどうなのだろうか。ためしにそれらの漫画の本のとなりに中に出てくる本が揃えられていたらうっかり(?)というか、思惑通り買ってしまいそうだ。きっと私以外の人でもそんな人がいたりしてちょっと古い本でも売れるんじゃないだろうかとさえ思う。
電子ブックに入れてたくさんの本を運べる今でも、やはり、私は紙の本が好きだ。一冊をかばんにいれて好きなときに好きな場所でよめるのは電子ブックも一緒だけれど、電源がなくても読めるのが本のいいところだ。もうすぐ読み終わる本のあと次は何を読もうかな?と今日も考えている。
(やぎ)

『大腸検査のその前に…』 先日大腸の内視鏡検査をやった。病院の控え室で午前中に2リットルの下剤(ポカリのような物)をちょびちょび飲み、腸がすっかりきれいになった状態で午後から検査という手順だ。
その日はもう一人上品な70代の御婦人と一緒で、最初はお互いに黙って読書をしていた。そのうち二人とも読書にも飽き、おしゃべりを始めた。その方の話が実におもしろかった。もう二十年も能を習っているとか、昔はシナリオ教室に通っていて、成績が良かったので某有名脚本家の代筆をホテルに缶詰になってさせられたとか…甥っ子の一人がアメリカでは有名なパーカッション奏者で、その奥さんは黒人のニュースキャスターだとか、海外旅行ではコンドミニアムを借りてのんびり過ごすのが好きとか、とにかく別世界の話にしばしうっとり。今度の能の発表会には是非いらしてとお誘いまで受けた。午後からの検査は思いの外苦しいものだったが、午前中は楽しい時間が過ごせたから、まあいいか。
(むく)
2012年7月6日
『歌の日曜散歩』 日曜日の朝は、近頃はラジオで8時から皆川達夫の「音楽の泉」(何十年続いているのか?!)、9時から「日曜討論」、10時から「歌の日曜散歩」を聴くことになっている。
この「歌の日曜散歩」で八十幾歳かのひとのリクエストで、「先日ラジオ深夜便で〈伊豆の佐太郎〉を聴きましたが、高田浩吉といえば同じ頃〈大江戸出世小唄〉が流行っていました。これをぜひ聴かせてください」と。これに応えて〈大江戸出世小唄〉がかけられた。単純な節だが、高音のいい声で一気に歌われるのに聴き惚れた。しかしこの曲はたしか戦前の作品のはずと思って調べたら昭和10年(1935)の歌だった。歌謡曲には戦前・戦後の断絶があまりないようで、おおまかに括っていえば昭和三十年代末から四十年代までの約四十〜五十年間が歌謡曲の時代だったのではないか。
(宮)
2012年6月29日
『池辺三山と漱石』 間もなく刊行する「大久保利通論」の関連で、『明治維新三大政治家』の「大久保利通論」を再読した。頭に残っていた読後感は、講談調の面白い読み物というものだったが、まるで違う印象にいささか戸惑った。西郷と大久保についてのみならず人間を実によく観察し描き分けている。そして「大久保利通論」のなかでとりわけ共感しまた感心したのは、「大久保の政治家としての本領を武権制御並びに軍人駆使ということにして見たい。」というところである。大久保の態度は幕末維新の修羅場をくぐり抜けてきたからこそ取ることの出来たことであるかもしれないが、明治末年の執筆時にこのことを明確に指摘した三山の慧眼に敬服する。この本でもうひとつ嬉しかったのは、漱石の序文である。気持ちのこもった一文は漱石の人間関係の一端をしめしているだけでなく、人にたいするこのような態度、気持ちを持っている作家であるがゆえに、漱石の作品に引きつけられるのだと得心したことである。(宮)

『人はなぜ?』 普段何度も目にしているはずの注意書き。今回なれない仕事をしてみて気づいた!何度も見ているはずだったけれどまったく見ていなかった注意書き。「はて、これはどこが限度なんだろう?」と書かれている文書を読んだ。それこそ耳たこならぬ、目たこくらい目にする場所にある注意書き。人はいろいろな情報から無意識のうちに自分に必要な部分だけをチョイスしている。いや、もしかしたら普通の人はいつもその注意書きを覚えていて必要な時にちゃんと覚えているものなのかもしれないが、ほとんどの場合は一度覚えても自分に必要でない情報は忘れてしまう人が多いのではないだろうか?私なぞは自分に必要な情報ですら自分のノートのメモを見直して確認する始末だから、益々しまつにおえない。人はなぜ見ていても気づかないのか?うーん、もう少し記憶力がある人になりたいものだ。(やぎ)

『ぽんて・おうちえん』 久しぶりに会った高校の同期生が、今年になって一軒家を借りて自分で少人数制の保育園を始めたのだそうだ。ずっと保育士として働いていて、自分で保育園をやるのが夢だったと言う。「ぽんて」とはイタリア語で橋の意味で、子供と親の架け橋になればとの願いから「ぽんて・おうちえん」と名付けたとのこと。実家に子供を預けるような気持ちで預けて欲しいそうだ。まだまだ採算はとれないそうだが、志の高い保育士さんが集まってくれてなんとか頑張っているということだ。同じ年齢の友人が頑張っている話を聞くと本当に嬉しい。自分も頑張らねばと思う。お孫さんが産まれたらぜひうちの保育園にと言われたが、場所が千葉県なのでちょっとそれは無理か…(むく)
2012年6月22日
『万歳(バンザイ)の起源』 若槻礼次郎の自伝を読んでいたら、万歳(バンザイ)の起源について書かれていた。
明治憲法発布のころ若槻は東京高等中学(第一高等学校の全身)に在学していた。当時天皇出御のときに歓呼する言葉がなくて、大学の先生たちのあいだで歓呼の形式が論議された。そして、こういうことが得意であり上手でもある経済学の和田垣教授の提議で「万歳、万歳、万々歳」と唱えることに決まった。ところが憲法発布の日、二重橋で「万歳」の声を挙げたとき馬車の馬が驚いたために第2声の「万歳」は小さな声になり、第3声の「万々歳」は唱えずそれきりになってしまった。若槻はつぎのように書いている。
「その後陛下の出御の時ばかりでなく、一般に何か目出たい時には、国民的の歓呼として『万歳』を唱えるようになったのだが、三声目の『万々歳』はあの時以来、闇から闇へ葬られた次第である。これは私が旗手として参列した時の出来事であったから、記憶に深いのである。」
(宮)

