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「王様の耳はロバの耳」(2019)
 
2019年12月27日
「関東大震災と中国人虐殺事件」の完成  関東大震災における中国人虐殺事件関連の論文を集めて1冊の本にするというのは今井さんの強い希望で動きはじめた企画だ。本書の柱であるⅠ章は1976年刊行の藤原彰、松尾尊兊編『論集現代史』に収録された論文であるが、今読み返してみると、現在の政府の行動を読んでいるような錯覚を覚える。90年以上前の政府の対応と今日の政府の対応が、重なってみえるわけだ。そういう読後感を踏まえて、本書の執筆と編集には一段と熱が入っていった。
 Ⅲ章は、戒厳令布告をめぐる政治家の動きを追い、関東大震災下の朝鮮人や中国人、社会主義者の虐殺事件が政治の世界でどのように扱われたかを議会での質疑も含めて分析している。
 Ⅵ章は、中国人虐殺事件そのものもさることながら、背景にある近代になってからの日本と中国の関係を歴史的にきちっと掴む必要があるという認識によってまとめられている。元は九州研究旅行報告として記録されたⅥ章であるが、これに手を入れる今井さんの頭には、外交文書の問題があった。中国人虐殺と日中関係のどちらにも、公的記録の保存や改竄や廃棄といった事柄がまとわりついているからである。
 これらをまとめて眺めると、本書はますます今日の問題を扱った本になった。2014年以来著者の今井清一さんと続けてきた作業がようやく終わり、本にすることができたが、振り返ると書下ろしのⅢ章とⅥ章に大半の時間を費やした。高齢にもかかわらず新たに文章を書き進んでいく今井さんの熱意に引っ張られて、完成にこぎつけることができたというのが実感である。
(宮)

『年の終わりに』  今年も最後のロバ耳になってしまった。毎週欠かさずと毎年、年の始めは思うのだけど、やりとげたことはない。マメにツイッターを流す努力をしてるから勘弁してもらおうとか、忙しいからとか、話題がないからとか…そんな理由でしょっちゅうさぼってしまった。社長は偉い。社長だからというわけではないが彼はほとんどロバ耳を欠かさず書いている。すごいことだ。しかしだ、ツイッターのことは社長がやり始めたことなのに気が向いたときしかやらないから私が文句をいう。でも人には得意と不得意があるということかなと思う。同僚のMなどはさぼりっぱなしなので季節に1つ、年間4つくらいは書くように言ったら、今年は始めは毎週書いて頑張っていたのだという。覚えがなかったのだがアーカイブスで確認したら、ホントだがんばってたんだと確認できた。疑ってごめんよ。
 得意と不得意。ようはこんなことだ。全ての人がなんでもまんべんなく物事をこなすよりより、得意なことを活かせる会社がいいと思う。朔北社なら社長は交渉ごとと、お金のこと、そしてロバ耳を欠かさないこと、私はツイッターをなるべくマメに更新させる継続性と会社の細かい雑用と毎日の出荷と在庫の管理、そして同僚のMは外の出て行っていろいろな人に会って、イベントに結びつけることや、アイデアを出すことが得意だし、組版もできる。それぞれがそれぞれに得意なこととしてやってきたんだと思う。続けることは大切だ。結果はすぐに出るものばかりではない。いかに根気強くできるかだろうし、時には決断力や打たれ強さも求められる。自分たちがどんな出版社としてやっていきたいかを発信し続けることでいつしか、朔北社を知ってくれる人が一人でも増えていったらいいなと思う。増えていかないとなりたたなくなってしまう。さて、来年はどんな年になるだろう。まずはロバ耳をなまけないようになるべく…がんばろうかな?!
(やぎ)
2019年12月20日
『小さな縁』  フリーの編集者の方が発信している他社の本のイベント情報を「面白そう!」とリツイートしたら、その編集者の方から「よかったらいらして下さい」と声をかけていただいた。時間的に難しいかなと思っていたのだが、声をかけられると弱い私…。そんなわけで、前にある予定を早めに切り上げ、横浜の妙蓮寺にある石堂書店のイベントスペース「こいしどう書店」のプレオープンイベントへ。二歩さんというユニットのお二人の初めて出されたことばの絵本の出版秘話を交えつつ石堂書店店長さんと書店の歴史やプレオープンとなったこの場所について語るという、1回で2度おいしいイベントだ。今までネットの向こう側の出来事だったことが、人として、場所としてリアルに感じることができた。出版社、イラストレーター、絵本作家の卵、妙蓮寺に長年住んでいる地元の方(小さい頃から本が好き)等々。個性的な面々のこじんまりとした温かくていい会で、その先に明るい未来が見える気がした。このプレオープンした場所はクラウドファンディングによって改装し、実現したという。「こいしどう書店」の他に石堂書店の2階(物置だった)をリノベーションしたそうだ。本屋の1階部分は昔なつかしい昭和スタイルの町の本屋。でも奥に長いのではなく横に長いといういい形。意外にこの形、そんなに多くない気がする。イベントの後、本屋の2階も見せていただいた。上ってみて驚いた。そこは書斎のような隠れ家のような落着く空間があった。妙蓮寺は文化人も結構住んでいるとのこと。この場所で物書きとか、読書したい人に貸しスペースとして提供したり、文化の発信基地としてそういう人たちの交流の場にもなったらとのこと。その部屋の奥には2つの扉があり、1つはトイレ、もう1つの扉の奥はなんと出版社(三輪舎)のオフィスだというではないか!
 最近姿を消しつつある町の書店。そんな書店の中でこんなことを考えている人がいるとは!昭和の昔ながらの書店の上にこんな場所があるとは誰も思いつかないだろう。かっこいいなあと思った。そしてワクワクした気持ちが膨らんだ。
 ここで出会った人たちとはほんの数時間、時を共有しただけなのになんだか開かれた心の中にいて、自然に人見知りの私の舌もほぐれた。見たものに対する素直な感想が口から出ると、それに反応する人がいて、初めてを忘れる楽しい時間を過ごしたのである。名刺を交換した何人かとは、また再会できそうだ。つながりというのは本当にいろんなところから発生し、続いてゆく。その中の一人が、後日メールを下さった。それに返事をしたら、もう一度メールが来た。そこには「改めて家の本棚をみたら、最近特に気に入っていた絵本『レナレナ』が朔北社の出版だと気づき、とても嬉しくなりました」と書かれていた。そして『ことばのサーカス』の編集者Nさんは会社のある日野から遠くない場所にお住まいだというし…小さな「縁」を感じる会だったな。いつかそこで出会った人だちと何か出来たらいいなあ。
(やぎ)
2019年12月13日
『問題を放置する罪』  記者会見や国会でウソを繰り返す首相や官房長官、官僚に対してどう対処するべきか。なにしろあまりに幼稚なウソで政権にしがみつくという異常な事態が眼前にある。戦後政治制度にとって最大の危機だとすら思う。政治責任がまったく無視され、官僚制が破壊されているからだ。
 以前、政治家が「恥ずかしい」という感覚を無くしていると書いたが、じゃあどうするべきか?
 まず一人ひとりが自分の持ち場でするべきことをすることだ。閣僚の中に、首相や官房長官のウソを批判する人はいないのか。アメリカやイギリスでは、自分の良心、意見に照らして職を辞する人がいる。同じ反応が日本であってもいい。1960年の安保騒動のとき、赤城防衛庁長官は、岸首相の自衛隊出動を拒否した。過去にはこのような気骨ある政治家が間違いなく存在した。私はいまも存在すると思いたいがどうだろうか。
 自民党、公明党の議員から公然たる批判の声がどうして出てこないのか。子どもに見せられないようなウソをつき続ける政府に反旗を翻すのは与党議員として当然の義務である。それともどんなウソでもつき続けても、政権が継続しさえすればそのほうがいいと考えているのだろうか。現在はこういう単純な問題認識が必要な事態になっている。
 野党はたくさんある批判すべき問題のうちで、明白な公選法違反や政治資金規正法違反の確たる証拠を掴むことに集中するべきだ。
 報道関係者は事柄の重い意味を考え、職を賭して仕事をしなければならない。山崎雅弘が繰り返し批判し、警告しているが、NHKの政権迎合は目に余る。それこそ現場のアナウンサーであっても必要と考えれば、行動によって批判の声を挙げなければならない。さもなければ、大本営発表のオウム返しに堕した戦中の轍を踏むことになる。
政権を支えてきたのは選挙で与党を支持してきた有権者の投票である。有権者に危機感がない一つの理由は、問題とその意味するところが正確に伝えられていないことだ。これにも報道機関の責任が重い。
(宮)

いちょうの葉っぱが舞う道で  昨日久し振りに販売用のチラシを作成している何社かの仲間と打合せのために、神保町にあるK社へ集まった。神保町は南平に引越す前のオフィスがあった場所。暗くなった神保町交差点を地下鉄から上がって行くと、朝と昼はあんなに暖かくてすこし汗ばむほどだったのに夕方から風が強くなってきたようで上着をしっかり着ていても寒い。
 K社へ向かう道はいちょうの街路樹が植えられ、今の季節は黄葉のまっさかり。暗がりでもいちょうの木々で葉が色づき、色づいた葉が道にちらばっている。風がびゅんびゅんふいたら頭上から何かが落ちてきた。見上げると、いちょうの木から次々と強い風に吹かれ木から離れた葉が落ちてくるではないか。その量たるや、笑えるくらい大量で、道行く人も「すごいね」と口々に言うほどだった。そんなわけで更に通りは上も下も黄色い世界。思いがけず都会の中の最後の秋を堪能した。
 そういえばまだ神保町に会社があった頃この時期の夕方その道を歩いていたら、やはりいちょうが色づいていて道路も頭上も夕日に照らされて金色に輝いていた。その光景にしばし言葉を失い、息をのんだことを思い出した。同じ光景には二度と出合えないかもしれないけれどあんな場所にまた身を置きたいな、と心の中で思った。
(やぎ)
2019年12月6日
『ウソが恥かしい』  桜を見る会の報道を見ていると、よくもまあここまで次々ウソをつき、法と常識を無視した屁理屈を言うものかなと感心する。一つだけ例をあげれば、安倍後援会が主催した前夜祭の参加費支払いのこと。参加者が個別に支払い、ホテルの領収書を渡したという説明。安倍夫妻はすぐに会場を離れたので支払っていないそうだ。普通に考えれば人数を確認するために明細書を作成してまとめて支払いが行われるだろう。安倍首相はこれをすべて否定している。なぜこんな説明をするのかといえば、否定しないと公選法や政治資金規正法に抵触するからである。聞くに堪えない子供だましのウソ、屁理屈を際限なく出しているのを見ていてこのごろ思うのは、この人達、恥ずかしくないのだろうかということだ。人として恥ずかしくないのかという単純きわまる感想が出てくる。彼らはしかし恥ずかしくないから、あの態度を続けているのだろう。哀れを催すが、恐ろしいのは彼らが相変わらず権力を持っていることだ。そうして悪事を続け、官僚を滅茶滅茶に劣化させ、モラルを破壊していることだ。(宮)

