アーカイブス
「王様の耳はロバの耳」(2018)
 
2018年2月16日
『歴史を知る』  笠原十九司著『日中戦争全史』を読んだ。加藤陽子さんが毎日新聞「今週の本棚」に書いた紹介記事(2017.8.27)を見つけて読みたくなった。知ってるつもりが実はとんでもない錯覚だと思い知った読書だった。太平洋戦争なら、ハワイ真珠湾から始まって、ミッドウェー、ガダルカナル、マリアナ、レイテ、沖縄と時間を追って戦争の記録を読んでいるが、日中戦争では同じようにはまるで知らないことがよくわかった、とくに太平洋戦争勃発後は、中国本土でどんな会戦があったのかなかったのか、ほとんど読んだことがない。
笠原さんの本はこのことを十分に意識して書いていて、あらためて歴史を知る意味を自覚させられ、気の滅入る事実の連続だが、歴史を知る喜びを味わわせてくれる。とくに強く印象づけられたのは、海軍の働きである。日中戦争を拡大した責任の大きな部分を海軍が負っている。海軍善玉説の訂正どころではない。日中戦争の拡大を図って軍事費増額を要求して軍備充実を実現しようとしたらしい。陸軍に対抗して海軍戦備を拡大することが自己目的化されていた。国の運命より海軍の利益を優先したということだ。
(宮)

『夫、初の一人旅』  1月初めに義弟から電話があり、宮崎キャンプでソフトバンクと巨人のOB戦があるので行かないかという誘い。義弟の子ども(甥・3才)が野球好きなこともあり、かなり遅いクリスマスプレゼントにOB戦のチケットを思いついたようだ。その話を聞いたとき「ク、クリスマスプレゼントが2月?!」とびっくらこいてしまった。
 残念ながら私は、義弟が指定してきた日は、今年度通っていた日野市の雑木林ボランティア講座の日。11回の講座のうち3分の1を欠席すると修了証がもらえないのだが、すでに法事、疲労、友人との旅行の3回を欠席していた私はこれ以上1回も休めないギリギリの状態にいた。
 夫は野球好きなので行きたい気持ちがあるだろう。初めは「えー1人で行くの?」と言っていたが、最後には「オレだけいくよ」となった。しかし、指定してきた2月10日は、3連休の最初の日。旅行代が高そうだなと思う。夫現在無職につき出来るだけ旅費を安く押さえたかったので、自由な時間がある夫に、ついでの旅を提案する。こんなに自分の時間がもてる時間なぞ人生の中でそう多くはないだろう。すると「一人旅なんて初めてで…大丈夫なかあ?」なんていうのである。そういえば旅のお膳立てはいつも私だったなあと思う。53才のおじさん、しっかりして!と思うが、でもよく考えてみると純粋に一人旅は(出張はあるが)私もしたことがないことに気づく。そうだったか…。
 夫の現在のような状況にいられるのはめったにないことだ。こんな自由な時間がある時に旅をしないなんてもったいない。飛行機のチケットを調べると、木曜日あたりにさかのぼると安いチケットが見つかった。宮崎の前に桜島だ!鹿児島から入って当日は鹿児島泊、翌日昼過ぎに宮崎へ移動宮崎泊、翌日義弟の家族と合流。何泊か義弟たちが住む実家に寄せてもらい13日に帰京。楽しそうだ。追い出されるように出かけた夫だったが、行ったら結構楽しそうな様子の写真が送られてきた。残念ながら当の3才の甥と7才の姪が相次いでインフルエンザにかかり結局OB戦を見られたのは夫と義弟だけだったようだ。その日は熊本泊、11日から実家泊。そこで病み上がりの姪と甥に迎えられ手作りチョコをプレゼントされたようだ。私も旅のプランをたてるときが一番旅をしている気分になる。行かずして自分も旅に行った気分になっている。しかしいつかは夫が立てたプランにのっかって一度くらいは何も考えず付いていく旅もして見たいものだ。
(やぎ)
2018年2月9日
『両手放し』 毎日寒い日が続く。身体がだいぶなれてきたように感じるが、朝の低温はつらい。高幡不動から浅川土手に上がったとき前方から自転車が来た。日頃浅川土手には、通勤通学の自転車も来れば、幼児を乗せた母親の自転車もいるし、ヘルメットをかぶりサイクリング用の服を着た人がいかにもスピードが出そうな自転車で走ってくる。しかし寒い今朝の土手を両手放しで走ってくる自転車が目に入った。両手をポケットに入れて、安定した走り方で通り過ぎていった。両手放しは、運動神経で苦労した私にはやってみたい乗り方の一つだったが、緊張して試したことはあっても、あのように安定した走り方はできたことがないのだ。この寒さの中で納得と羨望と複雑な気持ちで見送った。(宮)