『古本で買った本』 中古で本を購入した。1993年に刊行になった文庫本。届いた本はパラフィン紙のカバーにくるまれてなんとも味わいがあってひと目で気に入ってしまった。本の厚みといいパラフィン紙の感触といいとても手になじむ。題名は『カラハリの失われた世界』(ちくま文庫)だ。社長に聞いたらすでに読んだことがある本らしい。よく見ると叢書で1970年に出ている。原書は1969年に出版になっている。社長の話では当時ベストセラーにもなっていたとのこと。
今読んでいる最中だが、私が踏み入れたことのない世界に心をふるわせながらがら読んでいる。読んでいたら、前の持ち主が買ったときのレシートが挟まっていた。レシートを見ると1996年9月24日駸々堂神戸三宮店とある。なんだか前の持ち主に出会ったようなうれしい気分にさせられた。前の持ち主はこの本をどんなふうに楽しんだのだろう。そのレシートをしおりがわりに使いながらそんなことを考えてしまうのだった。まだまだ知らない本が世の中に数え切れないほどあり、古くなってもロングで売れてほしい本が探せば見つかるのだろうなあ。
(やぎ)
2012年6月15日
『高級寿司店初体験』 最近は回転するお寿司屋にしか行ったことのない私だが、友人に誘われて浅草のある寿司屋に行った。お値段もいいのだが、とにかくネタが良くおいしいのでお薦めの店だという。靴を脱いであがるとか、にぎりはカウンターから手渡しだとかの情報を事前に聞いて、敷居の高い店なのかと少々緊張。だが店主も女将さんも気さくないい人で楽しく食事が出来た。もちろんネタは最高!
帰る頃に相撲の○○親方がみえ、女将さんが「せっかくだから一緒に写真を撮ってもらいなさいよ」と親方に頼んでくれた。私は相撲はまったく詳しくなく、なんとなくお顔を存じ上げているという程度なのだが、ミーハー気分で盛り上がる。
気軽には行けない値段の店だが、一年に一回くらいならまた行ってみたいものだ。
(むく)
2012年6月7日
『チアリーディング』 土曜日の夕方、横浜線に乗ったら20歳ぐらいの女性が集団で乗っている。就職活動をしている女子学生が身につけている黒の制服というか、スーツを着ている。それから一様に、運動部の学生がよく持ち運んでいる大型バックをもっている。やはり就職活動なのかあるいはひょっとして新入社員の研修にでも行くのかその帰りなのか?この集団が私と行動が一緒で橋本、南大沢ときて大学に向かって半ば行列をつくって歩いていく。どうやら大学に入るらしい。だんだん疑問がふくらんできたので、かたわらを歩いている一人にたずねた。
「あなたがたはなにをしている人たちなのですか」
「チアリーディングです」
という答え。チアリーディングのコンクールでもあるのかと思ったら、そうではなくてサッカーやその他のゲームを応援するために、横浜から出てきて今晩は大学に泊まり込んで明日チアリーディングをやるのだそうだ。あの黒のスーツはやはり制服みたいなものなのだろうか。
(宮)

『地上最大の手塚治虫展』 世田谷文学館で催されている手塚治虫展に行って来た。私にとって最初の手塚治虫作品との出会いは、子供の頃弟と一緒に夢中で観たテレビ・アニメ「鉄腕アトム」だ。そして大好きな作品は10代後半で読んだ「ブラック・ジャック」。ちょうどその頃母親が癌で入院していて、本気でブラック・ジャックがいてくれたらと願ったものだ。
文学館の展示はたくさんの原画や資料が楽しめた。宝塚歌劇が好きだった手塚は自分のキャラクターを劇団員と考え、さまざまな作品に役柄を与え登場させているとの説明に納得。ヒゲオヤジやハムエッグがいろんな作品に登場するわけだ。晩年の作品はなんだか難しいような気がしていて読んでいないのだが、これを機に挑戦してみようかと思っている。
(むく)
2012年6月1日
『クールビズ』 さる会社で、5月から「クールビズでして」とネクタイなしで応対された。上着を着ているのにネクタイ無しというのはだらしないだけだとおもうが、上からの指令でこの姿は結構広まっているようだ。暑い最中に背広にネクタイというのは、やめてもいいと思うが、どうもネクタイをしないことが現代の風俗になりつつある気配だ。各国の要人も、上着着用の有無にかかわりなくネクタイ無しの姿をみせることが多くなった。こうして長年見慣れた背広にネクタイという男の服装が、変わっていくのかどうか気になる。(宮)

『カーヴィーダンスやってます!』 日々膨張する我が肉体をなんとか阻止しようとカーヴィーダンスを始めた。と言ってもジムやスタジオに行くのではなく、DVD付きの本を買ってきて、家に誰もいない時を見計らってテレビの前でやるのである。飛んだり跳ねたりせずに粘りっこい動きでクビレを作るというコンセプトのダンスなのだが、まず簡単な動きが出来ない。手と足を同時に動かすなど、もうお手上げ。鏡の前ではないので自分がどんなぶざまな格好をしているかわからないのでまだいい。これが自分の姿を見ながらだったら、おのれの姿に恐れおののき、たら〜りたらりのガマの油状態だろう。それでなくても少し動いただけで大汗かいているというのに。それにしても今さらクビレてどうするって話だが、持っているパンツやスカートがはけなくなるのは大変困るのだ。夏までにはほんの少しでもなんとかしたいのだが…(むく)
2012年5月25日
『和魂洋才の系譜』 平川祐弘さんの『和魂洋才の系譜−−内と外からの明治日本』を読んでいる。森鴎外を軸にして書名になっているテーマを多角的に丁寧に論じている。たいへん面白い本だが、なにしろヴォリュームがあって、なかなか進まない。楽しみが続くわけで嬉しいことだが、図書館から借りだした本なので、はやく読まないと途中で返さなければならなくなる。2段組で、小さな文字が1ページに1350字つめこんであり、計算したら400字詰め原稿用紙で1500枚弱ある。私が読んでいるのは新装版で1987年刊行だが、現在ではちょっと考えられないような作り方だ。もっとゆったりした組み方で作り、多数の読者に読まれてほしい本だが、刷り部数、販売実績を知りたいものだ。(宮)

『三茶御膳か世田谷御膳か…』 世田谷パブリック・シアターでの朗読劇のチケットが当たった。友人を誘ったら、お礼に劇の前に食事を御馳走してくれるという。しかも三軒茶屋のキャロット・タワー上階のレストランに席を予約済みだと言う。私は初めて行ったのだが、なかなか景色もよく、いい感じ。一人前1800円の三茶御膳を頼んでくれた。運ばれてきた料理は値段の割にはたいそう豪華。おいしく頂いた。
さて食事も終わり会計の時、友人は5600円と言われボーと支払っている。「えっ、それっておかしくない!」と私が横から店員に文句を言う。「一人1800円のはずだけど!」すると店員は私たちが食べたのは世田谷御膳で一人前2800円だと言い張る。だから豪華だったのか…食べました、たしかにきれいに食べちゃいました。だけど確かに頼んだのは三茶御膳だし、メニューに写真があったわけでもなく間違った料理が来たとはまったくこちらは気がつかなかったわけだ。納得がいかずにいると責任者らしき女性が出てきて、申し訳ありませんでしたと差額を返してくれた。だけどなんだが嫌な気分。私たちが間違ってますか?
(むく)
2012年5月18日
『つばめ』 最近、町なかの燕の数が減っているのだそうだ。以前ほど姿をみかけなくなっているそうで、先日ラジオで観察報告を呼びかけていた。原因のひとつに建て物の構造変化がある。以前は、玄関先、店の軒下などに巣を作っていたのが、近頃は、巣作りできる場所が無くなっていたり、せっかく作ったのに、滑りやすい材質のせいで落ちてしまうこともあるという。ところが南大沢駅の改札を出ると、燕に注意との表示が出ている。見上げると改札前をうつすためのテレビカメラの上部に燕の巣があって、子燕の姿がみえた。南大沢駅では、ホームの天井構造物にハトがたくさんいて(巣がある?)糞に注意するよう表示が出ているが、今の時期には燕が改札口で生活しているのだ。わざわざ人が生活している場所に巣を作るのは、天敵が近づきにくいからだそうだ。燕といえば、以前事務所があった京王線芦花公園駅前の商店街のあちこちの軒先に燕が巣を作っていたが、今年はどうしただろうか。(宮)