言葉や名前は、間違えるもの? 私は溝上(みぞかみ)という名字だが、人に名前を間違えて呼ばれることがよくある。「こうがみさん」「みぞがみさん」「みぞうえさん」は読み方の違いなのでよくあるとして、「溝口さん」とか…。きっと私のことを呼んでいるのだろうなという別名があまりに多岐にわたるのでここで全部は紹介できないが、最近印象に残った名前を書き記しておきたい。この間、何人かとメーリングリストのやりとりをしていたときのこと。私は「溝上」から「裏紙」になっていた!斬新過ぎて目を疑ったが、佐藤様、裏紙様とある。他に返事の相手で思い当たる人がいなかったので私のことだろう。今までで一番の印象的な間違いに、思わずニヤリとしてしまった。その後のメールでは「溝上」に戻っていたが、特に裏紙には触れていなかったので、本人も気づいていないのかもしれない。先日は同じ人が今度はまた「溝江」さんと書いてきた。どうやら文章内に「○江さん」という人の事が出てきて引きずられたらしい。別な名前になってしまう時、私は「あれ?」とは思うし、言えるチャンスがあれば違いますよと言うのだが、特に困らないときにはそのまま受け入れて放置することも多い。先日会社の年賀状の準備をしなければと今年1月に来た年賀状を一枚一枚名前と住所チェックしていたら、わりと親しい人が社長の名を間違えて書いていたりして、誰でも名前を思い違いしたり書き間違えるものなのだなと思ったのであった。いつぞやは社長の名前は「功」なのだが「巧」に。この間違いは時々あり、一度はよく知る著者にサインを書いてもらったときも名前が「宮本巧」になっていたという笑い話がある。私ももしかしたら無意識に色々間違えていそうでこわい。昨日は昨日で、名前だけならいざ知らずコントのように聞き間違い思い違いで会話が無駄に続いてしまった。隣の席のMが「単価聞いてきたよ」と言った言葉を「え、啖呵切ってたの?静かに啖呵切ってたんだね」と言ったら「違う違う」と言われ「単価聞いてきたよ」を今度は「短歌?誰の?」と聞く始末。最後にはようやく理解したのだが、最終の会話が成り立つまでに3回もおかしな会話を繰り返してしまった…。こんな私はやっぱり「溝上」ではなく「裏紙」なのかもしれない…。 (やぎ)
2019年11月29日
『連想』  毎日浅川の土手を歩いている。小雨なら傘をさして歩く。土手に出る前に通りすがりの住宅の喜多川という表札に目がいったときに、喜多川千鶴という名前がパッと頭に浮かぶ。もちろん顔かたちも一緒に思い出す。市川右太衛門の旗本退屈男に、侍女の役で出ていた女優だ。この連想に自分でも驚くが、天気のいい日に土手に上がって白鷺が川面を優雅に飛んでいたりすると、牧水の歌「白鳥は悲しからずや」がメロディーとともに出てくる。すこぶる月並みな連想だが、広々とした川面を眺めて、気持ちよく連想に身を任せて歩く。するとまだ見たことがないのに「千曲川旅情の歌」を思い出す。さらに藤村の新体詩を愛唱していた中学時代の旧友の名前と顔が浮かんでくるのだ。暖かい秋に遠くの山々が見える日には古関裕而の「昼の憩い」の音楽が耳に鳴り、映画「警察日記」に出てきた会津の山々の景色を思い出す。いや、よく憶えていないのに同じような雰囲気の景色を懐かしく思い浮かべるのである。(宮)
2019年11月22日
『近衛文麿』  車中で読む本を探して、携帯しやすい新書判と思い岡義武『近衛文麿』を選んだ。四十数年前に読んで以来だが、読み始めたら読後の印象をまざまざと思い出した。冒頭の「その若き日々」の章は東大の井上哲次郎などの講義にあきたらず、河上肇や米田庄太郎のいる京大に行ったことなどがでてくる。文麿は12歳のときに父篤麿を亡くし、公爵になる。近衛家の内部では「若様」に代えて「殿様」と呼ばれるようになるのだから大変だ。家柄のせいもあって親しい友人ができず孤独感に苛まれていた。京大の学生時代に西園寺公望を訪ねたら「閣下、閣下」と呼ばれて戸惑い、足が遠のいたという。岡義武は「序」で文麿が書いた若山牧水の「幾山河こえさり行かば淋しさのはてなむ国ぞけふも旅ゆく」の色紙を出しているが、若き近衛文麿には同情を覚える。
 哲学を専攻して大学教授になりたいと考えていたという文麿、世の中で一番俗悪なものは政治家、一番高尚なものは哲学者だと思っていた文麿は、しかし在学中に貴族院議員になり、30歳のときに仮議長に推された。そして否応なく政治の世界に入っていくことになる。
(宮)
2019年11月15日
『キックスケーター』  通勤途上、5,6人の若い女性が2輪式のキックスケーターでスーッと脇を通り過ぎていく。髪をなびかせ、徒歩と自転車の中間ぐらいのスピードで気持ちよさそうに走っていく。話しながら乗っていて、言葉から彼女たちは中国人だとわかったが、スピード感とマッチすると納得した。
 子どものころ、子ども用の同じような乗り物があったが、それは後輪が二輪で、立ち乗りの三輪車というべきものだった。
 女性たちが乗っている2輪式スケーターはハンディーでスピード感があるので、乗ってみたい誘惑に駆られる。だが、わたしは一枚刃のアイススケート靴で立つことができないぐらいの運動神経しか持ち合わせていないので、2輪式スケーターでは実現困難な希望で終わるほかないだろう。
(宮)

『ネズミ年を前に』  以前、千歳烏山で住んでいた家はとても古く、入居当初からネズミが出没した。ある時は台所で、ある時はお風呂で、ある時は2階で彼らに遭遇し、その度に悲鳴を上げていた。ガサゴソガサゴソといろんなものをかじりまくる様子は何十年も前のロバ耳にも書いた記憶があるのだが、その時の経験のあと、私はものすごくネズミの存在に敏感になったようだった。例えばだれも気づかないようにささっと部屋の隅を横切るネズミの姿をほぼ確実に捉えてしまうようになったのだ。動体視力がいいわけではないが、ネズミにだけは高性能の動体視力を持ち合わせているようにさえ感じる。いやな能力と思うが仕方ない。
 九州の夫の実家の小さな小さな野ネズミをはじめ、町のあちらこちらで彼らを見つけてしまう。そして最近は、出かけた先のお店の入口付近でも彼らと目があったりしてしまうのだった。そしてある時は友達との外食中に、親から電話があり外に出ると、コンクリートと板の隙間から逃げずに、じっとこちらを見ていたりする。おどしたりすると一瞬ひっこむのだが、暫らくすると、またしても顔を覗かせ私をじっとつぶらな瞳で見つめてくるのである。なぜ…。そのときのネズミときたら『リンドバーグ: 空飛ぶネズミの大冒険』(トーベン・クルーマン作 ブロンズ新社)に出て来る絵のようなネズミなのだ。手足だけピンク色をしている…。気の迷いか見つめられているうちに嫌いなはずのネズミがちょっとだけ可愛く見えてしまった。そしてある日は夜中駅前の道で信号待ちをしていたら、信号が変った瞬間に一目散に私のいる側にダッシュしてくるネズミを見たり…(もちろんよけた)。そのことを同僚に話すと「たぶん以前の家のネズミじゃない?その節はどうもって挨拶に来てるんだよ」と大真面目にいうのである。私「いや困るし…それにその頃のネズミはすでに死んでいるでしょう?」(ネズミは短命と聞くし2-3年?)同僚M「じゃあ、そのネズミの親族かも?」私「いやいや、見た目も種類も違うし…」もしもそうだとしても…二度と一緒に暮らしたくはないというのが正直なところだ。私の顔はネズミ界で知れわたっているのだろうか?と時々心配になってしまう。
(やぎ)
2019年11月8日
『外務省の文書不開示』  来年早々に出る予定の『関東大震災と中国人虐殺事件』の著者今井清一先生は、いま「あとがき」をかいているが、新聞に外務省の沖縄返還文書が不開示になったという記事が出たら、さっそく反応された。中国人虐殺事件を解明するときに、著者はアメリカ作成の「外務省文書マイクロフィルム」を活用して研究を進められたが、そのときにも文書の改竄、隠蔽が行われていたことがわかっている。90年余を隔てて外務省の文書をめぐって、既に公開済みの外交文書の不開示問題が取りあげられている。少しも変わらない政府機関の不行跡、権力の恣意的行使については、いくどでも指摘し、批判するする必要があるだろう。(宮)

『部屋から見える景色』  このあいだお隣さんとの関わりについて書いたが、今週はその部屋から見える景色について書いておきたい。我が家のまわりにはあまり家は建っていない。後ろと横にあるだけの角地に建っているのだ。ほかは畑と家や建物ではない施設があるくらい。遮るものが少なくて朝晩部屋から日の出日の入りを楽しむことができる。朝、夫がでかける5時半前に雨戸を開けると、南向きの窓辺から晴れた日には、東を見ると空の下の方が少しオレンジ色に染まっていくのがわかる。日の出前の空だ。この空をみると元気が出る。1日の始まりの新しい光だ。それから1~2時間するとすっかり明るくなり、外には通勤通学の人が通り、それなりに、にぎやかになり空の色などもう忘れてしまうのだが。
 昼間は仕事でいないし、夜は雨戸をしめてしまうので外の景色はみられないのだが時折休みの日の夕方2階にいると西側半分に住む我が家の窓から夕日が沈んでいく空の色がなんともきれいで暗くなるまで見ていたくなる。隣に遮るものがないとはなんだか清々しいなあと思う。太陽ってなんだか人をひきつける力があるのだなあと思う。
(やぎ)
2019年11月1日
『ニュースにまどわされる』  新聞を読みテレビを見ても、次々に起きている出来事が一体なんなのかわからないことが多い。川合法務大臣がはやばやと辞任した。妻の参議院議員選挙で俗にウグイス嬢と呼ばれる運動員に法律で認められている金額をオーバーする金額を支払ったことを週刊誌で取り上げられ、批判されたことが辞任の理由らしい。法相本人の行為でなく妻の選挙運動の責任を取るというのは筋がちがうと思うが、そのあたりの説明がされていないので、なぜ急に辞任しなければならないのかよくわからない。どういう問題なのか追求した解説がほしい。
 大学入試改革と称して導入されるはずだった民間の英語試験は延期されることになった。これは新聞テレビの報道で比較的理解できる出来事だったが、そもそも民間試験なぜ導入されることになったのか、その理由を知りたいと思う。複数の民間企業の試験を使って公平な入試が実行できるのかという素朴な疑問が出てくるから。
 池上彰の「新聞ななめ読み」ではないが、読者に問題を的確に伝えることは難しい。難しいが、単なる出来事の報知だけで、何が問題なのかを整理分析して伝えられなければ、不正確な情報をまき散らすだけであり、こころある読者視聴者には見放されるだろうと思う。
(宮)

『お隣さん』  引越しをしてからようやく半年がたとうとしている。引越してからしばらくは、なかなかお隣さんと挨拶できず、1ヶ月くらいは顔もわからないまま過ごした。不動産さん屋さんによるとお隣はお父さんと社会人の若い息子さんとお二人暮らしだとのこと。「いい人ですよ~」と教えてくれる。でも家を決める前、実は玄関先が雑然としているのが少し気になっていたのだ。我が家は建物を半分にわけて建つメゾネット。だからお隣さんは重要だ。ある日、ちょうど帰りが一緒くらいになって初めてご挨拶をした。ご挨拶したのはお父さんの方。買っていた引越しの挨拶用の品を取りに一度中に入る。「そんないいのに…」とお父さん(夫と同じくらいか少し上にも見える)。「いえいえ、差し上げるために買ったので」と私。名前を伝え合い家族構成など伝え、今後ともよろしくお願いしますと挨拶した。最近一階の部屋でラジオを聞いていたときに玄関の扉がドンドンドンとなった。そう我が家はインターフォンが壊れているのだ。その日は荷物が届く予定もなく誰だろうとビクッとしたが、「はーい」と言って不審そうに玄関をあけたらお隣さんが立っていた。「あの~このあいだ頂き物をしたから…」と箱を差し出してくれた。「実は熱海に旅行に行ってきたので、このあいだのお返しにおみやげを。そんなに甘くなくて、でも美味しいので」とのこと。引越しの挨拶のお返しなんて初めてだ。面白いなあと思いながらも、話しながらその顔をみると真面目で律儀で好感がもてた。ああいい人なんだなあと心から思った。お菓子をもらったからというわけではないけれど…。何かあったら助け合えそうなお隣さんでよかったな。 (やぎ)
2019年10月25日
『ゴミ』  台風19号のせいで各地が大水害に見舞われた。事務所のある日野市南平にも避難勧告が出されたので、浅川氾濫を覚悟したが、浅川の堤防はなんとか持ちこたえてくれた。翌日朝、土手を歩いたら、河川敷は、すっかり水に洗われ、上流から運んできた大量のゴミが汚らしく散乱している。プラスチック製のゴミと植物の残骸である。プラスチック製のゴミは、誰かが何処かで捨てたものが大水害によって表面に出てきたわけである。
 土手の遊歩道にはところどころにベンチが置かれているが、今日もベンチの下に何か食べたあとのプラスチック袋が捨ててある。これらが川に吹き飛ばされ、あちこちさまよった挙げ句に水害のときには河川敷に集まってくるのだろう。ゴミに無関心な人がたくさんいて、平気でゴミを置き去りにするのだ。
 一方、浅川土手にはゴミ袋とごみバサミを持って、捨てられているごみを定期的に回収している人がいる。しかし台風通過後の河川敷を見ると、無頓着にゴミを捨てる不心得者が遥かに多いのだろう。
(宮)