『知りたかったのになあ』 最近実家に顔を出す頻度が増えると共に母からいろんな話を聞くようになった。私の母は私たちがまだ幼い頃、家に図書館から沢山本を借りてきたりして家を週に1度とか2度、家庭文庫のように開放していたことがあったのだと最近知った。その後ブランクがあり、今は二十数年来、地域で紙芝居や読み聞かせの活動などもしていて、今度何を読もうかなどいつも考えている。父の仕事についていったアメリカや、バヌアツでもこの活動は続けていたようで、現地のお話を絵にして紙芝居にしたり、持っていった紙芝居を現地語でやったり(語学は苦手なのでたぶんそこで出来た友人たちや父に手伝ってもらってだろうけど)していたようだ。家に帰った時にたまに紙芝居の練習する現場に居合わすのだが、昔話は特にうまい。そんな母なのでさぞかし私たち子どもたちは沢山本を読んでもらっていたのかなと思い、聞いてみたが「読んであげてたよ」というだけ。よく子どもは気に入った本を何度も読むというので、私「ところで私はどんな本がお気に入りだったの?」と聞くと、母「うーん昔話とか…」私「とか?具体的には?」母「ちからたろう?……」私「それだけ?覚えてないの?」母「覚えてるよ。いろいろ読んだからどれがって言ってもさ。読むと自分が眠くなっちゃうから、そのうち自分で作って話すの。3人の生まれた干支の動物が出てくるお話を。もちろん誰がどの動物とは言わないんだけど…、その日の3人の行動を考えながら即興で創作してたよ。へびと、ひつじと、いぬね。でも誰のことだか分かるみたいで、くすくす笑ったり、わたしそんなことしてなーいなんて言うんだよ。」創作話をしていたというのは以前書いたことがあると思うのだが、私たちを干支の動物にしていたのは初耳。いやそうじゃなくて、自分がどんな本に執着していたのか知りたかったのに。ほとんど明確な答えはなし。自分でも記憶に残っている本となると、もう少し大きくなってからなのかそれ以前のことなのか記憶は定かではないが『おばけのバーバパパ』『きかんしゃやえもん』『ちからたろう』『ふしぎなたいこ』『おしいれのぼうけん』『はじめてのおるすばん』『うみのおばけオーリー』『こねこのぴっち』なのだが、ときたま、お出かけするときに自分で選んだものを買ってもらえるピクシーブックも好きだったなあと。好きだった本は自分の記憶を懸命に探るしか方法はなさそうだ。そんな母の最近?の絵本のお気に入りは『あらしのよるに』(きむらゆういち作/あべ弘士絵)。誕生日になにがほしい?と聞いたらこの本を希望された。間違ってお話の方をプレゼントしてしまったのだが。(やぎ)
2018年2月2日
『何が問題なのか』 トランプ大統領がどうなるのか、強い関心を持ってみているが、同様に日本の政治でこれからどんな展開があるのか注視している。現状をみると国会はその役割をまともに果たしていないが、国会議員、とくに与党の国会議員はそう思っていないらしい。行動を決めているのはもっぱら目前の問題にたいする政府与党の立場を擁護する意志だ。そう割り切って発言しているが、その発言の意味、効果を、国会の役割に照らして吟味している気配は微塵もない。参議院予算委員会で、山本太郎の「総理大臣夫人という立場性を使い、国有地をタダ同然で差し上げるきっかけ、その橋渡しなどをつくったと疑われる人物が何の説明もすることなく毎日をエンジョイ。一方、籠池氏と奥様は半年以上にも亘り独房で長期間拘束。総理ご自身が口封じのために長期拘留を指示したなんてありませんよね」という質問を委員長は「失言」と言って扱いを理事会で協議することにし、結果、削除されたらしい。質問は単純なものなので、「指示した」か「指示していない」と答えれば済むのに安倍首相は答えない。