『ジョニー宜野湾』 沖縄での花火大会に参加した時、ゲストに「ジョニー宜野湾」という歌手が登場した。たぶん沖縄では有名な歌手なんだろうが、こちらではどうもメジャーではない?ただ私はこの名前に聞き覚えがあったのだ。
もう5、6年前になろうか、CDのデータを作る仕事のために会社に沖縄関係のCDがたくさん送られて来た。沖縄民謡などがほとんどだったが、その中に「ジョニー宜野湾」のアルバムがあったのだ。会社の仲間と「ジョニー宜野湾って名前、うける〜!」と笑っていたのだった。
まさかその本人の歌を生で聴くことになるとは…歌は「ケ・セラ・セラ」のメロディーで、歌詞は沖縄の方言「なんくるないさ」。なかなか良い歌声だった。
(むく)
2012年5月11日
『ネクタイ』 しばらく前に、通勤電車で「髭抜き」をする男をみて驚いたことを書いた。こんどはやはり朝の通勤電車のなかで30歳ぐらいの男が、降車駅が近づいたら、やおら鞄からネクタイを取り出しシャツの襟を立てて締めだした(乗客多数の中で)。いかにも予定の行動であるかのごとき動作なので驚いたのだ。出勤前に洗面所の鏡の前で身支度している姿を見せているのだという感覚がないから、とうぜん恥ずかしくないのだろう。周囲の目をまったく無視している点では、車中で化粧する女性と同じだ。周囲の人の目に迷惑なだけの行為だから見なければ済む話だが・・・。近頃は背広を着ていてもネクタイ無しの人も多くなっているのだから、いっそそのままノーネクタイでいてくれればいいのに。(宮)

『オイル・マッサージ初体験』 友人との旅行中、夜ホテルで友人がマッサージの人に部屋に来て貰うと言う。私はそんな体験したことがない。友人がやってもらっている間、指をくわえて見ているのもなんなので、私も一緒に頼むことにした。すると夜中の12時過ぎでないと無理で、ホテルのマッサージ・ルームにこちらから行くのならすぐにでも大丈夫だとのことであった。さっそくそちらに行くと、アロマオイル・マッサージとのこと。そんなものも私は初めて。友人は普段から時々やっているらしい。(まぁ、なんてセレブ〜!)
まず10種類の香りから好きなものを選ぶ。そして個室へ。全部脱いで、渡された紙パンツをはいて、顔の所に穴が開いているベッドにうつ伏せに寝る。担当の女性が足の方からアロマオイルでマッサージをしてくれる。あぁ、至福の時!
それから30分間夢の時を過ごした。まぁ当分こんな時間を過ごすことはないでしょうが。
(むく)
2012年4月27日
『玄関灯』 今週のこと、帰宅したら玄関前がとても明るい。1フロアに4世帯はいっている集合住宅で、以前は玄関前に短い蛍光灯(10ワット?)がついていた。夜の寂しさが感じられるような明るさで、しかも4軒が交替で、じきに蛍光灯の寿命がきて、ちかちか点滅してうっとうしかった。こんどは蛍光灯ではなくてけっこうおおきな電灯がついている。なにしろ明るくて、これが夜中点いているのはもったいない気がするほどである。4世帯の玄関すべてに点いているから、すっかり雰囲気が変わった。電気代も気になるが。(宮)

『夜の迷子』 いい季節になったので休日に自転車で走ることが少しずつ増えてきた。暑くもなく寒くもない爽やかな中を風をうけながら走るのはきもちのよいこときもちもよいこと。
桜も散りかけた4月の中頃に吉祥寺にでかけた。我が家には自転車が一台しかないので、夫とは現地集合だ。無事買い物を終え、帰りは明大前で待ち合わせをしたのはいいが、よく考えたら吉祥寺からは自宅のある駅から川沿いのコースしか走ったことのないこと夫と別れてから気づいた。歩いたことも自転車で走ったこともないコース。空が暗くなってきて知らない道、とくに住宅地を走るのは危険だ。方向音痴の私はあっというまに迷子になる。とりあえず井の頭線沿いを走るが、線路の脇にずーっと道があるわけでなし。横へ横へとそれていくと電車の音が消えて不安になる。耳を済ませながらクネクネ道を曲がりながらどうにか広い道に出た。右にある大きな建物はなんだろうと思いながら門の前まできて気づいた。迷いながらも明治大学にたどり着いたのだ。道を渡れば明大前駅。ああ良かった。ああ疲れた。サイクリングは昼間に限る。
(やぎ)

『大雨の中の花火大会』 信じられます?雷雨の中でビニールのカッパを着て、花火を見物したなんて!
先日、日本で一番早い花火大会を見るために沖縄に行ってきた。その日は花火大会のために夕食も四時から食べ、旅行社の用意してくれた椅子席に早くからスタンバイ。その頃から何だがあやしい空模様だったが、もう少しで始まるという時になって雷と共に半端ない大雨。そんな中でも花火大会は始まったのであった。(普通は中止でしょ!)
最初は市長の挨拶なんてするもんだから、早く始めろ〜の大ブーイング。やっと始まった花火は音楽とコラボしてとっても素晴らしいのだが、上を見上げると顔には大粒の雨があたる。その席は傘はさせないと聞いていたので最初からビニールの雨合羽を着ていたのだが、そんな物が役に立たない程の大雨。途中で席を立つ人も多く、私たちもかなり我慢したがとうとう途中退席してしまった。通路も川のようになっていて靴の中もぐしょぐしょ。パンツまでびっしょり。
晴れていたらどんなに素晴らしかったかと思うが、これもまた一生忘れられない思い出となった花火大会であった。
(むく)
2012年4月20日
『頭髪』 雨の日、手洗いの鏡に映った髪をみてうんざりした。生来の縮れ毛で、整髪料を使わないので、髪は勝手にあちこちをむいている。およそ映えない眺めだが諦めている。こんな自分の髪を比べるのはいかがかと思うが、日本、中国、韓国の政治家それも大統領とか首相とかの高官の髪は、実に手入れが行き届いている。多くは黒く染められていてきれいに櫛目が通っている。その姿を見ると、こどもの頃にみた時代劇映画の殿様の丁髷を思い出すのである。そして、すこし人工的過ぎる気がする・・・。(宮)