『台風後の家で』 台風15号が爪あとを残し去った後、19号が大きな目を見開いてやってきた。かなりの被害が見込まれ、安全を考え、ほとんどの電車が計画運休となった。スーパーやコンビニ、各店々から水、養生テープ、カセットコンロ、コンロのガスなどの棚がまたたく間に空になった。15号が家の中にいて本当に恐かったのでそれより勢力が大きな台風とはどんなものか想像もつかない。買い物は遅れをとったが、物干し竿を下ろし、自転車を家の中へ入れ、懐中電灯、ロウソク、風呂とバケツに水を汲み、普段閉めない2階の雨戸もしっかり閉めた。しかし19号は15号とは違った性質の台風だった。とにかく、台風がまだ遠いときから雨が激しくふり続いているのだ。会社の近くの川は12日の朝早い時間から警戒体制だった。夜に上陸するはずの台風を家の中でジッとただテレビを見たりしながら、嵐が無事に去ってくれるのを待つ。断続的に携帯電話に警報がなり、外でも市役所の避難情報が流れている。スマホの画面をみると近隣の避難情報が表示されるがどうやら住んでいる場所の避難情報ではないようだ。ビクビクただただ家のなかで電気も水もガスもある状態で過ごしたその1日でなんと疲れることか。これで被災したり避難した人が何日も何ヶ月も不便な生活をしていることを想像してゾッとした。たった1日でもこんなに疲弊したのに…自然災害にあうのは本当に大変なことなのだとつくづく思う。台風が去って数日後…朝雨戸を開けると雨戸になにかいて、その生き物が私の頭にペトッと乗り移ってきた。フイをつかれてウギャーと叫んでしまう。朝5時に…。その後頭の上から落ちたのはそこそこの大きさのヤモリだった。ヤモリをこわいと思ったことはないがフイをつかれると驚く自分がなんだかおかしい。ヤモリは家を守るといわれる生き物だ。台風の間もどこかでこの家を守ってくれていたに違いない。そう思ったらちょっと頬がゆるんだ。 (やぎ)
2019年10月18日
『法匪』  福島原発で農地を放射能に汚染された農民の、農地を元のように戻して欲しいという訴訟に対して裁判所が判決を出したというニュースを聴いた。。判決の理由がすごい。原発が出した放射能はいまや農地の泥とまじって一体化している。土を所有しているのは農民だから、放射能と一体化した土も農民のものである。東電はいまさら放射能を分離できず、したがって東電に原状回復を求めることができない、つまり農民自身がなんとかしなさいというのである。こういう理屈を聞かされて、学生時代に憶えた法匪という言葉を思い出した。こういう屁理屈を判決で述べている裁判官がいるということ、悲しいというか情けないというか……。
 たまたま耳に入ってきたニュースにぎょっとして、正確を期すべく調べたが、探しものは出てこない。しかたなく記憶に頼って聴いたこと感じたことを書いた。
(宮)
2019年10月11日
『台風19号』  大型で強い勢力を保ったまま、台風19号が関東地方を直撃するらしい。近年の異常気象に翻弄されて生活し、先月の台風15号の被害に苦しんでいる千葉県の状況をみながら、19号に対する万全の備えを呼びかけているテレビニュースを聴いている。
 被害の経験がないと実感がわかないけれど、何をなすべきか会社内でも議論がたたかわされた。身近なところでできることは限られているが、皆さんそれを実行するようだ。しかし電気、水道、ガスなどが止まるのはどうすることもできない。川が氾濫して床下、床上まで浸水することもあるかもしれないが、これも個人の力ではどうすることもできない。会社では床に置いてある貴重な資料を机上に上げておくぐらいしかできないが、やらないよりはマシと考えて、動かした。
 個人は別にして、学校を休校にしたり(19号は土、日に襲来するので休校はないが)、交通機関の計画運休するぐらいしかできないのだ。そしてどれほどの被害を被るのかほとんどわからないのである。自然の力に直面したときに人間のなんと無力なことか。
(宮)
2019年9月27日
『アマゾン』  9月28日、朝日新聞「子どもの本棚」で『うっかりおじさん』が紹介された。9月30日(月)グーグルで「うっかりおじさん」で検索してみたら、ページ冒頭に「うっかりおじさんAmazon-プライムなら対象商品配送料無料」と出てきた。そのあとにいろいろなサイトが出てくるが、ページの最後にまた「うっかりおじさんAmazon-プライムなら対象商品配送料無料」と出ている。「え?」と思ったが、次ページに進んだところまた冒頭に「うっかりおじさんAmazon-プライムなら対象商品配送料無料」が出てき、ページ最後にも出てくる。次のページもその次のページも同じだ。よくみると「うっかりおじさんAmazon-プライムなら対象商品配送料無料」の次の行の頭に「広告」という文字が出ている。なんのことはない、アマゾンが広告を繰り返しているわけだ。
 今度は『レナレナ』を検索してみた。1ページ目にはアマゾンが出てこない。2ページの真ん中あたりに「レナレナAmazon-プライムなら対象商品配送料無料」が出ているだけだ。
 翌10月1日(火)に同じ『うっかりおじさん』を検索してみたところ、1ページ中頃に「うっかりおじさんAmazon-プライムなら対象商品配送料無料」がでてきたが、あとは次ページ以降まったく出てこない。
 10月3日(木)にまた『うっかりおじさん』を検索した。月曜日と同じく広告が毎ページに出てくる。
 売れ行きを見ながら動きの良いものに広告を集中して、購買を誘うシステムが作動しているわけだ。
(宮)
2019年9月27日
『グレタ・トゥーンベリ』  彼女の国連での演説を全文読んで、現実を直視し感じていることを率直に表現していることに、驚きと感銘の入り混じった気持ちになり、さらに彼女が怒り危惧しているように彼女らの世代の人類は環境問題に苦しめられることになるだろうと思った。機能不全に陥っているメディアが伝えているとしても、日本国内で毎日起きていること世界各国で起きていることを見聞きするにつけ何事についても悲観的な見通ししか持てない。それでもその渦中にいて私たちはなすべきことを見出し行動するべきだと思う。(宮)
2019年9月20日
『小売商店』  百草団地には商店街が作られているが、廃業した店も多い。団地住民の減少、高齢化が関係しているのだろうが、小売商店という形態自体が存続できなくなっているにちがいない。小売商店は大型のスーパーに取って代わられたと思っていたら、今度はスーパーがインターネットに客を奪われている。買い物の形態がすっかり変わってしまったのだ。
 買い物の仕方が変わったということは生活形態も変わったのだ。子供の頃住んでいた三軒茶屋は、大山街道の旧道で、今から思えば鄙びた店が並んでいた。旧道は子どもの遊び場でもあって、昼も夜も近所の子どもと遊んでいた。
 旧道に入る坂の先頭から酒屋、駄菓子屋、提灯屋、労働者の衣服などの店(当時、何と呼んでいたか思い出せない)、八百屋、魚屋、鋳掛屋、床屋があり、道の反対側には古道具屋、電気屋、不動産屋、染物屋、下駄屋、駄菓子屋、炭屋があった。駄菓子屋の炬燵に入っておじさんの話(怪談)を聴いたり、提灯屋の店先に入り込んで、提灯に字を書いている様子を飽きずに眺めていたことを思い出す。冬の早朝には八百屋の店先の焚き火に大勢手をかざしていた。八百屋の親父は焼き芋を焼いたり、ネギを焼いてそのまま上の皮を取って食べていた。
(宮)

『すっかりだまされた』 先日、十数年ぶりにクラス会を開催した。調理もできるというスペースを借り切って、持ち寄ったり、作ったりしながらゆっくり過ごすクラス会。集まったのは20数人とその子ども3人。気付けば子ども達と遊んでいる私。その中の一人が言う。「ぼく肩車っていままでしてもらったことないんだ…ねえ肩車して!」とのこと。実はこの子のお父さんはこの子が小さな時に亡くなられ友人は一人親で現在高校3年の娘さんと、小3の男の子を育てている。そういわれて(ああそうか…)と思ったのがいけなかった。体重30キロの彼を始終肩車して廻るはめに。もう10歳若いころはあまり疲れが顔に出なかったものの、最近は顕著に出るらしく、おんぶ、肩車などしているうちに体力消耗してぜいぜいしていると友人に「〇〇ちゃん、顔が疲れているけど大丈夫?」などと声をかけられてしまった。その後はUNOやトランプのカードゲームを大人3~4人ほども加わって遊んだ。おかげで体力も無事快復し家に戻ってからはたと気づいた。思い出したのは、肩車をしてもらったことのない少年のお母さんが送ってくれた年賀状の写真…。いやいや今よりもっと小さい頃だけどその写真の中の彼は、ちゃんとお姉ちゃんに肩車をしてもらっていたのだった。後日そのことを友人に伝えると「あいつはうそつきだから、そうやってみんなに肩車してもらったりするの」と言われたのだった。どうやら誰にでも可愛がられる性格は人懐っこさとちょっとの嘘でできていたのだった。おばちゃんすっかり騙されたよ。小さな嘘だからまあいいか…大きくなったときのネタにしてやろう。ふっふっふっ。にやり。その頃には色々忘れていそうだけれど…。 (やぎ)
2019年9月13日
『音楽の泉70年』  9月日8日(日)の「音楽の泉」(NHKラジオ第1放送)は解説者を務めている皆川達夫によれば、70周年記念番組として作られていた。昭和24年10年9月11日にに始まった音楽番組で、初代解説者は堀内敬三で10年間、2代目は村田武雄で29年間、3代目は今も続けている皆川達夫で32年という。70年間に3人とは!そして皆川さんはいまも続けているのだ。
 70年記念で、それぞれの解説者が初めて放送した曲から1曲ずつその時使ったレコードで聴かせた。堀内敬三は、サラサーテの「チゴイネルワイゼン」(1937年ジョン・バルビローリ指揮のSPレコード)、村田武雄は、ボロディンのダッタン人の踊り(イーゴリ・マルケヴィッチ指揮フランス国立放送管弦楽団)、皆川達夫はモーツアルトのオーボエ協奏曲(ハインツ・ホリガー独奏・指揮のアカデミー室内管弦楽団)。以上の曲のほかに、皆川達夫が忘れがたい曲として、モーツアルトのレクイエムから「涙の日」(ブルーノ・ワルター指揮ニューヨークフィル)、長崎の「オラショ」とバッハの「コヒーカンタータ」を放送した。皆川達夫はアメリカ留学時代にワルターの生を聴いていたく感銘を受けたのだそうだ。
 わたしは子どものころの堀内敬三の時代からこの番組をよく聴いていた。堀内敬三の解説でショパンのピアノ曲を放送したときに「別れの曲」を聴いてからしばらくの間、一番好きな曲であった。
(宮)
2019年9月6日
『京急とトラックの事故』  京急の事故当時、テレビニュースによるとで電車は時速120キロで走っていたといい、以前車中から撮影された走行中の映像を流していた。線路の両側ギリギリまで人家が迫っていて、危ない感じがする。踏切の異常を知らせる装置が設置されていたそうだが、このスピードで走行中に、異常表示を運転手が肉眼で確認してブレーキをかけることがどこまで出来るのかとおもう。踏切の異常と走行コントロールが自動的にされていないと事故を防止するのは難しいのではなかろうか。そのようなシステムが導入されるまではスピードをうんと落とせばいいのだ。
 京急には、学生時代に通学のため毎日乗っていた。当時の特急は時速100キロをだしていて、揺れがひどかった。当時は鉄道事故がけっこう起きていたので、先頭車両に乗るのは危険だと思っていた一方で、事故に会うときにはどこに乗っていようと関係ない、どの車両が危険かなど知りようがないのだから考えていたことを思い出す。
(宮)