予算委員長も与党議員も、安倍首相の態度がどんなに理不尽なものでも、それを擁護することを何より優先している。一事が万事で、近頃は何事であれ、国会の本来の役割とか期待されている機能とかいう観点から物事を考え行動するということがみられない。国会の運営が日常的には与野党の党利党略の観点から行われていることはわかるが、どこかに限界線はあるはずで、ときに制度の原理原則に戻って考え行動することが必要だと、私は思っている。その意識を持っていることが大切だと思うが、これは青臭い理想論でしかないらしい。三権分立も国権の最高機関も関係なく、目前の安倍内閣を擁護することが与党議員の当然の仕事と思われている。その態度に躊躇する気持ちが殆どみられないことを危惧する。トランプ政権では与党共和党が少なくとも盲目的支持だけではないと見えるし、政権内部から離脱する幹部が跡を絶たないことは、制度の柔軟な回復力をみせているのだと考えられる。この辺は制度の違いはあるけれども日本の状況とは異なっている。私が思い出すのは濱口内閣のロンドン海軍軍縮条約問題をめぐって、鳩山一郎だけでなく、何十年も政党政治に献身してきた犬養毅までもが「統帥権干犯」と言って激しく非難攻撃したことである。党派の利害のためには、大切な理念を放り出して「統帥権干犯」を利用した。軍部の政治介入は結局1945年の敗戦に行き着く。(宮)
2018年1月26日
『白い雪』 月曜日、東京は大雪だった。雪景色を楽しみにしていたが、都心で23センチは交通機関を麻痺させる十分な降雪量である。夕方にはバスが動かなくなり、百草団地まで坂道を歩かなければならなかった。バスがなくても、しんしんと降り続ける雪のなかを歩くのはけっこう楽しい時間だった。翌火曜日は朝から晴れて、一面の雪は眩しい。強い寒波が来ていて気温がひくく水曜日以降は路面が凍結して歩きにくい。しかし雪はあくまでも白く、目を楽しませてくれる。半世紀前に戻ると、雪が降っているとき、上がった直後までは今と同じ美しい雪景色だったが、そのあとがちがう。道の両脇にかき集められた雪は泥と混じって茶色いかたまりになり、雪は後が汚らしくて嫌だと思ったものだ。ところが最近は時間が経って溶け出した頃でも、雪はやはり白いまま。きれいなものだ。道路が舗装されて、雪が泥と混じることが少なくなったせいではないか。(宮)

『寒い日に』 先日からの寒波の影響で朝の気温はマイナスを示した。子どもの頃も厚い氷がはるような寒い日を何度も経験してるのにと思うのだが、48年ぶりの寒さだと報道されていた。そんなはずはないのだけれどと思う。48年と言えば私が生まれるちょっと前なのか、後なのか。何にせよ先日は都内でもマイナス6度〜8度。前日から水道が凍る心配をして朝のお茶用のお水を薬缶にためておく。だが朝起きて水は出たのにお湯が出ないという事態に陥った。思ってもみなかったのだが水が出るだけありがたいと思わなければ。どうやら湯沸しの系統のどこかが凍りついているようだ。水は出るので鍋にお湯を沸かしてそのお湯で顔を洗ったり、食器を洗ったりする。そうでなければ冬の水は凍りつくように冷たい。お湯が湧く前に食器を洗い始めたがすぐに指先は氷のようで真っ赤になった。生活の中で水はなくてはならない大切なものだ。飲み水、料理、洗濯、風呂、洗面、そしてトイレ。スイッチを入れればお湯が出て、蛇口をひねれば水が出るのが当たり前の生活で、その1つだけが出来ないだけなのに、こんなにも不便なのかと思う。いつもの倍くらいの時間をかけて身支度と朝ご飯などの準備をした。家に帰ってニュースを見ると水道管が破裂する家や会社も結構あったようで驚く。家にいた夫に聞くと昼にはもう氷が溶けてお湯も出たようで、水道管が破裂しなくてほっとした。(やぎ)
2018年1月19日