『おふくろの味?』 長男が女友達に、うちのおかんの料理は何でもうまいと自慢したら、今度ご馳走になりたいと言っていたと言う。彼女なのかと聞くと普通の女友達だと言う。彼女でもない子になんでご馳走しなきゃならないの!とつっっこんだが、料理が美味しいと言われたことにはまんざらでもなく、一人ニヤニヤ。
それにしても夫が亡くなってからというもの、手抜き料理ばかりなのにそれでも息子たちには美味しいのだろうか。まあ人が作ってくれる物ならなんでも美味しいということなのだろう。褒められた手前、たまには手の込んだ料理でも作らないといけないなと反省している。
(むく)
2012年4月13日
『九段下ビル』 九段下ビルが取り壊されて、こどものころから知っている景色がまたひとつ無くなった。とうぜん跡地に新しい建築物ができるのだろうが、いま九段下ビルの裏手に建っていたビルが一つまた一つと、さらに取り壊されている。スペースの関係か、遮蔽物もなく取り壊し中の様子がが連日よく見える。大型建設機械の威力を感心してみているが、よくみると職人が機械の動きにあわせて放水している。埃を鎮めるためだろうが、きめ細やかな配慮だ。
会社の近くにはまだ気になる建物がある。去年の大震災で死者を出した九段開館は閉鎖されたままである。また、会社のすぐそばで建築中のビルがあるが、7階建てとはいいえ、まだまったく姿がみえないが表示をみると今年10月完成となっている。本当にできるのか?。
(宮)

『乃木坂でお花見』 友人行きつけの和食屋さん主催でのお花見会に誘われた。店主一人でやっている小さな店だが、以前そこでアルバイトをしたことのある女の子やら常連さんらが10人くらい来るという。お店に集合して荷物を手分けして持ってという段取りだったが、行ってみるとまだ準備の最中でてんやわんやの状態。私もお弁当を詰めるなどの手伝いをしてようやく出発。
場所は青山霊園のすぐ横、乃木坂駅近くの青山公園である。正面には新国立美術館が見え、隣は米軍のヘリポートという場所なのだが、意外と穴場で人は少い。大きな桜の樹の下でというわけには行かなかったが美味しい料理に舌鼓。
集まったメンバーがみんなすごくて面白かった。フランス人とのハーフでフランス語圏の大使館に勤めるための勉強をしている女の子(タレントのシェリー似)、実家が表参道にあって今は無職だという子、実家は福井の大地主だという子等々。そのうちカナダ人夫婦とその子供たちも遅れて参加し大賑わいとなった。たまには若い人達との交流や異文化交流も楽しいものだ。(むく)
2012年4月6日
『ビニール袋』 首都大学東京の入口(正門?)を挟んで左右に桜並木があるが、その入口のすぐ脇に立っているとりわけ枝振りの見事な桜の木の枝先に、1週間ほど前からコンビニのビニール袋が結びつけられていた。誰かがわざわざ結びつけたのだろうが、花が咲き始めたときを想像してなんと目障りな袋かと、朝夕通るたび不快に思っていた。自転車に乗った人に協力してもらってビニール袋を取りたいものだと考えていた。
そこに先日の春の嵐が襲ってきた。春の嵐というより暴風といいたい猛烈な低気圧だったが、それが去ったら、一気に春爛漫となっただけでなく、今朝首都大学東京の入口前を通ったら、ビニール袋が消えていた。あの猛烈な風で吹き飛ばされたらしい。枝先ごと飛ばされたかもしれないがとにかく目障りな袋が消えてよかった。都心部は今週末花の見頃になるようだが、八王子では数日遅れて見事な花を見ることが出来る。
(宮)

『スピード・ラーニング始めました』 四月一日から始めたこと…石川遼くんのCMでおなじみの英会話教材スピード・ラーニングの無料お試しCDを取り寄せ、聴き始めた。とにかく毎日少しでもいいから英語を聞き流して英語に慣れるのがいいのだそうだ。たぶん一年くらいやってみないと効果のほどはわからないだろう。こうなったらやるしかないでしょ、と言うわけで通勤中に電車の中で聞いている。何らかの変化があったらまたお知らせします。(むく)
2012年3月30日
『道路工事』 年度末の予算消化のためかどうか知らないが、事務所の前の道路工事中である。拡幅ではなくて、歩道と車道の段差をなくす工事である。吸水性の敷石がはられた歩道の一部がやっと出来上がって、なかなかいい感じに仕上がっている。これに電柱がなくなればもっと良い景色になる。工事前に特に不都合があったわけではないので、考えれば贅沢な道路改良工事ということになる。毎日眺めるわけだから景色の変化にはわりと敏感だと思うが、今回は改良の効果がある工事だと私の評価は高い。すっかりできあがった景色をみるのが楽しみだ。(宮)

『桜?!』 3月も末だというのに桜はまだまだだ。朝、駅までの道を急いでいたら細い小さな木だが桜のような花が線路脇で咲いていた。おっ、開花か!と思ったらその枝に「杏」と書いてあった。持ち主が通りすがりの人が桜だと間違えないようにとの心遣いで木の名前を記したのだろう。まんまと桜だと思い、「あ、杏だったのか」と教えてもらった私。梅、桃、杏、桜など春に向けて咲く花であるとぼんやりと確認したのであった。(やぎ)

『荒川の佐吉』 真山青果作の新歌舞伎「荒川の佐吉」を新橋演舞場で観た。題名だけは何度も耳にしていたのだが、観るのは初めてだった。ただ私の場合、観たのにすっかり記憶が飛んでいるということも多いのだが…
やくざの三下奴の佐吉(市川染五郎)が元親分の孫、目のみえない赤ん坊を引き取り育てる。七年後貫録のある親分となった佐吉だが、その子を実母に帰し、自分は江戸を離れる決意をする。
そんなベタな話なのに、泣けた、泣けた! 桜の花が満開の中、江戸を去る佐吉に向って子供の言うセリフ「おとっつぁん、おいらをおいてどこへ行くんだい」(正確ではありません、こんな感じのことを言うのです)もうそこで涙が止まらない。回りの観客からもすすり泣きがあちこちで聞こえる。
古臭いと馬鹿にしていた話でも日本人のDNAを刺激する要素は変わらないのだ、いやただ単に私が年取っただけなのか…(むく)
2012年3月23日
『昭和20年代の流行歌』 ラジオ深夜便を聴きたいが寝不足になるので最近は、寝る前にスイッチを切るようにしている。21日の夜は、日本人のジャズ演奏が放送されていて、そのまま寝込んでしまった。そして夜中に手洗いに行きたくなって目が覚めたとき午前3時を回ったところで、消し忘れたラジオから川野一宇アナウンサーが昭和20年代女性歌手の流行歌を流すと言っている。すぐにその放送を聴く気になり、寝ながら耳を傾けたが、その甲斐あって楽しめた。
美空ひばり「悲しき口笛」、池真理子「愛のスウィング」、二葉あき子「夜のプラットフォーム」、菊地章子「星の流れに」、平野愛子「君待てども」、三条町子「かりそめの恋」、山口淑子「イエライシャン」、奈良光枝「赤い靴のタンゴ」、暁テル子「東京シューシャインボーイ」、菅原都都子「連絡船の唄」、織井茂子「君の名は」というプログラム。川野アナも楽しみながら仕事をしているのがよくわかるひとときだった。
まあ、若い人はまったく知らない曲ばかりだろうが、若い人はラジオ深夜便など聴いているはずがないことを忘れて、耳を傾ければ曲の良さは分かるのではないかと思った。ともかく川野さんとともに楽しませてもらいました。
(宮)