『会社の近くの細い道』  会社に通うときに通る細い道がある、人と人が気をつけて通ればギリギリ通り過ぎることができる道。肩を斜めにしなくても通れるくらいなので80センチ以上はありそうだが計ったことはない。車椅子の人も通っていたから1メートルはあるのだろうか。
 体感的には60センチくらいなのだが…。そう感じるのは、それなりの高さの塀や金網に挟まれているからかもしれない。今度こっそり計ってみようと思う。自転車も通れば、電動の車椅子も通るが車やバイクは通れない。
 細い道の欠点は色々あるが幅が狭いので、とにかく草が生えたり何か置かれたりしたらとたんに道幅が狭くなるのが難点だ。雨の日の傘なども気を使う。だがこの道で嫌な思いをしたことは一度もない。もとから狭いと思って通っているから急いだり急かしたりする人がいないのだ。みんなが心に余裕があるのだろう。
 だが夏の植物の成長は本当に早く、みるみるうちに草が生え、道の4分の1を覆ったりする。益々その幅が狭まってくるのだが、そんな時この草は誰が…と思っているとある日キレイさっぱり草が刈り取られていたりする。いつも不思議に思うのだがこういう道の草はいったい誰が刈っているのだろう。以前一度だけ見かけた電動草刈を持ったおじさんはどうみても業者や市の人ではなかったようだ。さりげなく近所の誰かがやっているのだとしたらありがたいなあと思う。私もいつか会社があるこの町の人の役に立てたらいいなあ。そう思いながら今日もその細い道を通るのだった。
(やぎ)
2019年8月30日
『寛容』  「寛容と忍耐」は、60年前の池田勇人総理大臣が就任したときのキャッチフレーズであるが、いまや憶えている人が何人いるか。しかし今回は政治家の話ではありません。
 ベトナム在住の女性がひさしぶりで帰国した日本の印象を質問されて、答えるのをラジオで聞いた。子どもと一緒に帰ってきたのだが、どうも日本は子ども連れに対して厳しい、優しくないという。新幹線に乗ったときに子どもがぐずりだしたら、客室から出ていけと言われたり、別のときには隣席の男性に、ゆっくりしようと指定席を買ったのに、うるさくて困る、自由席に移りなさいと言われたそうだ。 子どもを連れているときには、緊張を強いられる。
 その女性はベトナムのほかインド、オーストラリア、などでも暮らしたことがあるが、日本は子連れにたいしてはどこよりも厳しいようだ。
 日本では子どもを躾けるときに、「人に迷惑をかけないように」というが、インドでは「あなたは人に迷惑をかけて生きているのだから、迷惑をかけられたときには許してあげなさい」といってきかせるという。他人に対する寛容が大切なことだということで、現在に日本の余裕のなさを指摘していたのが印象的だった。
(宮)
2019年8月23日
『セブンイレブン』  「自主的に二十四時間営業を短縮したセブン-イレブン東大阪南上小阪店(大阪府東大阪市)のオーナー、松本実敏さん(57)が九月から日曜日を定休日にするとセブン-イレブン・ジャパン本部に通告したことが二十二日、分かった。人手不足を理由としている。本部側は慰留した。」という東京新聞の記事。営業時間も9月から午前9時から午後11時にするという。店の名前に戻ってセブンイレブンにするわけだ。働く人のことを考えれば、まともな営業の復活だと感じた。週に1回休むのは当然だし、セブンイレブンはそれでもけっこう長い営業時間である。あらゆることに便利と楽を追求することを一度立ち止まって、ほんとうに必要なことなのか考えたい。経済システムとしては新自由主義ではなくて修正資本主義の時代を思い出す必要がある。(宮)
2019年8月16日
『1000ミリの雨』  台風10号が上陸し、その影響で天気がすこぶる不安定。14日朝、浅川土手を歩き始めたときに雨はほとんど降っていなかったのに、しばらくすると降り出し、すぐに大粒になり、たちまち遊歩道に流れができてしまった。靴は水浸し、ズボンの膝から下はすっかりぬれそぼった。土手の途中でなすところなく雨に打たれてから、やっと事務所にたどりついた。
 猛烈な雨はじきに上がって、一時は薄日まで射した。ずぶ濡れになって出社した面々とこもごも雨のことを話したが、予報では四国地方では1000ミリの雨が降ると言っている。1000ミリとは1メートルの雨だ。土手の上の僅かな時間で大騒ぎしたが、想像を超えた1000ミリの雨量では、とにかく安全な場所に避難するしかない。浅川で同じ雨量が降れば、過去にも住宅地が浸水したことはあるそうだから、雨水は堤防を越えて住宅地に流れ込むに違いない。
 現代の気象情報では、時間を追ってこまかな雲の動きを表示し、地域ごとの天気の変化が分かるようになっている。進歩したと言うべきなのだろうが、そういう情報に振り回されているのも事実だ。台風がくればいろいろ備えざるを得ないから、ますます情報に支配されることになっている。
(宮)

『やさしいお父さん』 夕方、わりと早い時間に会社から帰った日のこと。南平の駅近くで、ベビーカーを押して夕方の散歩に行って帰ってきたとおぼしきお父さんと赤ちゃんを見かけた。線路脇にならぶ一軒家の一つに住んでいるようだ。お父さんが押すベビーカーで赤ちゃんは寝ているらしくとても静かだ。家への道に向うところにちょっとした段差があった。ふとみると、そのお父さんは、まったく急ぐこともなく、やさしく、前の車輪を上げて少しすすみ、音もたてずにそっと後ろの車輪を段差の上に置いた。あまりにやさしくて、やわらかくキレイな動きだったので、見とれてしまった。なにげない動きの中に実はその人の日常が出るものだ。小さなことかもしれないが、なんだかとっても温かい気持ちになったのだった。 (やぎ)
2019年8月9日
『戦前昭和期と今の類似点と相違点』  今日の日本は満州事変から日中戦争、太平洋戦争へと突き進んでいった戦前日本によく似ていると言われる。戦前期、政府は、事実を国民に知らせず、独善的な政策を強引に推し進めた。報道機関は、それを批判的に伝えるどころか政府の意向に沿って報道し、進んで煽った。近頃の日本でも、問題の中身と形は違うが、政治とマスコミの両面でよく似た情況があるのだ。歴史から逃げずに事実を直視する人たちにとって、否応なくそのような類似点が見えているにちがいない。
 相違点は、類似点が見えている人たちが少数派ではあるが、戦前期日本に較べればかなりの人数存在することだ。類似点をみて今何をなすべきかを考え行動する人たちがいることは心強いかぎりだ。戦後74年も経つ現在、それらの人たちの存在は戦後新体制、戦後教育の成果として存在しているわけで、誤れる歴史をそう簡単に繰り返さない防波堤の役割を果たしてくれるだろう。
(宮)

『セミ』 以前住んでいた場所も緑が少ないわけではなかったとおもうのだが、今住んでいる場所は木も、草も、土も以前の場所と比べたら断然多くなったからなのか、毎朝、毎晩鳥や、セミの声が聞こえている。先日も家から近い団地の小道を歩いていたらセミの抜け殻が続々と見つかった。こんなにもこの場所で羽化したのかと驚く。さらに農業高校のフェンスの下のコンクリの壁部分を見てびっくりした。こんなとこでも!という場所なのに、50センチおきくらいに1つ2つのセミの抜け殻があった。セミは長い間土の中にいて、いよいよ羽化するときが来ると土から出て来るというが、その瞬間を見たことが実はない。こんな身近で、更には、こんな目立つ場所で羽化をが行われているのになんてことだろう。さて土から出て来るセミだが、ある日、仕事で知り合った仲間に虫を食べる会に誘われたときのこと。セミは羽化のときだけ出て来るようにいわれているが、その時たしか、成虫のセミも捕まえるが、まだ羽化にはほど遠い、幼虫も捕まえるというミッションもあり(食べるために捕まえるところからやる会だった!)夕方セミのいそうな木をその幼虫があがってくるのを待っていた映像が今も鮮明に思い出されるのだった。小さな幼虫が次から次へと木に登ってくるのをとらえるのだ。セミの成虫は油で揚げるが、こちらは蒸してたべるとピーナッツみたいな味がする。幼虫の夕方からの外出…あれば現実だったのか…と思いネット検索してみるが、羽化のために出て来るセミの話ばかり。あれは真夏の夜(夕方)の夢だったのだろうか。それにしても、来年こそはセミの羽化に立ち合いたいものだ (やぎ)
2019年8月2日
『不服従の義務』  7月20日にドイツで行われたヒトラー暗殺未遂事件75周年記念のイベントでメルケル首相が、ドイツ連邦軍の新人兵士らに対して「不服従が義務となる瞬間がある」と演説したといニュースを読んだ。命令に絶対服従するべしというのが兵士の義務に違いないのに、メルケル首相よくぞ言いけりという感想を持つ。近頃の日本の政治行政における無残な状況みるにつけ、政治の世界だからメルケルの発言、行動には政策のことに限らず、いろいろ問題もあるかもしれない。しかし、このような演説をするメルケルを首相にいただくドイツ人は、安倍晋三が首相を務める日本の市民に比べて幸いだと思う。
 兵士の不服従といえば、戦前の日本陸軍で新兵に度胸をつけると称して捕虜を銃剣で刺させようとしたときに、それを拒否した日本兵もいたのである。
 生きていると、命令と服従と一人の人間の価値観がぶつかりあうときに遭遇することがあるのだ。そしてメルケルは兵士に対して「不服従が義務となる瞬間がある」と言ったのだ。
(宮)
2019年7月26日
『高校野球』  スポーツ放送はますます加熱していて私はますます興味を失っていく。アナウンサーの興奮した声を聴きたくない。しかしニュースを見ていればかなりの時間をスポーツに割いているから、聴きたくなくても耳に入ってきてしまう。
 夏の高校野球が始まっているが、まだ捨てたものではないと勝手に同感したのは、大船渡高校の佐々木朗希投手を県の決勝戦で登板させなかったことだ。たしか準々決勝で160キロの速球を投げたと報じられたが、そのとき190球投げたのだそうだ。そして国保という監督は、数日後の決勝戦で佐々木選手の体調を考えて、登板させなかったのだそうだ。アメリカ大リーグに行った田中将大も大谷翔平も肘を痛めて手術している。若いときに酷使したことが原因ではないだろうか。過剰な練習、投球数の異常な多さなど、体のことを考えたら制限するべきことだ。高校生の健康を考えたやり方があるはずで、決勝を控えての監督の立派な判断だと思った。
(宮)
2019年7月19日
『政見放送』  風邪をひいて寝ながらラジオを聴いていたら、参議院選挙の政見放送が割り込んでくる。そのまま聴いていた。いろいろなことが気になった。政党の政見放送では自民党と立憲民主党は、男の党首に女性議員が対話する構成をとっていたが、空々しくてまるで面白くなかった。心に響かない。わりとまとまった時間があるのだから、事前によく練って有権者が耳傾ける演説を一人ですればいいのに。安倍首相には無理だろうが。その点、NHKから国民を守る党は、昔の赤尾敏のような巧みな話術で惹きつけた。れいわ新選組の山本太郎は耳傾けさせる力はあったが、残念ながら街頭演説の素晴らしさには及ばない。選挙区候補者の政見放送は千差万別、そしておのずと人柄が滲み出ててくるのが面白い。(宮)
2019年7月12日
『石光真清』  関東大震災の新刊を準備中なので、著者の今井清一先生と打ち合わせをしていたら「第1師団長石光真清が…」と言われたので「師団長は弟の真臣です」という会話から石光真清の話になった。
 「真清は満州、シベリヤでスパイ活動、間諜として活動していて、のちに世田谷三宿の三等郵便局長をしていましたが、世田谷の三軒茶屋に住んでいた私はなおさら親しみを感じて…」など言ったところ、先生は、「僕は石光真清の作った『錦州商品陳列場』というカタログを山口高商で見たことがある。当時あちこちの大学などを回って埋もれた資料を見ていた云々」
 カタログはガリ版刷りの分厚いものだったそうだ。そんな珍しい印刷物がよくもまあ大学図書館の所蔵物になったものだとびっくりした。すると先生曰く「山口は中国大陸に近くてお隣の世界という感覚があったのだ」と。もう一つのびっくりは歴史家の好奇心のことだ。昔著名な歴史家が、子どものPTAの連絡プリントまで資料感覚で捨てずに保存するという話を聞いたことがある。これと同様で、大学図書館で資料を見るときの目の働き方が普通のひとと少し違うのだ。今井先生は、全国あちこちを旅行して好奇心いっぱいで見聞きしてきたのだ。
 帰ってきてからインターネットで調べてみたら、現在は山口大学になっている図書館には石光真清の有名な自伝の他に『西海口ニ就キ』『錦州事情』という2冊が所蔵されていた。どちらも謄写印刷の本である。
(宮)
2019年7月5日
『参議院選挙』  自民・社会の1.5大政党時代から、幾多の変遷を経て自民党は相変わらず政権を握っている。新自由クラブが分離したあと自民単独政権はまれで小党との連立政権が多い。公明党との連立は長く続いており、選挙でも公明党の力に大きく頼っている。自民党は何事があっても政権を離れない公明党に大きく依存しているし、公明党は政権与党の旨味を離すことができないのだろう。公明党は、政策で自民党と食い違っていても、政権与党であり続けるために、妥協・変節を繰り返してきた。
 こんな公明党のあり方に内部から批判が出てこないはずはないと思っていたが、今回東京地方区で、れいわ新選組から沖縄の創価学会員が立候補した。
 同じことは自民党にも言えるわけで、現政権に批判的な政治家がいるはずだが、なかなか表には出てこないようである。勇気がないのか、ひょっとしてそんな政治家はいないのか。
 れいわ新選組の候補者選定はなかなか面白くて、選挙全体にかなりの影響を及ぼすにちがいない。選挙の大きな見どころだ。
 れいわ新選組の選挙結果と、この候補者(野原善正)がどんな得票をするか注視したい。
(宮)
2019年6月27日
『石光真清記念館』  朝日新聞で石光真清が取り上げられていた(6/26「多事奏論」駒野剛)。熊本市にある記念館の訪問者は年間10件あるかどうかだそうだ。この数字に絶句する。石光真清と聞けば、学生時代に日曜名作座で森繁久彌と加藤道子の放送を聞き、面白さにすっかりひきこまれたことを思い出す。すぐに図書館で探して、4冊本の手記を読んだ。
 『城下の人』『曠野の花』『望郷の歌』『誰のために』からなる手記は、幼年時代の西南戦争の記憶から始まっていた。ウィキペディアによると昭和33年に『城下の人』『曠野の花』が毎日出版文化賞を受賞しており、直後に日曜名作座で取り上げられたのだろう。当時は知る人も多かったに違いない。4冊は、その後書かれた多数の近現代史で必ずと言っていいくらい引用されている貴重な記録でもある。
 いまも中公文庫に入っていることが確認できたので、地道に読みつがれているのだと思う。電子書籍版もある。
 石光真清は陸軍軍人であったが、スパイ活動のために満州とロシア各地を経巡る人生を歩むことになった。日露戦争後、いったんは引退する。そしてシベリア出兵の頃、軍首脳から再度依頼されてスパイ活動を再開するが、陸軍の意図と現地での軍事行動に疑問を抱き、失意のうちに帰国する。
 わたしは石光真清が引退後に過ごした郵便局のわりと近いところに住んでいたので、なおさらなおさら忘れがたい人である。
(宮)
2019年6月14日
『柳にされた樹木』  春先に7本が4本に減らされたうえ、乱暴な剪定で枝を切られた、浅川土手の欅。梅雨に入ってびっくりするほど濃い緑色に変身しているが、どう見ても欅に見えない。柳のように枝葉を下向きに垂れている。この姿は実はここに限らない。バスに乗って街路樹を見ると、柳状態にされた欅やその他の樹木がけっこう目につく。しかし、数年経つと、少しずつ本来の姿に戻っていくのを見てはきたが、柳状にされた樹木を見たくない。もうすこし違った手入れはできないものだろうか?街路樹を見るたびに余計な感想が浮かんでくる。(宮)
2019年6月7日
『15分間』   つぎつぎに事件が起きては過去の出来事として忘れられていく。応接に暇なしという状況だ。だがこれは忘れ去らずに取り上げ、改善してほしい事柄だ。
 5月16日のニュースで、横浜市の全中学校を調査したところ、9割の中学校で昼食時間(横浜市は給食ではなく弁当だそうだ)が15分間だと言っていた。耳を疑った。子どもたちは15分間で昼ごはんを食べなくてはならないのだ。インタビューされた生徒は時間内に食べ終わらないことがあるとか、時間が足りないと当然すぎる反応をしていた。残り1割の中学校も昼食時間は20分だそうだ。
 記憶が定かではないが、私の中学時代には45分ぐらいあったのではないか。とにかく15分ということはない。
 昼食時間をせめて30分ぐらいに延ばすよう横浜の教育関係者はただちに行動するべきではないのか。部活の時間を縮めればすぐに実現できる。 単純な問題で、議論の余地はないと思う。異常な状態に気づいて変更を主張する教師がいないのかと感じたことを言ったところ、学校事情にくわしい女性曰く、「教師にそんな権限はない、校長の権限あるいは教育委員会、文部省の問題なのでは」と。私に言わせれば、誰の権限とかいう面倒な問題ではそもそもないのだが……。
 今日も横浜の中学校では15分間で弁当を食べている。おかしい。
(宮)