『岩波書店百年』 大学時代の恩師宅に伺ったところ、なにやら大きなケース入りの本がある。みてみると『岩波書店百年』というもの。本編だけで1700ページを超え、索引が500ページ以上ある。岩波書店が1913年からの100年間に発行した書目が年代順に網羅されている。それに岩波関係、出版関係、内外諸事情の3項目にわけた克明な年表が付されている。先生に伺うと50週年の頃、年表作成を手伝ったことがあるという。この時の年表を根拠に、出版社が自社の設立時期を確定するしたということがあったそうだ。そのくらい克明に調べたということである。一種の文化史年表となっているのだ。この本の奥付には非売品と表記されていたが、岩波書店のサイトをみたら300部の限定で販売されていることがわかった。残部僅少と表示されていたので、2万円の高価本だが売れているらしい。今年は明治維新150年と言われているが、近代日本も時間を積み重ねて創業100年を越す企業が多数存在している。その時間にふさわしい成熟を遂げているかというと、近頃の状況に心細い出来事が多いのは気懸かりである。(宮)
2018年1月12日
『写真入り年賀状』 年賀状に家族写真を使う人がけっこういる。若い人が多いようだが、もちろん年寄りだって使うことがある。今年の写真入り年賀状で、中学時代の友人の顔を62年ぶりにみることができた。夫婦でポルトガル旅行に行ったようで、珍しく写真入りの年賀状にしたらしい。お陰で懐かしい友人の顔を見ることが出来た。そとでばったり出くわしたらおそらく判らないと思うが、写真をよく見ると目元、口元は紛れもなく〇〇君であった。中学卒業以来年賀状をやり取りしてきたが、60年余逢う機会がなかった。暮れも押し詰まった12月28日にも、横浜のスナックで偶然大学時代のクラスメートに出会った。この時も学生時代の面影は殆どなくて紹介されなければ識別できなかっただろう。年末年始に懐旧の念をそそられて気持ちが和むことしきりである。(宮)

『お正月』 年が明け、会社5日からスタートした。8日が祝日だったので今日で出社はまだ5日間。なのに気分はもう2週間くらい会社に来ている気がしている。わけあって、今年から九州へ帰省することがなくなった我が家。2年ほど前から自分の実家の両親も少しずつ体も弱ってきたことから、今後は私の実家へ行くことに(今まで年末年始に自分の実家に行くことは20数年来なかった)。ほぼほぼ20数年振りに東京でお正月を迎えた。
 父は入院中のため12月31日と1月1日は実家で夫と母と年越しと年始を迎えた。長い間両親が元気なのをいいことに年に数回しか実家には顔を出していなかった。それを許してくれていたのも両親だったのだが。少し反省。実家には姉兄私の3人、重ならない日に母と一緒に過ごすことに。一気に来て急に誰もいなくなるのほど寂しいものはない。我が家はその後の数日とその後の連休何をしたものかと考えあぐねていたが、思い立って東京の初詣と、七福神巡りをした。初詣はせっかくなので会社のお膝元である高幡不動尊へ。3日になって行ったので、実は混んでないと予想していたが大きくはずれ、まだまだ人でいっぱいだった。そして連休の1日は七福神巡りへ。ちょうど連休前に我が家のポストに投函された「東京リビング新聞」にその記事があり、人形も集められるとのこと。何をかくそう私は人形が好きなのである(もちろん好みはあるのだが)運動不足解消と人形に魅かれて(1体400円×7体)出かけた。リビング新聞にのっていた土の人形はかわいらしく私好み。夫もそれなりに楽しんでくれたようだ。暖かい日差しの中、目的を持ってお散歩するのは楽しいものなのだとふと思った。お昼を食べたあと新宿を出発して、お参りの最後は神楽坂にある鎮護山善国寺。出版クラブなどにいく道の途中にあるよく知った場所。私たちが到着した時も既にお参りの人で溢れていたが、お参りして、七福神人形を購入して外に出てびっくりした。なんと人はどんどん増え続け、神楽坂の飯田橋方面へ向かう道まで長蛇の列が続いていた。いいときにお参りできたのかもしれない。運動もお参りもし七福神も集まって心も体も高揚しながらお茶を飲み帰途についた。それだけでもいいことがあった縁起よかったと言ってよい。それ以上何を望むか?私の今年の祈りは自分に連なる多くの人が健康で過ごせますようにということ。今年生まれた年を含めれば5回目の年女。年を重ねてそれ以外のことは浮かばないのであった。皆さんにとってもよい年となりますよう。今年もよろしくお願いします。
(やぎ)