『ワイハでワイワイ』 総勢七名でハワイを楽しんで来た。メンツはというと息子二人、私の弟とその妻、そして甥っ子二人。子供たちが小さい頃は一緒に海水浴やスキーに行ったものだが、その甥っ子も四月からは社会人。もう二度とこのメンバーで旅行は出来ないと思い、頑張って海外旅行と相成った。
いやぁ楽しかった。まったく気を遣わなくてすむメンバーということもあるが、大勢での旅は実に楽しい。また日本にいる時にはありえない、息子たちとのショッピングも面白かった。息子二人ともが男性には珍しくウィンドウ・ショッピングを何時間でも楽しめるタイプということが判明したのであった。しばらくの間は旅の思い出に浸って南国気分でいられそうである。(むく)
2012年3月16日
『足長』 朝の出勤時に乗るべき電車をなんとか捉えるべく、結構早足で歩いていた。ときたまこれをやると翌日筋肉痛になって、たかが早足でとがっかりするが、それはともかく、うしろから足音が近づいてくる。負けてなるものかと一段とピッチをあげ歩幅を拡げとやってみるが、足音はみるみる近づいて追い抜かれてしまった。見ると背のたかい足の長い女性で、きびきびとしかし軽い足取りで先へ先へと行ってしまう。いや、足の長さには勝てません。(宮)

『ズタボロ?』 久々に夫の実家に帰省して、義母のお姉さんに会いにいった。
義母姉は少々アルツハイマー気味ということだが、私たちの家族の中では年をとれば誰でもああなるくらいのボケ方でかわいい方だと思っている。更にいうとボケているかと思えば、ボケていない時もあり心に刺さるような素敵な助言までしてくれる、気の利いた明るいボケなのだ。もしかしたらボケたふりをしているのかもと思うほどだ。ただし顔はわかるが名前が思い出せないらしく誰だっけ?とよく聞かれる。私は血もつながっていないので覚えてなくても当然だが、先日「○子です」というと、義母姉「ありゃ、○子さんはとってもかわいい人だったのにねえ」という。
その娘が「そりゃ十何年もたてば○子さんだって年取るけんねえ。結婚したときのままではなかよ。ひどいこといわんと」
義母姉「それはそうと、(私の夫に)あんた、○子さんこんなにズタボロにして。ちゃんとかわいがってあげなさいよ」
ズタボロって…そこまでズタボロかい!とちょっと笑えて、あとになって言われすぎじゃない?とちょっとツッコミたくなった義母姉の気の利いたひとコマであった。
(やぎ)
2012年3月9日
『髭抜き』 雨降りの通勤時間帯で電車はかなり混んでいた。私はつり革につかまり、本を読んでいた。前には若い女性が座っていてずっと居眠りをしていた。この人が調布をすぎてからしばらくして目を覚まし、化粧を始めた。通勤時間帯の混んでいる車中でよくやるなと思った。
女性の右側に30歳ぐらいの男が座っていて、はじめケイタイをいじっていたがやがて居眠りを始めた。ちかごろは車中での居眠りが多い。この人が、隣の女性が化粧を始めた頃目を覚まし、していたマスクを外してカバンから手鏡と毛抜き(それ用につくられている)を取り出し、作業しやすいように表情を作りながら顎の髭を抜き始めた。1本や2本ではありません。いや、かなり驚きました。
(宮)

『床の間の四季』 子供の頃住んでいた家には床の間があり、祖父が季節毎に掛け軸を掛け替えたり、置物を替えたりたりしていた。例えば端午の節句の頃には小さな鎧が飾られていた。子供心にも風情が感じられたのであろう、その場所の光景は今でもよく覚えている。
今の家には義父母の部屋にだけ床の間がある。ただ掛け軸は二十年来同じ物がずっと掛けられたままだし、その前にはお米やらお酒やらテッシュなどが積まれ物置と化している。他に置き場所がないわけではないのに…
昨年の暮、さすがにお正月にそれではみっともないと思い、片付けましょうかと提案した。すぐさま「別に誰も来ないからそのままでいいわよ」と流されてしまった。嫁の立場ではそれ以上は何も言えない。せっかく家の中に四季を感じられる空間があるのにもったいない話である。(むく)
2012年3月2日
『雪』 2月29日未明から降り始めた雪は、朝の出勤時間のころの南大沢では5〜10センチ積もり、通勤の道筋の桜は花ならぬ雪で枝をかざって、目を楽しませてくれた。久しぶりにゴム長靴を履いて未踏の新雪を踏みながら歩くのはいい気持ちだ。
神保町に着いたら雪は盛大に降っているが、気温が高いため場所によってはほとんど積もっていない。昼過ぎには降り止み、帰宅するころには、路上からほとんど消えていた。南大沢までもどると雪がまだたっぷり残っていて、一日の間にさまざまに変わる雪景色を楽しませてもらった。
(宮)

『霊感がない!?』 従妹の娘(高校生)がなにやら霊感が強いのだという。先日も学校の校庭を走っている時(陸上部なのだそうだ)向こうでおばあさんが「Sちゃ〜ん!」と手を振っているのでこちらも手を振り返したら、そばにいた友人から誰がいるの?といぶかられたそうだ。友人には何も見えなかったらしい。
その話を聞いた従妹が、その子が生まれた時にはもういなかった曾祖母(私のとっては祖母)の写真を見せたところ間違いなくその人だったらしい。
その話を聞いてまず思ったのが、えー何で私のところには来てくれないの!
祖母にとって私は初孫だったし、10歳くらいまで一緒に暮らしていたのでそれはそれはかわいがってもらった。大人になってからもよく手紙を書いたり電話で話したりしていた。それなのに私のところには出てきてくれないと嫉妬してはみたが、よく考えたら私にはまったく霊感などない。本当はいつも見守ってくれているのに私が感じないだけなのかも。
まったく霊に嫉妬してどうすんねん!と自分につっこむしかない話である。(むく)
2012年2月24日
『春はそこまで』 先日十年以上も会っていなかった友人とでかけた。食事をたべて、その後、新宿御苑散歩にでかけた。
歩きながら園内の地図を片手に春を探す。新宿御苑にはなんども訪れているはずなのに、こんなにも隅々をあるきまわったのは実は初めてであった。ロウバイに十月桜、スイセン、クリスマスローズにフクジュソウ。カメラ女子たちが花の周りには集まっていた。よく見ると男性のカメラマンは広い範囲の自然の光景を撮り、女性は接写をする姿が多いことに気づいた。花が咲いているそばを通ると花の優しい香りがした。
園内をぐるりと回り終えるころ最後の目標のフクジュソウを探す。しかしどうやら通りすぎてしまったようだ。地図をみながら戻るとなんとスイセンの大群に圧倒されて気が付かなかったが、その近くにあったようだ。一面スイセンへりのあたりによく目をこらすと更に深い植え込みの向こう側に黄色くてかわいい花が誇らしげにさいていた。それも誰にも見られずに静かに。カメラ女子たちにここにも花が咲いているよと教えたくもなったが、友人と二人で「かわいいねえ」「春だねえ」と和んでから静かにその場を離れた。木もよくよくみると、蕾がふくらんでかわいい。まだまだ寒い日もあるけれど、春まであと少し!と思った一日だった。
(やぎ)