『最近起きた自転車にまつわる
奇妙な出来事』
 5月10日の金曜日。明大前の駐輪場に自転車を預けていた。当日取りにいけず、土曜日の夜に取りに行った。するとなんと自転車の位置が変っているではないか!高い位置に停めたのが低い位置になっているし、鍵をあけようとしたら私の鍵のかけかたではない方法で鍵が(チェーンによる鍵だ)かかっていた。私だったらああいうふうにはかけないと言い切れる。どうも誰かが使用したような形跡があるのだ。後ろの車輪の空気が少し少ないので駐輪場の空気入れをお借りして空気をいれた。しかし空気は入るどころか空気入れをはずしたとたんに空気がどんどん抜けさらには最初に入れたときより悪く。タイヤをさわるとどうやらタイヤからシューシューと音をたてて全ての空気が抜けてしまった。タイヤの空気を入れる口の金具がバカになっているようだ。やむなくそのまま家まで押して帰った。翌日自転車屋さんで直してもらう。やはり空気を入れる口の金具が消耗していてヒョイと金具を変えたら直ぐに直った。修理200円也。では乗ろうかと自転車をまたいで驚いた!なんとサドルの高さまで高くなっているのだ。サドルの高さを調整しようとサドルの下をみてさらに驚いた。買った時以来高さを変えることがなかったので忘れていたが、サドルは手だけで廻して高さを変えるタイプのものでなく工具が必要なタイプだった。どうやら犯人は鍵をあけ、自転車を下ろし、サドルの高さも工具を使い変えて使用したんだろう。使ったあとはご丁寧に又駐輪場(場所は変っていたが)に戻したのか。元の様に(もとのとおりのかけ方ではなかったが)。鍵もかけて。想像すると薄気味悪い。盗まれるより性質が悪くも感じる。モヤモヤとした気持ちが残った。聞けるなら何が起こったのか自転車に聞きたいのだが、自転車がしゃべるわけもなく。後日後ろから自転車をみたら後ろ姿がなんだが変っている。よく見たらテールライトのカバーもなくなっていた…。なんだか久々に悲しい出来事だった。 (やぎ)
2019年5月1日
『甘酒』  甘酒は家庭で作って飲むものだと思っているものだから、スーパーに行くと甘酒を売っているが買わない。自分で作りたい。去年は作らなかったので今年はと思っているうちに4月になってしまった。とにかく作る気になってお粥を炊き、買っておいた麹を使って仕込んだ。温度が微妙に影響するのでやってみないと分からないのだが、一晩置いたのに水を注ぎ少し砂糖を入れ煮立たせたところ、米粒が沈まないでとろりとした汁のあいだに浮いている。うまく仕上がったようだ。子供の頃から親しんでいる母の作った季節の飲み物、食べ物がほしくなるのは歳のせいだろう。(宮)

『人間シュレッダー』  引越準備を始めたもののそのとたん風邪をひき、連休に突入。しばらく静かにしていたのだが、おしりが段々にせまってあせっている。詰めても詰めておわらない荷物と、その裏から出て来る埃に辟易しながらのダンボール詰めとものの処分に大わらわだ。以前から捨てようと思いながらもそのままになっていた家電や家具は当然のことながら、整理された請求書類を見て驚いた。結婚してから25年間一度も捨てていなかったのだ。請求書類は一見すると見た目にはそんなにないのだが、各種枚数にすると月に1回でも年で12枚の25年で300枚にもなる。紙も変色しているものもあった。この機会に処分しようと思ったのはいいのだが…我が家にはシュレッダーなるものがなく個人情報云々もあるのでとりあえず、手で切り刻み始めた。始めこそ調子よく切っていたが、2時間ほどちぎり続けると、手が疲れてきてしまった。普段使っていない筋肉を使っているのだろう。肘から下の腕の筋肉が両方とも痛い。何枚摑みちぎるのが適当なのか、わかってはきたものの、これでは引越準備どころではない。こんなことでは箱詰めも終わらない。実は会社にもシュレッダーはなく、以前いた経理の人がこんなふうに書類を1日中ちぎっていたのを思い出した。あの時は人間シュレッダーなんて笑ってしまったけど…結構大変な作業だねと心の中で謝った。あと引越し終了まで1週間人間シュレッダーは毎日少しずつにしよう。 (やぎ)
2019年4月23日
『地方議員選挙』  市議会議員選挙で投票所に行ってきた。すべての候補者に会ったこともないので、誰に投票するか決める材料は選挙公報しかない。昔から、人か党かと言われているが、人を選ぶのは、選挙公報だけでは難しい。党も、国政の問題とは違うので、身近に問題が存在していないとピンとこない。これでは投票率が下がるはずと思った。投票率どころか、無投票で当選が決まってしまう選挙が増えているそうだが、どうするべきなのか分からない。(宮)

『最近、感心したこと』  引越しを5月に控え、家の中を整理しつつダンボール詰めしている。まずは食器。普段使う最低限のものを除き箱詰めすると、あっという間に終了。では…と本棚の本をと詰め始めたが、詰めても詰めても終わりが見えない。しまいにはイヤになって、夫のCDを箱詰めすることにした。もともと以前引越してきたときにアイウエオ順に並べていたのだが、後から後からCDが増えるのでそのまま放置していた。久々に箱詰めついでに整理しながら詰め始めたが、日本人のものはいいのだが、海外のCDは英語で書いてあるから、どこからが名前で、どこからがCDのタイトルだかわからない。英語が苦手なせいもあるだろう。英語ならアルファベット順か…と思うがアイウエオ順で始めた以上そのまま進めることに。途中、息切れがしてきた。英語が苦手なくせに名前を発音してアイウエオ順なんて間違っていたのだ。そこで隣にいる夫に片言で名前を読み上げどこが名前かと聞くと、名前の途中で〇〇〇〇〇〇〇ねとフルネームで口から出て来た!現物を見てもいないのに!有名人なら私もわかるが、中には1枚しか持っていない人物のCDもあるのに。ひぇええ~買っているCDのアーティスト名やタイトルをみんな覚えているのか!?本当にびっくりした。25年も一緒に暮して来てまだだま知らないことがあるのだなあ。まだ全部詰め終わっていないがCDの箱は8箱超になりそうだ。終わりが見えてよかった。そして今後、海外のアーティストのCDを並べ直す時には「素直にABC順に並べよう」と心に誓った。本当は夫がやるのが一番早そうだが…。(やぎ)
2019年4月12日
『グレゴリオ聖歌、六段』  先日の「音楽の泉」は皆川達夫さんが、年来の持論のもとずいた珍しい構成の放送だった。ザビエルとともに入ってきた教会音楽を紹介し、かくれキリシタンのオラショを紹介し、キリスト教伝来と日本の音楽の交流を指摘して、最後にクレドと琴の独奏曲「六段」を重ねて聴かせてくれた。一度聴いただけなので、2曲の深い関係がすんなり得心できるところまでいかなかったが、同じような流れにのって進行していることはわかったのである。この放送を聴いたあとすぐに横田庄一郎さんの『キリシタンと西洋音楽』(2000年刊行)を思いだし、改めて読み返した。皆川さんの話と放送も面白かったが、皆川さんから親しく話を聞いたうえで書かれた『キリシタンと西洋音楽』も面白くて、自社の本ながら同書が「ミュージック・ペンクラブ賞」を受賞したことを納得して思い出した。(宮)

『個性があるのだなあ』  今借りているアパートの建て壊しが決まり、新しい住まいを探している。現在の自分達にぴったりの家を見つけるぞと張り切って家を探し始めたが、家は家だけでなく住む町の様子、そこに住む人たちの様子も重要なのだと今更ながら気づいた。
 幸い引越し好きの両親がいつも選んでくる家は、ある一定の基準があったのだと初めて思い至る。私自身も大人になってから6回目の引越しとなるのだが、今までは両親から受け継いだカンでそういう一定基準を満たした家に住んできたようだ。
 今回、家はそれなりに好みの条件を選んだが、住みたい町ではなく家賃に重きを置いて選んだからなのか、あたりを散策してみると、なんだか違和感を感じるのだった。旅先で地方のカラーや住む人たちの雰囲気の違いを感じることはあったが、実はこんなに身近な町の移動でもこんなに違和感があるものなのかと感じたのであった。思えば好きな町は自分の波長に合う町だったのかもしれないと、歩きながら思う。慣れれば違和感は消えるのか?やってみなければわからないが、はじめから違和感がないのならそれに越したことはない。ちらりと見ればさほど他と変らない町。自分と家族の野生のカンを頼りに近いうちに落ち着くすみかを見つけられるといいなあ。
(やぎ)
2019年4月8日
『剪定(続き)欅7本の運命』 浅川土手の欅4本は剪定を免れたと思ったら大間違いだった。枝をすっかり切り落とされて丸裸にされ、近づいて見たら、先に剪定された3本は根本から切られて姿を消していた。周辺では桜が満開になり緑の若芽が目に眩しいが、いずれまた葉を出し枝を伸ばすだろう4本は、いまは言いようのない可哀想な姿で立っているばかりである。(宮)
2019年3月29日
『南葵音楽文庫』  南葵音楽文庫は和歌山県立図書館にある。紀州徳川家の一六代当主徳川頼貞が集めた音楽関係の資料が、南葵音楽文庫として、紆余曲折ののち二〇一七年から和歌山県で一般公開されることになった。頼貞は親しみをこめてライテイさんと呼ばれたクラシック音楽資料収集家である。
 この人を知ったのは『第九「初めて」物語』を編集した時である。著者の横田庄一郎さんが、ライテイさんの貴重な体験のエッセンスを書いている。その元になったのはライテイさんの『頼貞随想』だが、そこに記録されている交友関係には驚くほかない。
 第一次大戦が始まって、ヨーロッパからアメリカ経由で帰国するときにカザルスと出会い、二度めのヨーロッパ外遊でコルトーの自宅でティボー、カザルスを加えた三人が、ライテイさんに聴かせるためにベートヴェンの大公トリオを演奏してくれた。また、ニキッシュ(ベルリン・フィルのフルトヴェングラーの前任者)の練習を見に行ったとき、「私の親友を紹介します」とフェルッチョ・ブゾーニに引き合わせてくれたが、ブゾーニは「東洋から遥々来たあなた方ご両人に何でもお望みの曲をニキッシュ君と一處に演りませう」とライテイさん夫妻のためにベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」を演奏してくれたとか……。
 興味深い逸話が詰まっている『頼貞随想』は現在絶版になっているどころか、普段利用している図書館を調べてみたら所蔵すらされていないのには驚いた。利用者が少なくて刊行から時間が経っている本は処分される時代ではあるが、こんな面白い話が詰まった本は読めるようにしておきたい。
(宮)

『マイブーム』  最近のマイブームは、気になる児童文学の作家さんを見つけてその人の本をいろいろ読み漁ることだ。ヤングアダルトくらいの年齢の児童書は、中学生以来あまり読んだことがなかったのだが、読み始めたら結構面白く、次々読んでいる。小学校の中学年や高学年向けもまた然りだ。世の中には大人子ども関係なく面白いものが存在し、充分に楽しめるのだということ、すごい作家さんが沢山いるのだと思うと勇気が湧く。井の中の蛙とは私のことだったのだなあと今つくづく思う。(やぎ)
2019年3月22日
『剪定』  出勤途上の浅川土手で、欅の剪定作業をしているので驚いた。土手沿いの広々とした場所で樹木の成長が住民の迷惑になるような状況ではないのに、電動ノコギリで大小の枝をばさばさ切り落としている。何ということをするのかとおもいつつ通り過ぎた。翌日の出勤時に結果を確認することができた。そこにはかなりお大きな欅が7本植えられているが、両端の2本を中間の2本の4本を剪定していた。残り3本は手が付けられていない。1本おきに処理したのだ。よくわからないやり方だ。私には不要な剪定作業としか思えない。
 私の住む百草団地も年に何度か植木の剪定が行われているが、過剰剪定で植木がひねこびていると感じている。私はのびのびした植木の姿が好きなのだが……。それで高校の修学旅行で四国へ行ったときのことを思い出す。当時私は日本庭園にすごく興味があって、天下の名園とされていた栗林公園を見ることを楽しみにしていた。足を一歩踏み入れて眼の前の松林をみて実にがっかりしたことを覚えている。それは極度の剪定作業でひねこびひねこびた松林だった。
 反対に忘れられない素晴らしい景色は、彌彦神社の参道の杉並木だ。胴回りの大きな無数の杉の木がすーっと天を指して伸びていた。
(宮)
2019年3月15日
『ビッグ・ウェンズデー』  新聞にジャン・マイケル・ビンセントが亡くなったと報じられた。ジャン・マイケル・ビンセントといえばビッグ・ウェンズデーを思い出す。この映画で売れっ子になっていろいろな作品に出ているが、私にはビッグ・ウェンズデーの印象が強く残っている。背景にベトナム戦争があるので、ディア・ハンターとともに忘れ難い作品だ。どちらも1978年に公開されている。最近は映画を見ることが稀になってしまったが、1970年代にはぽつぽつ見ていたことを思い出す。
 ジャン・マイケル・ビンセントの訃報で感慨に耽っていたら、ロザムンド・ピルチャーが亡くなったというニュースが入ってきた。新聞には出ていなかったので、一部の極めて熱心なファンがいるけれど、日本では読者の数が限られていて、新聞には取り上げられなかったのかと思った。しかし、もっと多くの読者に知ってほしい読んでほしいという気持ちに少しの揺らぎもないので、今後もピルチャー作品を出したいと考えている。
(宮)

『面会が解禁になって』  去年の11月だか12月頃からインフルエンザが日本中大流行となり、父の入っている施設も院内感染予防のためか面会が禁止になってしまった。母はお見舞いに行くのをルーティンのようにしていたのでくよくよするかなと思ったら当てがはずれ、それなりに楽しく近所の友人らと過ごしていたようだ。一人暮らしの母を心配し、ちょうどいい距離間でつきあってくれているらしい。
 しかし待てど暮せど、3月が来ても、なかなか面会が解禁にならない。母が施設に電話したところによると元気に落ち着いて過ごしているとのこと。心配なのは父はアルツハイマー型認知症で、ついさっきやったことなどを忘れてしまうから会わないうちに私たちを忘れてしまうかもしれないということ。去年も面会禁止だった時期はあったがそれほど長くなかった。しかし今年は3月11日になってようやく解禁になった。3ヶ月くらいだろうか?先日早速訪問した母のことは忘れていなかったようだが、子どもたちとなるとどうだろうか?名前は出なくとも「あ、娘」位には思うのだろうか。久々の再会までまだ日があるのに今から緊張してしまう。覚えていてくれたらいいなあ。母と時々話すのは、父は神経質で細かいことが気になるたちなので、父はこの病気になって幸せかもしれないということ。まあこだわる部分は以前のままのところもあるけれど、病気のおかげで以前のような生きづらさみたいなものは解消しているように見える。そう思うと病気や老化も悪くない。本人はどう思っているかわからないけれど。
(やぎ)
2019年3月8日
『オーヴァーホール』  朝日新聞グローブの連載記事ロッシェル・カップの「見出しを読み解く」を愛読している。3月3日は「選挙報道は徹底的な見直しが必要。そしてこれが一つの過激な提案だ」というタイトルで、ワシントン・ポストの記事を取り上げている。その記事は、2016年の大統領選挙のときマスコミは世論調査にとらわれて結果予測を大きく誤ったことを指摘し、その原因は「公平さ」の名のもとに些細な欠点や間違いばかりに焦点を当て、人格的問題をえぐることに失敗したことだと批判し、競馬のようにレースばかりに着目するのでなく、真に伝えるべきこと有権者が知りたいこと知る必要のあることに賢く答えることが選挙報道の中心であるべきだという。コラムの筆者ロッシェル・カップは、2020年の大統領選挙でマスコミがまた同じパターンに陥るという見通しはなんとも恐ろしい、アメリカは政治もマスコミもオーヴァーホール(overhaul 徹底的に見直す)すべきだと述べている。日本の政治と選挙の報道についてそっくり当てはまる指摘だ共感しつつ読んだ記事である。(宮)

『穴のあいていない運動靴を』  以前穴あき運動靴は雨の日に困ると書いたが。2月中旬についに新しい運動靴を買った。以前、気に入っていた靴を買い直そうと思っていたのに、偶然魅力的に見えるデザインと素材のものに出合ってしまい衝動買いをしてしまった。日本製で運動靴では聞いたことがない、靴底のゴムを直せるタイプの靴だと言う。気に入った靴を長く履けるなら願ったりかなったりだ。予定していた予算より高かったが、長持ちさせると心に誓い、たまにはいいかと思い切って購入した。家に帰って夫に見せびらかし、さらには家の中で履いてみると更に嬉しさでいっぱいになり、しばし新しい運動靴を履いたまま家の中を闊歩する。新しい気に入ったものを買うというのはなんて嬉しいものなのだろう。
 いつから履こうか…考えているうち、なかなかこれといういい日がないまま月日は過ぎた。ある雨の翌日、ついに靴をおろした。だけどである…。なんだか歩くうちに、かかとが痛くなってきた。脱いだり履いたりするときに紐をほどいたり結んだりするのが億劫な私は基本的には靴の紐を少しゆるめに結ぶ。それがいけなかったのか?まるで新しい革靴を履いたみたいに夕方には血こそ出ていないが、ちょっとかかとがすれて皮がむけてひりひりとしていた。運動靴はガシガシはけるから大好きなのだがこれでは痛くて気軽にはけないではないか。次の日は紐をしっかり結んで履いた。しかしすでにかかとが痛いのでなんだかストレスなしには履けないのだった。そんなわけでしばらく新しい運動靴を履いていない。ようやく、かかとの皮も再生してきたので近々チャレンジする予定。どうか今度はかかとが痛くなりませんように…と願う。穴があいてないのは当たり前としても、足が痛くならない靴がほしい今の私であった。
(やぎ)

『違います』 ある朝、高幡不動駅で電車を降りると、足を止めて私の顔をじっと見ている女性がいる。知り合いかな?っと私もじっと見てみたが、知らない人。しかし、女性は「……ですよね?」と。「えっ?」という顔をした私に、「ですよね~」と知り合いだと確信した様子でさらに言うので、「多分、違うと思いますよ」と返すと、恥ずかしそうにするわけでもなく、そのままスタスタとエスカレーターを上っていってしまった。
それからしばらくして、子どもの友だちの発表会を観に行ったのだが、客席で私の横顔を凝視する子連れのお母さんが…。チラリと見たが知らない人なので、そのまま前を向いていたのだが、休憩時間に視線を感じ横を見ると、そのお母さんがまたじっと見ている。目が合うと「ですよね? こんにちわ」と言われ、まじまじと見てみたが、やはり知らない人だったので、「多分……違うと思いますよ」と言うと、そのまま、ふいっと前を向いてしまった。意外とみんな、間違えても「やだ~」とか「あ、ごめんなさい」とかもなく、恥ずかしがらずに冷静なんだなと思ったのだが、よくよく考えてみると、最近はほとんどしないが、私も数年前までよく人違いをしていた。そして、恥ずかしいからこそ、冷静にしれっとしていたことを思い出した。
前を歩く友人を見つけて、後ろからすっと横にいって腕を組んだら違う人、後ろから肩をトントンと叩いてこっち向いたら違う人、前から歩いてくる友人に、大きく手をふって近づいたら違う人だと気づいてそのままスーーと通り過ぎる、などなど。
前の2パターンはさすがに丁重に謝ったと思うが、3つめのパターンはよくやっていたけれど、だいたい、しれっと通り過ぎた。恥ずかしいからこそ、冷静に。
(みなりん)
2019年2月28日
『車内放送』  毎日バスに乗っている。乗降案内を録音音声がしているが運転士もマイクを装備していて適宜案内をしてくれる。先日運転士のすぐ脇の座席に座っていたら、例によって運転士の声が流れてきた。そのとき何気なく運転士をみたら口が動いていない。腹話術みたいに口を開かないで話しているのかと思ったが、そうではなさそうだ。しばらくみていたらわかった。此の運転士は自分の音声案内を録音していてそれを流している。そしてさらに必要なときには生の声でも話している。このバスは案内の音声が三重構造で使われているのだ。なんでこんなことをするのかと思うが……。(宮)