『今度は次男が…』 長男が体を鍛えるための器具をいろいろと買い込んでいるのだが、今度は次男宛になにやら大きな荷物が届いた。レッグ・ストレッチャーと書いてある。アパート暮らしのくせにこういう物は実家に送りつけてくるのだ。
次男が帰って来て組み立てたのを見た。座る場所と両足を置くところがあり、その真ん中にぐるぐると回すレバーが付いている。レバーを回すと閉じていた足がどんどん開かれていくわけだ。ちょっと試してみたが、なんだかまるで昔の拷問のようで笑ってしまった。
股関節のストレッチにはいいらしいが、とにかく場所をとる。これ以上家の中をスポーツジムにしないでほしいものだ。
(むく)
2012年2月17日
『仲間』 このところ毎朝ほぼ同じ時間に出勤している。乗車予定の電車の発車時刻を睨みながら自宅から駅まで、早足で歩く。すると毎朝ほぼ同じ場所ですれ違う人がいて、何人かは口こそきかないもののおなじみさん、仲間である。先方もひょっとして同じように気付いているかもしれない。以前別の時間帯で出勤していたときには、そのような一人と挨拶を交わすようになっていた。いま時間帯がかわって会わなくなって、いささかさびしい思いをしている。(宮)

『老人の常識』 同居している義父が空気清浄機がほしいと言う。ちょうどうちに一台使っていない物があったので、それでよければと渡した。もちろん使い方もしっかり教えた。…しっかり教えたつもりだった。
それなのにいつまでたっても部屋に裏側を向けたまま放置してある。いつになったら使うんだろうと思っていたある日、近くを通ったら何やら音がする。なんと裏側を向けたまま電源は入っていたのだ。何か理由があってわざとそう置いているのかと聞くと、それが正しい置き方だと思っていたとのこと。スイッチも空気の汚れ具合を示すパネルもすべて表側にしかなく、何もない裏側は誰が見ても裏にしか見えないと思われるのに…。
そんなこと常識とか、わかっていて当たり前とかいうこちらの思いこみは高齢者には通じないんだとよくわかった。しつこいほど丁寧に接してちょうどよいのだろう。これからは気を付けねば。明日は我が身だし…
(むく)
2012年2月10日
『アメリカ大統領選挙』 連日予備選挙の動向が報道されているが、共和党のことばかりだ。民主党はオバマ大統領が出ることが当然のように言い添えられているが、今回の大統領選挙で、民主党は予備選挙をやらないのだろうか。前回の大統領選挙は民主・共和両党とも新人候補だったから、両党の予備選挙の動きが平行して伝えられていた。現職大統領は自動的に2期目に出るわけでもないと思うのだが、疑問に答えてくれるマスコミはありやなしや。(宮)

『SHOCK』 堂本光一くんの舞台「SHOCK」は十数年前からたびたび上演され、いつも大評判になっている。チケットを取るのが難しいことでも有名だ。一度は観てみたいものだとずっと思っていた。今年も帝国劇場で3ヶ月のロングラン公演が始まった。
半年くらい前にそのチケットの購入方法が新聞に出ていた。ハガキでの申し込みで抽選だという。ダメモトで申し込んでおいたのだが、もうすぐ初日という時期になっても何の音沙汰もない。やっぱりはずれたんだと思っていた先日、宅配で代金引き替えという荷物が来た。代引きの物なんて何も頼んでませんがと聞くと帝国劇場からだと言う。
やったぁ〜!チケット当たった〜!しかも席は一階E列、観に行く日は私の○○回目の誕生日!今からワクワクドキドキ。今年は素敵な誕生日になりそうだ。
(むく)
2012年2月3日
『ATM』 月末支払いのため、いくつかの銀行をまわって口座振り込みをする。振込の操作は銀行によって異なる。ATM操作をする者としては機械の使いやすさ、めんどくささが当然のことながらある。
機械が1度に何件ぐらいの処理を想定しているか分からないが、同じ操作を繰り返しさせられるATMがある。画面のメッセージひとつとっても何にこだわっているかが分かる。事故発生の責任を逃れるためだろう、読んでいる間がないと思うのに、こまかな文字で警告ページが出てくる。1件ごとに暗証番号を入力させる銀行もある。通常、銀行はカードを持っていないと振り込めないが、ゆうちょ銀行は通帳だけですますことが出来る。とにかくいろいろな方式があり、その長所、短所もわかっていて、各銀行とも改善策を承知しているのだろうが、コストを考えると容易に手を出せないのだろう。
(宮)

『冷え性を直す方法は?』 家も会社も暖房器具の問題なのかすごく寒く、家では夜の大半を毛布にくるまってすごしている(眠いだけともいうが…)。
会社はというと会社についたばかりの時にはそんなに寒さを感じないのだが、昼に向けてしんしんと足先、手の先から冷えがくる。同僚などはホカロンを体のあちこちに貼っているようだが、それでも寒いときは寒いらしい。社内が寒いのは廊下に出たときにわかる。なぜなら廊下に出たとたんに「寒い…」とはならないのだ。それだけ温度差がないのだろう。
家も寒いので家では帰って食事までに時間の余裕のある時には腹筋と柔軟をする。運動は体がぽかぽかしてくるから効果的だ。そのあと数時間はこのぽかぽかが持続する。運動すればあたたまるのは当然なのだが…。
ちなみに我が家の暖房はエアコン(上しか温まらない)とホットカーペット(下しか温まらない)だけだ。結果的にはホットカーペットのみに頼る時間が長い。するとテーブルに向かう以外はホットカーぺットに溶けている。こんな生活がいいわけはない。我が家にぴったりの暖房方法をそのうち考えなければ。それと同時に、考えなければならないのは、末端冷え性を治す方法だろうなあ。運動の効果が出てくるといいのだけれど。
(やぎ)