『似た言葉』  朔北社には後ろに楽譜がついた絵本がシリーズで2冊ある。この後ろにある曲には秘かに中川ひろたかさんがレコーディングをしたCDが存在し、朔北社の取り扱いはないのだが、中川さんが鎌倉で開かれたソングブックカフェで、絵本にCDをつけて+400円増しの値段でCD付き絵本として販売している(今はわからないが)。時折そういう情報をどこかで知ったお客さんからCD付き絵本の注文が入るが、小社経由で販売していないので、ソングブックカフェをご紹介させていただく。先日も九州の書店さんからお電話があった。私「朔北社では売っていないんですが、鎌倉にある中川さんのお店で売っています。お店の名前は…ソングブックカフェ…」
書店さん「ん?トングブック?」
私「そ、ん、ぐブックカフェです」
書店さん「ソングね。ありがとう!」
受話器を置いて私のあたまの中には「トング」ブックカフェのイメージがむくむくとわきあがり、とめどもなくなりひとりほくそえんでしまうのであった。似た言葉の間違いは日々とてつもなくあり、似た言葉をメモって、何かの企画にできないだろうかと時々思う。
(やぎ)
2019年2月22日
『世論調査』  最近の安倍内閣の支持率は40%前後、支持しない方は若干小さいがほぼ同じ数字である。支持する理由として「他の内閣よりましだから」がトップに来る。不支持の理由のトップは「人柄が信頼できない」である。この世論調査の結果を「人柄は信頼できないが他の人より他の内閣よりましだから安倍内閣を支持する」というように要約するのは単純な間違いだ。支持グループと不支持グループはそもそも別々に存在しているのである。最近はどちらのグループの数字とも大きく動かない、安定している。ということは考えや判断を異にする2つのグループが存在していることを意味する。政治的判断・行動に関して大きく分断された状況にあるわけである。諸外国と違っていまのところ過激化する気配はないが、分断された状況にあることを押さえておきたい。(宮)

『人には見られたくない姿』  休みの日に夫と住んでいる街の最寄駅で待ち合わせをするのだが、たいてい、休みの日には私は気が抜けていて、遅刻するはめになる。すると夫は家に向う道を暇に任せて歩いてくる。私が遅れているのに走ろうともせずにゆっくり向っていたのを見付かってしまい、気まずいのでふざけて急に演技をする。いかにも急いでたんだけどという振りをして走ったり、ハアハア肩で息をしてみたり。走ったから胸が痛いふりをしたり、さらに走りながらもっと早く走るために右手もブルンブルン回しながら、必死にアピールして夫に近づく…誰もいないと思ったから。それなのにある家の駐車場から車がひょっこり顔を出した。あれ?もしかして見られてた?50近いおばちゃんの滑稽な姿を他人様にさらしてしまったことで急に恥ずかしくなる。もし見ていたとしたらあきれるか、もしくは笑いを堪えるのがたいへんだったろう。外では気をつけなければいけない…穏やかな午後の出来事である。心中は穏やかではなかったけれど…。(やぎ)

『おかあさんといっしょ』  「おかあさんといっしょ」体操のよしお兄さんが卒業する。もう、現役で「おかあさんといっしょ」を見てはいないけれど、ふっとチャンネルを合わせて見るときもあった。いつも、当たり前のようにそこにいると思っていた人がいなくなってしまうのは、やはり寂しい……。
応募資格のある期間、スタジオ収録にずっと応募し続けていたけど、当選することはなかった。NHKホールでのファミリーコンサートは、一度だけ当選して観覧できた。よしお兄さんの「ぱわわぷたいそう」を、子どもがはりきって踊っている横で、座ったまんま小さく踊っていた私。いい思い出だ。
現役のママたちは、悲しみにくれているだろう、寂しいだろうな。私だって、あの頃、よしお兄さんの笑顔に、変顔に、ダンスに、すりかえかめんのギャグに、どれだけ助けられたことだろう。何年たっても、感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとう、ありがとう、ありがとうーーー!
(みなりん)
2019年2月15日
『二月中旬』  通勤の道筋にある臘梅が咲き始めて春がくるとおもって見ていたが、2月半ばともなると、日常動いているあちこちにある梅の木が咲いている。浅川の土手の枯れた草の下から日に日に緑が増してきているのがわかる。
 賃金統計の不正問題をめぐって政府が隠蔽・改竄を追及されるだの、沖縄の辺野古埋め立てについての県民投票が実施されるだの、トランプ大統領がメキシコ国境の壁建設のために非常事態宣言を出すだの、韓国の国会議長が日韓関係を改善するためには慰安婦問題ついて天皇が元慰安婦の手を取り謝罪すればいいだの、タイ国王の姉が首相候補になることが取り下げられただの、毎日毎日大きな政治的事件だけでもつぎつぎに起きて、頭が未消化のママ通り過ぎていってしまう。わたしたちは何という時代に生きているのかとつくづく思う。しかし、不順な天候はあるものの季節だけはいまのところ順繰りに巡ってきている。その春の兆しを目にして、つかの間ほっとするのである。
(宮)

『もやもやの原因は?』 なんだか心がもやもやする。昔、時々こんなふうに気持ちがもやもやして何が原因かもわからないことがよくあった。たぶん時々やってくる自律神経の乱れのような状態かもしれない。私だけかしらと思ったら知り合いに話したら「あっ、そういうの私もあります」との返事。どうやら他の人もそういうふうになることがあるのだと知る。だが、最近のもやもやの原因はちょっとちがっている。長い期間ずっともやもやが治らない。毎日過ごす日常、見聞きするものに、時にニュースに、出版界に、日本全体になんだかもやもやした気持ちが治まらないのだ。もちろん全てが悪いわけではないし、自分もそこに存在する一人なのだけれど…日本全体があんまりにも狂っているように映るのは私だけなのだろうか。みんながストレスをため、ニュースは核心には触れず、政治でも本当に大切なことは語られず、平気で嘘をつく、誰でも間違うことはあるのに、それを隠すのはなぜか?政治的発言ってなんだ?政治に感心をもち自分の意見を言った人は非難され、時に仕事をも失うなんておかしくないか?日本はこんなに不自由な国だったのかと疑心暗鬼になってしまう。
そしてもう一つ。先週の新文化をみて驚いた。アマゾンと直取引をしている出版社はなんと2942社あるのだそうだ。出版社の数は2016年で3370社、2017年に3182社(?)程になり、2018年は…数字がないので不明だが増減あって3000社前後といったところだろうか。思った以上の出版社が直取引をしている事実はなんとなくは認識していたものの、考えていた以上の数字であった。直取引をしていないのは全体の約7~8%。どうやら朔北社は少数派の中に含まれるようだ。この事実にもなんだかもやもやとしてしまうのであった。
(やぎ)

『バレンタイン』 今どきの小学生、手作りの「友チョコ」が、主流のようです。みんなで贈って、もらってと、楽しんでいました。ただ、やっぱり大変なのは、大量のチョコ作り。「自分で好きに作ったら?」と任せてしまえばいいのですが、結局手伝ってしまい、そのうち、こっちが本気になって、作っているという……。今どきの親は「大変だー」という気持ちはありますが、そのうち、手伝わせてなんてもらえなくなるだろうから、今、一緒に手作りすることを楽しおくのが、一番なのかな。(みなりん)
2019年2月8日
『伊沢多喜男の伝記』  3月に刊行する『伊沢多喜男―知られざる官僚政治家』に対するTRCストックブックの発注数は10部だった。これには驚いた。TRC仕入部の経験に照らして刊行当初の動きとしては、このくらいの部数しか売れないだろうという判断があるわけだ。今日無名の政治家の伝記にはこの程度の反応しかないのが現実なのだ。
 『濱口雄幸伝』のとき発注部数は60部だった。発注部数60部の『濱口雄幸伝』は2013年の刊行から今日まで、図書館でどのくらい所蔵されているのか調べてみたところ、都内の公共図書館で34館、その他全国の公共図書館で49館、大学図書館で74館、合計157館である。
 全国3300の公共図書館と1400の大学図書館で濱口雄幸のような政治家の伝記を160館弱しか所蔵していない。図書購入予算が少ないことと、その本の利用者数の予測から選書されている結果だということはすぐ気づくが、出版社としては、図書館の予算や方針や予測を覆すような結果を出すべく知恵を絞る。
(宮)

『鍵がない?!』  先週の土曜日のこと。土曜日は髪を切りに行こうと思っていたものの、グズグズしていたらあっという間に15時。服を着替え、さて出かけようと玄関を出たが、鍵がない!普段はカバンか、玄関横の棚に置くが、どちらにもない。会社、家、実家、スーツケースのなどすべての鍵がキーホルダーにまとまった鍵の束。落とせば間違いなく激しい音がするはず。最後に使ったのはいつだったか…最後の記憶は前日の会社の勝手口を閉めた時のこと。家の鍵は夫に開けてもらったので使わなかったはずだ。なるほど会社を出たところまでは持っていたことになる。道中落とせば気付くはず(と信じたい)。家の中を探す。まずはいつも使っているカバンの中を、そして玄関の脇の棚、床、こたつの中、上着のポケット…だが、どこを探しても見つからない。ところが、夫の荷物がおいてあるあたりを、少し片付けるとその床には夫の鍵が落ちていた。これで出かけられる!と思ったのも本心。だが私の鍵はどこへ?
 夫の鍵、なんともシンプルに2つの鍵がぶら下がっているだけ。まさか夫が私の鍵を持っていったのか?という疑問がわくが、間違い様がないとも思う…。では、やはり外で落としたのか?念のため土曜日出社の社長にメールをするとすぐに外をみてくれたらしく「外をみてみたけれどみあたらない」との返事。気持ちを切り替えつつ、19時まで仕事でメールを見られない夫に念のため「間違って鍵をもっていってないよね?」とメールを入れ、夫の鍵を持って髪を切りに出た。カットを終え、さっぱりして表に出ると19時を過ぎていて夫からメールが!私の問いに「そんな大ボケ…ごめん!かましていた!」まさかの入れ間違い。よく間違えるよなあと呆れたが、落としてなくてよかった。帰って来てから散々文句を言ってしまった。あんな間違いようのないものを…と。しかしその2日後、玄関に置いてある鍵を摑み出かけようとして外に出て気付いた…私が手にしていたのは夫の鍵だったのだ。嗚呼、きっと夫もこのようにしていつものようにいつもの動きをして鍵を摑んで外に出たろう。滅多にしない間違いだけど、いつもの行動をいつものようにしたときに時折こんなことをしてしまうこともあるかもしれない…夫を責めた一昨日の自分を反省しつつ自分の鍵がカバンにあるのを確かめ、夫の鍵を玄関の下駄箱の上に戻した。
(やぎ)

『サインは指で……』  物心ついたときから、スマホやSNSが当たり前にある世代を、スマホネイティブ、SNSネイティブなどと呼ぶらしい。先日、ニュースでやっていた。確かに、うちの子も、私より、何でも、さっと理解する。うちはまだ持たせていないが、同級生の子でスマホを持っている子も半数以上いるし、そのうち持たせることになるのだろう。しかし、便利さの裏にある、怖さをちゃんと教えていかなければいけないと、最近のニュースを見るたびに思う。「苦手なんです~」などと言ってる場合ではない。でも、苦手。
先日、宅急便を受け取ると、配達員さんに、さっとスマホを出された。画面を覗き込むと、白い画面。「……えっと、なんでしょう?」というと、「あ、サインを」「ここに?この画面に?」「はい」「えっと、ペンで?」「いえ、指で(失笑)」「……今は、もうこうなんですね」「ええ、最近は」そうだったのか、知らなかった。送り状に、サインするか、ハンコ押すかしか、したことなかった。これはもう、当たり前のことなの?
(みなりん)
2019年2月1日
『統計調査』  今問題になっている厚生労働省統計調査の不正問題から、五十数年前、新入職員として世田谷区の統計調査係に配属されて、1年のうちに事業所調査、商業動態調査を始め複数の調査を次々行なったことを思い出す。事前に説明会、打合せをしてそれなりにやっていたけれど、中で食事の内容を調査するのがあり、統計調査係の女性職員が、自宅の食事内容を書いて調査を省略していたのも思い出す。現在は調査される側になったが、年に何件もさまざまな調査票が送られてきて、その記入には結構時間を取られている。しかし統計調査がきちんと行われていて初めて適切な政策が企画され実行されるはずであり、真面目に記入回答している。記録の保存管理や、統計調査の重要性などに認識の乏しいのが行政組織の通弊と思っているが、今回の事件を契機に改められるだろうか。関わった厚労省職員や、第三者委員会の対応をみていると残念ながら期待できそうもない。
 普通にまともな仕事をする公務員や政治家もいると実感したいが、できそうもない。
(宮)

わたしの好きなパンダはね  私は動物ではゾウが好きだ。どのくらい好きかというと、家でゾウの形をした置き物やら人形、ゾウグッズをいくつか集める程度のとりたててマニアックさはないくらい。とくにゾウの生態に詳しいわけではない。ゾウも人気があるが、パンダはそれを遙かに超える人気者。こんなに人気があるのに、私にとっては、そんなに興味がわかない動物の1つだった。少し前上野で久し振りにパンダの赤ちゃんが生まれ、みんなが、あんなにパンダ、パンダと騒いでいるのを見て不思議で仕方なかった。そんなことを言ったら黒柳徹子さんに怒られてしまいそうだが…。
 ところがある時、ネットでアドベンチャーワールドで生れた赤ちゃんパンダの動画を見た。まだ肌の色の残る体に薄っすらと白と黒の産毛がポワポワとはえている。その表情たるや…なんてかわいい子なのか…と初めて思ったのであった。しばらくは名前もなく、「良浜(らうひん)」の赤ちゃんと思ってみていたが、表情のかわいさに、いつのまにかとりこになってしまった。去年の12月中旬にとうとう名前が決った。名前は「彩浜(さいひん)」。私が初めてかわいいなと思ったパンダの赤ちゃんの名前は、なんとかわいがっている友達の子どもの名前の漢字が一字入っていた。これは何かの縁だろうか(そんなわけないか)。ちなみに他のパンダをみてもかわいいとは思わないのは何故だろう?そういえば以前シャンシャンがみんなに騒がれていたとき、そのお母さんのシンシンがせっせとシャンシャンの世話をする愛情深い姿をかわいいなあと思ったのをふと思い出した。正確には彩浜は好みのパンダの二頭目だったのだ。どうやら人間と同じ様に動物にも個性があり、顔もぜんぜん違っていてどうやら私はそのパンダの個性を好きになったのだと思う。しかし私がパンダにこんなに夢中になるとは自分でも驚きだ。今はアドベンチャーワールドに行きたくてうずうずしている。
(やぎ)

『方言』 出がけに朝の情報番組を目の端で見ていると、冒頭、前日の放送の際、スタジオでりんごを食べたあと、加藤浩次さんが「このりんごボケてる」と言ったら、他の出演者には意味が伝わらず、ぽか~んとしていたという話題に…。そこで、番組で調べたところ、加藤さんの出身地北海道以外でも、15の県で「ボケてる」を使うという結果がでていた。特に、りんごの産地でよく使われているそうだ。
長野県出身の私は、「りんごがボケてる」と当たり前のように使っている。そして、この言葉が、時に人を「???」とさせることも、経験済みだ。しかし「このりんごボケてる」以外に「りんごがボケてる」ことを的確にいう言葉をどうしたって思いつかない。あえて言うなら「食感がボソボソしてる」とか…。
日本の、その土地ならでは方言は、どうにも他の言葉には訳せない。なんとなく似た言葉はあっても、ピッタリの言葉はないものだ。方言とわかっていても、それしか言いようのない言葉を、私は今も変わらず(というよりも積極的に)使っている。この郷土の言葉への愛着というのは、その土地を離れて暮らしているからなのか、それともただただ私の郷土愛からなのか。日本語や方言についての本は、数多く出版されているけれど、それとはまた違う、郷土愛に溢れた日本語&方言の本が作れたらなあと、頭の中でうすらぼんやり思い描いております。日本語って、方言って、本当に興味深い。
(みなりん)
2019年1月25日
『靴の中から…こんにちは』  ある日会社に到着し、下駄箱へ靴をしまおうとしていたところ、そろそろ買い換えないとと思いながらオンボロになった靴をまじまじと見た。ふと、あれ???と思う。なんと靴の中を覗いていたはずが外の世界が底から見えていたことに気付いたのだ。靴の底が薄くなり、かかと近くの底の一部から外の世界が見えるようになっていた。仲良く並んだ二つの四角い穴。いやはや全然気付かなかった。もはや雨の日には使えない。以前同僚がよく外を歩いていて靴の先でけつまずくので靴の先がベロリとなり水が入るという話を聞いてから雨が降る度、その同僚が今日来れるのか心配をしていた。なんだ私もだったのか…人の心配ばかりしているわけにはいかなくなった。最近は乾燥していて雨も降らなったから助かった。本気で新しい靴を買わなければ…。同僚の足下はというと…すでに冬用の穴のあいてない靴を履いていた。(やぎ)

『うっかり』  最近、「うっかり」することが多い。
スーパーの自動精算レジで、お釣りを取り忘れて帰宅したり……あれ、「うっかり」したことが何だったのかを、「うっかり」忘れてしまっている。
大きな声では言えないが、「うっかり」がタイトルに入っている、ユーモアたっぷりの絵本の制作まつわるあれこれに没頭しいるからかもしれない。……と、うっかり言ってしまったが、刊行はまだ数ヶ月先である。
(みなりん)
2019年1月18日
『練習』  浅川土手では、対岸でまた工事があるらしい。かなりの距離オレンジ色の編み柵が張られている。ショベルカーまで出てきたので何を始めるのかとみていると、いろいろ動かしているが、土を掘ったり削ったり山を作ったりという具体的な仕事をしていない。一体何をしているのかと見ても解らない。そんな景色を何日か続けてみていて、ショベルカーの動かし方を練習しているのではないかと思い至った。永い腕と先端の手を自由自在に動かすにはそれなりの訓練が必要なのだろう。そういう目で見るといかにもその様に見えたのである。具体的な仕事をしていないのだから。僅かな通勤時間のあいだの観察だから、昼間は練習でなく仕事をしているのかも知れないが。何日かそんな様子を見ながら歩いた。(宮)

『心がやさぐれる時』  最近、家から最寄駅に向う途中、あちらこちらで新しいマンションなどを建てているために工事中につき資材などを運ぶトラックが何台も道に止っている。今朝はトラックを敷地内に入れるために一時道をふさいでいた。私はその車が移動するのを待つ一番先頭にいた。少しして、人が二人分くらい通れるくらい道が空いたので、さてと、足早に通り過ぎようと進んだところ、その横から、いきなり自転車が追い越して行った。あまりに至近距離を通り過ぎたので、自転車の一部が私の手の甲にぶつかり、思わず「イタイっ!」と口から出た(ビックリしたこともあって)。幸い怪我するほどではなかったが、その声を聞いてもなお自転車は振り返りもせず、淡々とスピードを上げいなくなった…。無理やり人との安全な距離もはからず(もしかしたら通れたらいいと思っているのかも)ヒヤッとさせたと想像もしないのだろう。本人はぶつかったことに気付かなかったのかもしれない。自転車も車。少し弾力性のあるものに車体自体が触れたくらいでは向こうは衝撃もあまりないのだろう。自転車とて速度があれば、ぶつかれば、やはり人は死ぬことだってあるというのに…。そんなわけで、朝から私は、一人やさぐれ、恐らく顔も渋い顔をしていたにちがいない。心の中で何度も「チッ!チッ!」と舌打ちしてしまったくらいだ。そういう自分も自転車に乗ることだってある。人の振り見て我がふり…だ。ならば私は安全運転に心掛けようではないか!いつまでもやさぐれていないで。(やぎ)

『福笑い』  お正月に「福笑い」をやったのは、いつのことだろう。最近はやっていないが、ルールも簡単で、子どもからお年寄りまで誰もが参加できて、誰でも笑顔になれる遊びだと思う。
私は、心がささくれだってしまったときに、聞く歌がある。高橋優の「福笑い」。何度も何度もきいていると、どんどん心が和らいでいくのだ。
お正月休みに、車で出かけたときに流したら、娘が「この曲好き!」と言って一緒に歌いはじめた。「ここの歌詞が一番好きっっ!」と言ってさらに大きな声に。
『きっと此の世界の共通言語は、英語じゃなくて笑顔だと思う♪♪』
私もここが好き。そして、未来ある娘がこの歌詞を好きだと言ってくれて嬉しかった。どんなときでも、笑顔でいられるように、どうしたらみんなが笑顔になれるのか考えて、そして少しでもそうなれるよう一人ひとりが相手を思いあう。そうしたら、少しは世の中変わるかもしれないと思うのは、あまりに単純かな。でも、これから、そういう世の中になるといいね。
(みなりん)
2019年1月11日
『年が明けて』  新しい年が始まった。そういえば今年の目標などあまり深く考えていなかったなあと思う。友人の何人かの年賀状には去年はインプットの年だったので今年はアウトプットできる年にしたいと書いた。会社でも去年は自社の本が一冊も出なかった。今年は…何冊か面白いものを世に出せそうで嬉しい。
 会社も人数が少なくなってから十数年。その頃から少しだけ編集の仕事もやるようになったのだがいずれも翻訳絵本だったり、一度出したものの新装版にかかわるのみ。それだって一筋縄ではなかったけれど、一から企画を立てて本を作ってみたいというのはそのころからずっとあった。でもなにしろ自信がないから一歩も踏み出せなかったのだ。去年も後半。初めて、翻訳本以外の企画を、夢物語として語るだけでなく企画書(これもまた完成形には程遠い)として皆に配り検討してもらうということをした。編集経験に乏しい私が出す企画書は詰めが甘く皆にいろいろ突っこまれる。ずばりと説得する言葉を持てないためになかなか次へ進めない。まだまだうすっぺらな内容の企画書しか作れない自分になんだか情けなくなる。本に出来るまで持っていけるか疑問ではあるが、いくつか出した企画の中で何か一冊でもきちんと形にできたらいいなあと思っている。どちらにしても出来上がるのはきっと数年後になるだろう。深いところを掘り下げて、根気強くやる事が苦手な私は恐らく編集者には向いていない。小さな会社のよさは本の流れを初めから終わりまで見守ることができることにある気がする。電話をとること、事務仕事をすること、チラシを作り、営業に行く事、本の企画を考えること、人と会い打合せをすること、経理の仕事。なんでも経験させてもらえることは面倒でもあるけれど、いいことだと思う。立ち止まっていれば楽かもしれないが、苦手意識をとりあえず向こうに追いやり、会社の中でも成長していこうと思うのだった。なんだか所信表明みたいで恥ずかしいが…。
(やぎ)

『新しい年』  2019年が始まった。平成から新しい元号に変わる、節目の年。
子供のころは、新しい年を迎えると「今年は、毎日日記をつける」とか、「早起きをする」とか、ちっちゃくても目標を立てて、気を引き締め背筋が伸びるような気持ちになっていたのだが、今はそうでもないことに気がついた。だめだ、ちゃんとしよう。今年は、定期的に、ロバ耳を書こう、せめて去年よりも。
今年は、新刊も出ます。気を引き締めて頑張ります。どうぞよろしくお願いいたします。
(みなりん)