『ハンドルネーム』 ある役者さんのブログが面白く、毎日楽しく読んでいる。コメントの書き込みも今までにたったの2回だが書かせてもらった。その時のハンドルネームはここと同じ「むく」
ところが最近まったく同じ名前の「むく」でコメントを入れる人が現れた。たまたま偶然にそういう名前にされたのだろうが、こちらとしては困惑してしまった。ブログ開設者に同一人物だと思われるのは嫌だし、今後私がコメントを書くとき「むく」という名前を使うわけにもいかなくなってしまった。他人からすればどうでもいいことだろうけど当事者としてはどうにも気にかかる。ネット社会は本当に便利だが、めんどうな事にも遭遇するものだ。
(むく)
2012年1月27日
『雪すべり』 1月23日はときならぬ大雪に見舞われたと言いたいが、都心は降り方こそ激しいものだったが水っぽい雪で、翌日にはほとんど姿を消してしまった。ところが住んでいる八王子の南大沢は降り方はすごいし、たちまち積もって一面の雪景色となった。
翌日は日がさして、雪をいただいた景色は久しぶりの見ものだった。出勤するとき一瞬長靴を考えたが、履いていかなくってよかった。地下鉄から地上に出たら、わずかに雪の痕跡がある程度でしかなかったので。
南大沢では25日になっても雪が残っていて、そこここにある傾斜地を、子どもたちが大喜びで滑っていた。わずか7,8メートルの斜面でこのはしゃぎようだから上柚木公園の草山ではさぞかし大勢の子どもが滑っていることだろうと思った。見に行きたいところだが、また出かけるので諦めた。
(宮)

『音が消える夜』 東京に6年ぶりの大雪がふった。私としてはこれを大雪というのか?と疑問がわくが、たまたま自分がいた場所にあまり雪が降らなかったからだと思うことにして、その当日の夜感じたことを書こうかなと思う。
夜9時頃家についたときには雨がわりと激しくふっていて部屋の中にいても音が響いていた。しかし10時半ごろはたと雨の音がしなくなったことに気づいた。いや音が消え、外がしんとしていることに気づいた。玄関をあけて外をみると世界は白くなっている。雪がふるのを「しんしんと」といいだしたのは誰だったのか。その表現なんてぴったりなんだろうと思う。雪が降り積もりだしたからなのか車の音も聞こえない。おそらくスピードを落として走るか、こんな日にはスリップしたら恐いので車を出さないのだろう。
東京に生まれ関東に育った私は大雪といっても家が潰れるほどの雪や雪に埋もれてしまう恐ろしさは経験をしたことはない。この静けさは雪国では恐いこともあるのだろうなと想像する。静かに降り積もる雪に気づかず馴れない人は気が付いたら外に出られなくなっていたということがありそうなくらい穏やかに静かなのだ。長い間そんな生活をしてきた人たちは、きっとそうならないための工夫をいっぱいしているのだろうなと思うが、夜中の知らないうちにそんな雪のふる山奥の家に連れて行かれて、温かい部屋でぐっすりねてしまったら、昼まで起きず、私は雪に埋もれた家から出られないことになりそうだ。
(やぎ)

『チキンひとつをタクシーで?!』 友人の話である。ある日彼女はファストフードの店「サブウェイ」でパンとチキン一本とスープを買って家に帰った。家で袋を開けてみるとチキンが入っていない。レシートには記載されお金は払っている。
私ならそこでどうするか?たぶん店に電話をして事情を話し、後日店に立ち寄った時にお金を返してくれるように頼むだろう。彼女は…店に電話をしてすぐに家まで届けるように言った。店員がすぐに歩いて行くと伝えると、歩きではだめだ、タクシーで来い!
言われたとおりタクシーでチキン一本を持ってきた店員は、ご迷惑をおかけしたので代金も返しますと150円渡したそうだ。店員が帰ってもう一度レシートを確認すると、チキンは150円ではなく180円だった。すぐに店員を追いかけ、別にお金は返してもらわなくてもいいのだが、どうせ返すならきちんとした値段を返すべきだと詰め寄る。あいにくその店員は150円の小銭だけを握りしめて来たらしく、あとは1000円札しかないと言う。1000円を巻き上げるつもりはないからと1000円札を貰いおつりを渡したのだそうだ。
チキンひとつにこのパワーというか、なんというか。お店の店員達に、すごいおばさんだったと噂されているのでは?
(むく)
2012年1月20日
『政治的リーダーシップ』 2012年1月15日の朝日新聞の社説「日本の指導者」は次ぎのように言っている。
この6年、日本では毎年首相が替わった。民主党はマニュフェストで消費税増税はしないと言っていたが、野田首相は消費税増税と社会保障との一体改革を主張して民主党代表に選出されたにもかかわらず、党内には離党も辞さない反対派が存在する。一方自民党のほうは、かつて財政赤字を積み上げた責任など知らん顔で、民主党のマニュフェスト違反を責め立てる。こんな状況だから、2党あわせても支持率は40%に満たない。中央政治がこれだから、橋本大阪市長の存在感が増す。そしてその橋本に既成政党がすり寄る。情けない状況。有権者の意識に政党、政治家の意識、行動がまるでついていけてない。
このような政治状況をふまえて社説は、民主党は昨年末の民主党内の増税反対論を押し切った議論をもっと国民に見える形ですべし、自民党の谷垣総裁は「税制改革の断行を堂々と掲げてきた」というのなら、早期解散への党内圧力を抑えて、むしろ民主党をリードして改革を成し遂げるべしと主張する。
常識にかなった主張で、両党の指導者が実行出来れば政治の世界の眺めががらりと変わるはずだ。
同じ日の朝日新聞にジャーナリストの佐々木俊尚が書いた、橋本徹・堺屋太一著『体制維新――大阪都』の書評が出ている。このなかで政治指導の問題が取り上げられているが、橋本構想の妥当性について反対勢力や有識者は全力で議論すべきだと主張する。そして一部メディアや有識者は「ファシズム」とののしるばかりだが、「いまの日本人はファシズムに熱狂するほど愚かではない。その程度には文化的に成熟してきた。・・・・インターネット上のレビューやブログでは総じて本書の価値が高く、しかも多くの人が冷静に合理的な分析を行っているのは、実に心強い」と。
どちらも政治的リーダーシップを議論している。
今日の政治状況について、的確な認識と取るべき政治行動がみえているにもかかわらず、政治の現場はまるで感受性を失っている。橋本の行動様式は小泉純一郎によく似ている。主張が一貫していることがそれだ。内容については2人とも問題大ありだとおもうが、その主張をリスクをかけて貫く行動力が共感を呼んで、有権者の広く熱い支持を得ている。反対派はこのことを頭では分かっているだろうが、行動する段になると無意識に安全策を採ってしまう。そして負ける。この繰り返しだ。
佐々木俊尚の説に同感だが、楽観しないほうがいいと思う。彼が認めた人々が少数派であることは確かであるから。
(宮)

『NHKの朝ドラ』 久々にNHKの朝の連続テレビ小説を毎日観ている。とは言っても朝はさすがに忙しいので録画して夜に観ているのだが。
たまたま複数の人から面白いと聞き、見始めた今回のドラマ「カーネーション」はデザイナーのコシノ三姉妹のお母さんの話だ。舞台が大阪の岸和田というのも私の生まれ故郷と近く、親近感が湧く。ちょうど今は戦後すぐの話。戦争中にはおしゃれなど出来なかった女性が、戦争が終わったとたんおしゃれへの情熱があふれ出す様子が納得させられる。この女性のパワーが日本の戦後の復興をより早めたのかもしれない。
今年は大河ドラマの「平清盛」も観ているし(大河ドラマを観るのも久しぶり)、タモリの出ている「ブラタモリ」もお気に入りの番組だ。受信料を払っているからには今年はNHKを楽しもう。
(むく)
2012年1月13日
『満員電車』 12日夕方、帰宅途上の通勤電車が、人身事故のせいでダイヤが大幅に乱れて、乗り込んだ電車は満員である。
その昔は、電車が揺れて、揺れるたびに人と空間がならされて無駄な空間が埋められ、少しは楽になった。
いまでもその効果が無くはないが・・・。12日夕方の車中でも、満員状態をものともせず、無心に携帯電話をいじっている人が多い。どんなに混んでいても携帯用に空間をつくり出して周辺の状況には無関心。ドアの近くは、猛烈な混みかただがちょっと中に目をやると意外に空間があるが、ちょうど携帯電話の操作に活用されていて、混雑緩和に協力する気色はみえなかった。私はもちろん本を読むどころではなくて倒れないようになんとか頑張るのが精一杯だった。
(宮)

『一歳のお祝い』 自分が末っ子だからなのか、我が家ではそんなことはしたことがないからなのかはわからないが、今年姪の誕生会に参加するまで、私は一歳になるまでの間にいろんな行事があることを知ってはいたが、一歳のお祝いを盛大にやるものだと知らなかった。
兄の子どもが去年、誕生日を迎えたときにモチを背負わせたらしいが、その行事に参加するでもなかったし、ただ「へえ」と思っただけだった。
佐世保で米屋を継いだ義弟の子どもが、昨年10月に1歳を迎えた。どうも一緒に祝ってほしいらしく、10月の誕生日なのにみんなの揃う1月に誕生日会をするから必ず参加するように何度も念を押された。もちろん自分の家族以外の(孫ならまだしも姪なのだし)誕生日を祝ったことがなかったのでちょっと面倒だな〜と思っていた。
1月2日にまずスタジオアリスなる子ども向けの写真館で10人も連れだって行き、姪を囲んで家族写真をとった。そして夕方、義弟の家族が用意した餅とお赤飯を初め刺身やオードブルが届く。ご飯も終わり最後の締めが姪の大イベントの餅踏みだ。小さな足にわらじ(チクチクしたようだ)をはかされ、夜も10時をまわりかなりご機嫌もななめな姪の万瑠(まる)。火がついたように泣き叫び、はかせてもはかせてもわらじを脱いでしまう始末。どうにか親が抱えて餅の上に姪の足をのせさせて、手でおさえながら足踏みをさせた。同時に義姉の夫婦がかけ声をかける「鶴は千年、亀は万年、万瑠ちゃんは万万年〜」。へえこういうお祝いだったのかとはじめて納得。
1年半前に義母が他界し、義父も現在入院中で本来なら孫をかわいがってくれるはずの溝上家のじいちゃん、ばあちゃんが参加できないので、祭り好きの義弟は淋しかったんだろう。
最後にギター(芸術)と、そろばん(商人)、本(学者)、お金(富豪)、お米(家業)など万瑠の前に置く。どれを選ぶかで、その子の将来を占うのだそうだ(こっちはおまけの余興のようなものだと言っていた)。ネットで調べたら本来は、筆(芸術家)・そろばん(商人)・お金(富豪)を並べて選ばせるそうだ。万瑠はというと…一番最初はお金、二番目は本(朔北社の「どうぶつにふくをきせてはいけません」だった!)を選んだ。私の会社の本だと夫以外誰も気づいていなかったが、万瑠、おばさん(私)は一番嬉しかったよ!できれば一番に選んでほしかったけどね!ちなみに三番目はお米だった…さすが米屋の娘!
とりあえずそんなにぎやかな正月を過ごしたのでした。皆さん今年もどうぞよろしくお願いします。
(やぎ)

『今年もよろしくお願いいたします』 気がつけば、あっという間に2011年が終わり、もう2012年も2週間過ぎて‥‥。
気持ちも新たに、今年も頑張ろうと思ってます。
さて、お正月も終わった3連休に、近場の神社で護摩祈祷をしてきました。
家族の分と、会社の分と。祈祷が終わり、晴れ晴れしい気持ちでおみくじを引いたら、なんと凶。
ちょっと(いや、かなり)落ち込みましたが、「ここからあがるのみだから」と家族に言われ、気持ちを切り替え、前向きに‥‥頑張ります。
(みなりん)

『健康オタク』 長男が最近やたらと体を鍛えるための器具を買い込んでいる。まず最初に買ったのが家の中で懸垂ができるというシロモノ。部屋の入口の枠に掛けて使うのだが、家が壊れるからやめて〜と言いたくなる。だがうまい具合に体重が分散されるように出来ていて大丈夫なようだ。これは私には使えない。
次に買ったのが、両足を乗せて左右に開く器具。やってみたら結構きつい。20回もやったら
ふーふー。そして見事に翌日は筋肉痛。
そしてとうとうベンチプレスまで購入して、まるで部屋の中はフィットネスジムのようだ。たるんだお腹を引き締めるだけではなく、精神も引き締めてもらいたいものだ。
(むく)
2012年1月6日
『元日』 ここ数年元日の午後、近くの丘陵(というとオーバーだが里山と言えばいいか)を歩いている。天気さえよければ人気のない畑や藪を歩くのは気持ちいい。今年は天気はよし、風もなくて絶好の散歩日和。
途中の丘の上は市民農園とし小区画に区切られていろんな作物が栽培されている。もちろん地元の人の農地もあって、冬とはいえ野菜が目を楽しませてくれる。じきに郊外の道路に出てしまうのだが、また丘のなかに入っていく道をみつけて、なだらかな坂道を登っていく。2〜3時間の散歩コースだから狭い地域なのだが、景色はつぎつぎ変わって面白い。上り坂の途中にまばらに人家があるせまい小道に出たとき、若者がバイクに乗ろうとしていて、後ろに女の子を乗せてでるところだった。バイクはじきに走り出したが、私の脇を通りすぎるとき、目を向けてちゃんと会釈してくれた。そのあと後ろの女の子もニコっとして会釈して走り去った。いい心持ちでそのあとも歩いて元日恒例の散歩をおわった。
(宮)

『謹賀新年』 今年もよろしくお願い致します。
さて、元日から地震に驚かされた新年の幕開けとなりましたが、二日にはちょっぴりラッキーな出来事が…
出前で頼んだお寿司が頼んだ人数分より一人前多く届き、配達の人が「人数分の代金で結構ですのでお召し上がり下さい」と置いていってくれたのでした。お正月そうそう得した〜!このぶんでは今年はいい年になるかも〜!と単純な私は大喜び。本当に今年こそいい年になってほしいですね。
(むく)